19 20:00 タクシー

 テーブルの上、小鉢に入っていた料理はきれいに平らげられた。

 スーパーで売られている麻婆の素にちょっと手を入れたものに、サラダなどの副菜のみ。

 食事というよりは、作られたご飯を食べて味の感想を言うために食べたような感じだった。

 実際私の感じた通りだったようで、皿を下げてお茶を淹れると、清子さんと奏恵さんの二人がルカの麻婆と搾菜の切り方について話をしていた。

 私もルカの隣で包丁を握って頑張ったのだが、どうもその辺りも切り方でわかるらしい。

 怖っ。

 切り方とか、作り方とかがルカと違うからわかったということなのだが、それだけ料理を日常的にやってるのだろうか。

 少し気になったので、清子さんとか奏恵さんに習ってるのか、湾曲的に聞いてみる。

 

「でも、お弁当なんかで料理できそうだなとは思ってたんですけど、こんなキッチンだったら確かに料理もやりやすいですよね。

 私なんかあんまりやらないもんで、手際がよくてびっくりしました、ずっとやってるんですよね。」

 

 そう言うと、対面の二人は示し合わせたかのようにプッと吹き出した。

 一方、私の隣のルカは顔を両手で覆って伏せた。

 料理をするからとまとめていた髪が首から前に垂れて、プルプルと震える体に合わせて小刻みに揺れている。

 

「そうよね、料理できそうよね。」

「だってさ、良かったね、ルカ。」

 

 小さく笑いながら、二人がルカに言葉を投げかける。

 ルカはプルプルと震えたままだ。

 はて、どう言うことだろうか。

 もしかして、時折見えるルカのポンコツ部分がまた見える、のか?

 

「えーっと、ルカ。

 もしかして、お弁当山上君が作ってる?」

「そ、そんなことあるわけないです!

 もう作ってもらってません!」

 

 あぁ、なるほど。

 今は違うのね、今は。

 

「もうねぇ、元がちゃんと料理できちゃったのが悪い、いえ、悪くはないんだけどね。

 普通に料理しても元と同じような料理しか作れないってことで、変なアレンジし始めるようになっちゃったのよ。」

 

 はぁ、とため息を吐いたのは奏恵さんで、話す清子さんはただただ辛い思い出を語っていた。

 

「大変だったねぇ、食材も変なところから使ったり、動画に触発されたり。

 何とか一ヶ月くらいで収まったんだけどね。」

 

 ねぇ、と清子さんが離れたテーブルにいる山上君に視線を飛ばす。

 びくり、とその体を固めた。

 

「ねぇ、元。

 あの時なんて言ったの?」

「秘密です。」

「ほらね、教えてくれないのよ。」

 

 そうか、アレンジャーの過去持ちか。

 まぁ、自省できるんならメシマズまでは行かないか。

 実質二ヶ月もその期間なかったみたいだし。

 

「まぁ、そんなこともあってね。

 最初っからすごくできたわけじゃないのよ、この子も。」

 

 ね、と奏恵さんがルカに問いかけるがルカは顔を赤くして伏せている。

 色々あった時期だったんだろう。

 もしかして厨二病発症時期と合わさっていたりしたんだろうか。

 なんか可愛くて、つい手が伸びてしまう。

 ちょっと背伸びして頭を撫でると、ルカが顔を背けた。

 あぁ、こういうのもいいなぁ。

 そんな新しいルカを楽しんでいると、清子さんが話題を変えてきた。

 

「そういえば、最近は楽しそうにゲームをしている所も見るけど、それも大木さんのおかげなのよね。」

「え、はい。

 その、遅くまで娘さんを遊ばせちゃいましてその。」

 

 ごめんなさい、とか細い声で何とか絞り出す。

 レースに狩猟、建築と面白そうなものには手を出してみて、その度にルカを誘ってネットで遊んでいた。

 プレイスタイルは結構脳筋で、サポートしたり二人で突撃したりと楽しんでいる。

 ちなみに、山上君が入ると彼が百パー介護要員だ。

 で、大体週に三日くらいは夕食後に遊んでいたりする。

 お互い授業に影響があるようなレベルではないので引け目を感じなくてもいいはずなのだが、やはり親の前でゲームの話は少しその、ねえ?

 

「あぁ、ごめんなさいね。

 そんなに怒るつもりはないのよ。

 ルカも大木さんも、ちゃんと学校には出てるし勉強も問題ないでしょ?」

 

 袖を抑え、湯呑みからお茶を飲む。

 その動作が自然で綺麗だな、とそう思った。

 で、そんな清子さんからのお許しの言葉にホッと息を吐く。

 

「ゲームだけするようなら考えるけど、実際に会ってもいるし、外にも出てるみたいだから私からは何も言うことはないね。

 立場上推奨するのはできないけど、これからも遊んであげてくれると嬉しいわ。」

 

 もちろん、節度を持ってね、と最後にやんわりと釘を刺され……うーん、セロテープで仮押さえレベルの忠告? をされてしまった。

 結局、色々喋ってるけど二人の言葉の行き着く先は、最後の言葉なんだろう。

 つまり、ゲームでも勉強でも何でもいいけど、ルカをよろしくね、と。

 言われるまでもない。

 こちとら、親友を自称している身だ。

 遊びも何もかも、付き合うし巻き込ませてもらう。

 

「はい!」

 

 親指を立て、突き出しながら元気に答えた。

 その私を見て、清子さんはにっこりと、奏恵さんは親指を立てて応えた。

 

「良い一番目の技ね。」

「何で知ってるんですかお義母さん。」

「あなたにお母さんと呼ばれる筋合いはないわ!」

 

 何だろう、奏恵さんってもしかしてこの家で私と一番感性近いんじゃないだろうか。

 

 


 

「それじゃぁ、ありがとうございました。」

 

 玄関前、頭を下げる。

 背にはリュック、手には紙袋。

 ちょっとしたお土産の入ったそれは私が行ったこともないようなブランドの紙袋で、もらったは良いけど使っていないので持ってって、ということだった。

 ブランドの訪問販売って何だよ、聞いた事ねえよ。

 

「今日は短い時間しか話せなくて残念だったなぁ。

 また来てね、桃ちゃん。」

 

 いつの間にか桃ちゃん呼びになっている奏恵さんに頭を撫でられる。

 随分と距離を詰められている。

 一緒に写真も撮ったし。

 

「そうね、また来てくれると嬉しいわ。」

 

 ルカと並んでこちらを見る清子さん。

 顔の皺も、白い髪も、着慣れた割烹着も。

 全てがしっくりきていて、そこに大きな樹でも立っているような不思議な存在感がある。

 家の玄関を背景にして立つその姿は、不思議とお礼をしっかりとしたくなったものだ。

 清子さんの横では、ルカがニコニコと微笑み、私を見つめている。

 男二人は来なくていいときっぱり断った。

 どうせなら視界に入れるのは綺麗なものだけにしときたい。

 いや、見様によっては透さんは眼福なんだけど、ほら、ねぇ?

 

「はい、また来ます!」

 

 そう答えると同時に、車のブレーキ音がした。

 いつの間にやら閉まっていたあの大きな門構えの前に、車が止まったのだろうか。

 清子さんがポケットから取り出したリモコンを押すと、ずっしりとした木の門が開いた。

 門横の通用口から出ていくものだと思っていたので、ちょっと驚く。

 開いたもん門の向こうには、後部スライドドアを開けた私が今まで乗ったことがないタイプのタクシーが待っていた。

 私がそれに近づくと、ルカも駆け寄ってきて車に乗るところまで付き添ってくれた。

 

「江角さん、よろしくね。」

「おう、安心しな。」

 

 知り合いの運転手さんなんだろうか、にこやかに話しかけるルカに目尻を下げながら運転手のおじさんが応えた。

 ルカが立ち位置をずらすと、その向こうの清子さんと奏恵さんが視界に入ったようで、頭を下げている。

 ドアが閉まる時の電子音がすると、ルカが車から離れる。

 ちょっとした寂しさを覚えるあたり、やっぱりルカって何か変なフェロモンとか出てそうだ。

 ルカに手をふり、振返される。

 窓から清子さんたちを見て手を振ると、こちらも振り返された。

 行きますよ、の運転手さんの言葉。

 エンジンの振動なんか感じないスムーズな発車で、詞島家からタクシーは離れていく。

 改めて思うが、家の前の道、信号もろくにないのに二車線くらいの広さがあるのはヤバすぎるだろう。

 やたらと座り心地のいい椅子の背もたれに脱力して体を預け、ベルトをつけてないことに気づいて慌てて着ける。

 横に置いていたかばんを膝の上に、紙袋を自分の横にくっつけて、ふぅ、と息を吐く。

 ほう、と胸の奥が温かくなった。

 知らない人たちだらけの友人の家だった。

 なのに、今の私の体には疲れなんかはなかった。

 いや、目の前に入られたときは緊張、というか固くなったりもしたんだが、今の私の体に満ちるのは銭湯に行って薬湯とジャグジーを三往復して帰りにアイスを食べた時のような満足感と暖かな疲労感だけだった。

 

「お嬢ちゃん、詞島さんとこのお嬢さんの友達かい?」

「え、はい。

 そうです。」

 

 ぼうっと外を流れる景色を見ていると、声をかけられた。

 何となくドアから離れずに座ったので、運転手おおじさんは右斜め前にいる。

 横顔は短く整えられたヒゲと、帽子の下からグレーの髪が覗く清潔感あふれるもので、とてもしっかりした人のように見えた。

 ふと、顔の向きを変えたことで右側に置いていた紙袋からほのたつ匂いに気付いた。

 そして、連鎖的に気づく。

 この車、臭くない。

 タバコはもちろん、ビニールの匂いも、合皮の匂いもしない。

 すごいキッチリしてる車だ。

 

「そっかそっか、いやー、あの坊主以外にもちゃんと知り合いいたんだなぁ。

 あー、良かった良かった。」

 

 笑いながらそう言われ、私も曖昧に笑いながら返した。

 運転手に交友関係把握されてるって、どれだけ付き合い深いんだか。

 

「私からしたら、ルカに友達いない方がびっくりなんですけどね。」

「うーん、まぁ確かにそう思うけど、色々あったみたいでねぇ。

 清子さんのお孫さんなんだから、どうにかしてやりたいってみんな思ってたみたいだけど、こうやって実際に友達がいるのを見ると、ほっとするねぇ。」

 

 嬉しそうにする姿に、本当に仲良くしてるんだな、と思わされた。

 友達の数ではルカには圧勝している。

 けど、それ以外だとルカは色んな人に気にかけてもらえているのを感じた。

 それは、きっとルカだけではないあの詞島家全員が町に好かれているということなのだろう。

 と、少し疑問が浮かんだのでちょっと聞いてみることにした。

 

「あそこってルカが言うにはおばあさんの家、ってことだったんですけど、

 清子さんってずっとあそこにいたんですか? 」

「ん?

 あぁ、かなり昔からあそこに住んでるよ。

 確か嫁入りしてきてからはずっとだったって聞いたことがあるなぁ。

 うちの爺さんなんか、酔うと昔の清子さんの自慢話ばっかりしてんのさ。」

 

 毎回ばあちゃんに怒られてたなぁ、なんて笑いながら話す。

 あぁ、やっぱりそう言う家系か。

 右手の紙袋がかさりと音を立てる。

 しっかりした綺麗なそれに、ちょっとした嫉妬心が湧く。

 目の前にいないと、羨ましくなってしまう。

 座る位置を変え、膝の上のリュックを横に、紙袋を膝の上に置く。

 厨房にいた時の香り、清子さんの香り、ルカの香り。

 確かに楽しかったことを思い出し、それだけを考える。

 不思議だ、もうすでにルカに会いたくなっている。

 

「それ、お嬢さんからのお土産かい?」

 

 先ほどまでとは少し違う、低くてしっかりとした声で運転手さんが私に話しかけてきた。

 

「はい、今日一緒に料理して、そのお裾分けです。」

「そうかそうか、いやぁ、女の子っぽくていいねぇ。

 あそこのお嬢さんも、清子さんみたくなるのかねぇ。」

 

 ルカが、ああなるかぁ。

 んー、なりそうな気もするし、もっと柔らかいおばあちゃん、って感じになることもありそうな気もする。

 でも、不思議だ。

 清子さんみたいなああ言う人を見ると、歳を取ることも悪くないって思えてくる。

 もちろん、私は今のままがいい。

 けど、いつかたどり着く先があんなかっこいいおばあちゃんだったら、ちょっとは怖く無くなる。

 

「ん、あれ?

 清子さんも女の子っぽかったんですか? えっと、料理とか。」

 

 私の言葉に、運転手さんは楽しそうに肩を揺らし、もちろんさ、と答えた。

 そういえば、ルカと一緒に立った厨房には、随分とすり減った包丁や、年季の入った圧力釜などもあった。

 そりゃまぁ、昔から使ってるんじゃなければああも使用感は出ないか。

 

「今じゃ規模も小さくなっちゃったし、青年会があるからやんないけどね。

 祭りだ何だの時ぁ清子さんが音頭取って、女房衆みんなで料理を作ってくれてたのさ。」

 

 もちろん、あの人が若い時の話だから何十年も前の話だけどね、と楽しそうに語ってくる。

 ふえー、と感心したような、放心したような吐息とも相槌ともつかないような声を出すと、運転手さんは楽しそうに話を続けた。

 冬に大きな鍋で作った芋煮。

 花見の時期に、作ってくれた団子の甘さ。

 正月に人手不足で巫女さんしてた時に余計人が集まってもっと人手が足りなくなったこと。

 運転手さんが子供の頃、すでに清子さんはお姉さんだったようで、随分と憧れたもんだと、おっさんが照れくさそうに話していた。

 

「今日初めて会ってなんかすごいなぁ、って思ったんですけど。

 昔からすごかったんですね、清子さん。」

「そりゃあね、若い頃から清子さんを知ってる奴らはみんなあの人大好きだったからねぇ。

 何なら今からだって告白しそうな奴らも何人かいるぐらいさ。」

 

 そういえば、あそこの爺さんもこの前モーションかけてたなぁ、豆腐屋も声かけようとしていつもダメで、俺もガキの頃、もうちょい度胸があればなぁ、なんて次次と思い出を語る運転手さんに、はぁ、と生返事を返してしまう。

 熱の伝わる話ぐちに、気づけば、心のうちに溜まり始めていた澱は随分と体積を減らしていた。

 しばらくどうでもいい話を続け、運転手さんの馴れ初めに話が移り始めたあたりで目的地へ到着、家のマンションの前で降ろしてもらう。

 料金は先に払われていると言うことで、私の負担はないのだがやっぱり恐縮してしまう。

 走り去るタクシーを見送り、背中を伸ばし、大きく深呼吸した。

 いつもの匂い、いつもの空気。

 あぁ、私の家に帰ってきた。

 そう思い、上を見る。

 母と父が私を見下ろしていた。

 あぁ、あの目は私を揶揄う目だな。

 いいぞ、やってやろうじゃないか。

 私のスマホにはあちらの家族との集合写真がある。

 勝つのは、私だ!

 

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