第116話 意地悪モード

 旅館に戻りしばし休憩時間となる。

 用意されていた浴衣に着替えて楽にしているが、妙に落ち着かなくてそわそわしている。


 旅館で用意される浴衣は派手さはなく、落ち着いた色合いで部屋着にも寝巻きにも使えるタイプのものだ。

 それでも浴衣の陽菜はかわいい。

 花火大会で爆発的なかわいさの浴衣姿を体験してなかったらご飯を待たずしてとっくに押し倒していたかもしれない。そう思わせられる美しさだ。


 油断するとうっかり襲ってしまいそうになる。

 時計を見ても針の進みがやけに遅い気がするな。一応ご飯を食べ終わるまで一時休戦にすると申し出たのは俺なため、なんとか耐える必要がある。

 今日の夜は寝させない宣言をしたこともあり、どうしてもこの後のことを意識してしまう。


「玲くん、顔が怖いですよ」


「……元々こういう顔だ。あと、近いから離れて」


「お構いなく」


「……そうですか」


 理性的な意味で余裕が無い俺だが、陽菜は相変わらずブレないな。

 今の俺になんの躊躇もなくくっついて抱き付けるのは素直に尊敬する。

 ご飯の前にそっちを食べてしまいたくなる。まぁ、それでもいいんだが……せっかく海の幸のご馳走が振る舞われるのだから、堪能しておきたい。


「玲くん」


「どうした?」


「ここ、卓球台が置いてありましたね」


「そうだな。でも、俺達には無縁なものだ」


「……ちょっとだけ遊んだりとかは?」


「できると思うか?」


「ひぅ……」


 温泉上がりに浴衣で卓球というのもベタではあるが温泉旅館の楽しみ方の定番だと思うが、残念ながら俺達はその楽しみを味わえない。


 本来ならこの後の楽しみはたくさんあっただろう。

 美味しいご飯を食べて、風呂に入って疲れを癒す。

 湯に浸かったあとは定番の卓球だったり、マッサージチェアに並んで座ったり、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳を飲んだりして、だらだらと時間を潰すのもまたとない贅沢だ。


 だが、俺はもうこの部屋から陽菜を逃がすつもりはない。

 ご飯は時間になれば運ばれてくるし、露天風呂もここにある。

 その後は言わずもがなだ。全部この一室で完結している。


「逃げられると思うなよ?」


「ひゃ、逃げませんよ。そんな耳の近くで囁かないでください」


「お構いなくなんだろ?」


「そういう意味じゃ……っ」


 俺の手に引かれてこの部屋に帰ってきてしまった時点で、もう普通に楽しむという選択肢は消えている。

 そのことを陽菜の耳元で囁く。

 ちょうど引っ付いてくれていたので、ちょっと抱き寄せてやればすぐに顔が届いた。


 首筋に鼻を添わせると、ほんのりと潮の匂いが香る。

 海の家のシャワーで軽く流してきてはいるが、まだ海を感じられる。


「ちょ、まだお風呂に入れてないのでそんなに嗅がないでください」


「お構いなく」


「……容赦ないですね」


「誰が俺をこうさせたと思ってるんだ?」


「それは……私ですが」


「そうだ。全部陽菜が悪い」


「ひゃっ、耳っ……舐めないでください……っ」


 元々は陽菜が煽ってくるからこうなったんだ。

 だから俺の反撃は甘んじて受け入れてもらうしかない。男子高校生の欲求をあまり甘く見ないほうがいいというのを身をもって分からせる必要がある。


 そんな腹いせのような思いを込めて、ちょっと興味本位で耳を甘噛みしてみると、随分と可愛らしい声を聞くことができた。

 その声を聞いて、腕の中でモゾモゾと動く陽菜を感じているとゾクゾクしてくる。

 でも、今はまだ理性を完全放棄する時じゃない。


「耳、弱いのであんまりいじめないでください」


「知ってる。今夜は執拗に弄ってやる」


「……玲くんの意地悪」


「意地悪で結構」


 弱点を放置するなんてもったいないことはしない。

 頬を膨らませてもかわいいだけだというのに……無自覚で煽ってくるのは本当にタチが悪いな。


 ますます自分を制御できなくなりそうだ。

 でも……陽菜が悪いから仕方ない。


「うぅ……ご飯の時間はまだですか?」


「あと15分くらいか。それまではこうしてるか」


「玲くん、ちょっと離れてもらえたりとかは……?」


「お構いなくなんだろ?」


「あうぅ……」


 俺は陽菜を抱き締める力をさらに強めた。

 元はと言えば寄ってきたのは陽菜の方だし、一度離れる機会はあったのを不意にしたのも陽菜だ。


 あと15分。短くも感じるし、長くも感じる。

 ご飯が運ばれてくるまで、じっくり焦らしておけば、食事の時間が自ずとお預けの時間になる。


「玲くん、そんなに意地悪されると……」


「意地悪されると……なんだ?」


「うぅ……いじわるぅ」


「悪いな。これもお返しの一環だ」


 まぁ、言いたいことは分かる。

 俺の事を散々煽っていたのは、そういうことをされたいという期待があったからだろう。


 そして、俺はその誘いに乗って、もう後には引けない状態になった。

 でも、まだ我慢を強いられる。

 ただ強いられるだけでなく、焦らされて期待を高められていく。


 俺も人の事は言えないな。

 かなりタチの悪い意地悪をしている自覚はある。


 でも、何度でも言うが、仕掛けてきたのは陽菜だ。

 ちょっとやり返すくらいかわいいもんだろう。


「陽菜、好きだぞ」


「……玲くんはずるいです」


 もっとも……この後はこんなもんで済ますつもりは毛頭ないけどな。

 食べ尽くしてやるから、覚悟しておけ。

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