間章 3 テレサ

 変に懐かれてしまったな、と肩にかかるお姫さまの重みを感じながら思う。


 最初は適切な距離を保ってくれる、やりやすい人だと思っていたのに。

 最近は妙に親し気で、やりにくい。


 王族と何て、できるだけ関りを持ちたくない。

 彼らは持って生まれた人たちだ。聖女の仕事は救われない人々に手を差し伸べることで、基本的に王侯貴族はその範疇に含まれない。

 今回のような世界的な問題や、正教会の要請があった時だけが例外だ。


 面倒くさいけれども、適当に親しさを演じればいいだけのこと。

 どうせ、この旅の間だけの関係だ。

 この旅が終われば、二度と関わることのない人。


 この人は、わたしに何を求めているのだろう。

 いつもの癖で、ついそんなことを考えてしまう。

 聖女としての力や肩書ではない。むしろ、わたしを聖女と思って接していた時の方が、うまく距離をとってくれていた。

 かつてのように肉欲の捌け口として見られているわけでもない。

 でも、それ以外の何をわたしに求めるというのだろうか。


 わたしに求めるものの形が見えなくて、少し落ち着かない。

 それは、柔らかな金の髪がわたしの頬をくすぐっているように、心をざわつかせる。


 眠っているかと思うような穏やかな呼吸。

 それを聞いていると、どうしてか時間の感覚が失われて、心地よい平穏が訪れる。

 それが、突然耳元から消えたかと思った時には、いつの間にかわたしに預けていた体重が消えて、立ち上がっていた。

 あまりにも淀みなくて、動き自体はゆったりとしていても、動いていると認識しづらい。

 わたしの知る中で、このお姫さまほど、所作が美しく優雅な人はいない。


 ずっと観察して真似しようとしているけれど、なかなか追い付けるようなものではない。

 形だけ真似るほどに、長年の修練が必要なのだと思い知らされる。

 あと、たまに原理のよく分からない動きを混ぜるのはやめてほしい。


「お兄様、もう交代の時間ですか」


 どうやら、自分の兄であるアレクシス王子に気が付いて立ち上がったようだ。


 アレクシス王子は、まさに王族と言うものを体現したような人物だ。

 武芸、学識、容姿に優れ、民を想い、同時に少数を切り捨てる冷徹さも併せ持つ。

 個人の人格を考慮する必要がないという意味で、わたしには接しやすい相手ではある。


「ああ、すまないがティティスを起こしてきてくれ。俺に寝顔を見られると怒るからな、あいつ」

「あの人、なかなか起きないので大変なのですが…」

「頼む」

「…分かりました」


 ため息をついて魔女が眠るテントに向かうお姫さまの背を、何とはなしに目で追う。

 その視線を遮るように、アレクシス王子が視界の中に入ってきた。

 わたしは腰かけていた岩から立ち上がり、裾を軽く持ち上げて、会釈をする。

 これも、お姫さまの所作から学んだ作法だ。


「…うまく模倣するものだが、あまりあいつを手本にしすぎないほうがいいぞ」


 一瞬で看破された。

 まあ、相手が悪すぎたということでしょう。いい練習相手だったと思うことにすればいい。

 どちらにせよ、この人に聖女の顔を作る必要もない。


「どこが悪かったでしょうか」

「一つはあいつの作法は王族のものだってことだ。聖女の格としては間違っていないが、お前が平民だと知っていれば鼻につく輩もいるだろう」


 なるほど、処世術の一つとして便利だと思ったけれど、それは盲点だった。

 貴族に対する時に、無駄な諍いを起こさないために有効だと思ったのだけど、そんなに簡単なものではないらしい。


「一つはということは、他にもあるのですか」

「あいつの動き、変に武芸の体捌きが混ざり込んでいるから、お前には模倣しきれないだろ」


 …本当に、やめてほしい。


「悪癖だが、便利だから俺も真似している。ローレタリアの貴族のくせに武芸も嗜まぬ輩を脅すのに役に立つのでな」


 たしかに。

 前を向いていたはずなのにいつの間にか後ろを振り向いていたり、座っていたのにいつの間にか立っていたり、数歩は離れていたはずなのに目の前にいたり。分からない人間には、かなり心理的な圧迫を与える。

 普段はたおやかなのに、たまに鋭すぎるあの人の動きを思い出して、思わず笑みが漏れそうになってしまう。


「随分と妹と仲良くなったようだな」

「よくしていただいております」


 唐突に言われた言葉の意図が読めない。

 そもそも、わたしのことを器としてしか見ていないこの人が、話しかけてくる意味が分からない。


「…あいつは聖剣の継承ができなくてな」

「?そう、ですか」


 ますます意味が分からない。

 どうして、こんな話をするのだろうか。

 あの人の身の上になんて、何の興味もない。ないはずだ。


「あまり驚かないんだな」


 驚いては、いる。

 そうか、あの人は聖剣を使えないのか。

 指摘されてみれば、今まで気が付かなかったのが不思議なくらいだ。

 気が付かなかったのはたぶん、あの人にそういう致命的な挫折をした人間特有の後ろ暗さを感じなかったせいだろう。

 そうか。あの人の、あの頑なな責任感は、そこに根差しているのか。

 

「それは、まあ。姫さまが聖剣を使えていれば、あの方が勇者でしょう」

「ほう。あいつは自分が宝具を使えるだけで騎士としては凡庸だと思っているが」

「わたしは武芸のことは分かりません。ですが、自分ならあんな恐ろしい人とは絶対に戦いたくありません」

「お前は本当によく分かっているな」


 勝てるかと言われれば、たぶんわたしはあの人に勝てる。

 たとえ宝具を使っていても、わたしの結界の展開速度ならあの人を無力化することができる。

 では、あの人が負けるかと聞かれれば、おそらくそれはない。

 あの人が剣を取る時、目の前の敵に勝つことに拘泥しない。そんなことに自身の勝敗の定義をおかない。

 あの人と戦い、打ち倒そうとも、あの人は自分の目的を必ず果たす。

 そのためなら、自分の命も簡単に使い捨てる。

 決死の覚悟などというものではない。いつでも、どこでも、それが必要なら消耗品のように自分の命を扱うことができる。

 死を恐れないような人格的な破綻者ならそういうことも可能だろう。

 でもそういう人間は自分の命の扱いが雑で隙が多い。

 しかし、あの人の精神性は凡庸と言っていいほどに普通だ。

 普段はむしろ、臆病なほどに丁寧に守りを重視する。

 その普通の人間が、わたしには理解しがたい判断基準で自分の命を投げ出す行動を、ごく自然と行う二面性が何より恐ろしい。


「…悪いが、あまり妹に近づいてくれるな」

「わたしが?話しかけてくるからお相手しているだけですよ」

「そうだといいのだがな」

「それが分かっているから、あなた方はわたしを選んだのでしょう」


 アレクシス王子の冷たく醒めた目を見る。

 道具に不具合がないか、確認する目だ。

 その目に映るわたしは、同じように冷たい目をしているはずだ。


「お前、妹と話しているとき自分がどんな顔をしているか分かっていないのか」

「…意味が分かりません」


 わたしはただ、与えられた役割をこなすだけだ。 

 それ以外の機能も、感情もない。

 そのわたしが、どんな顔をしていると言うのか。


 だから言われた言葉が理解できなくて、それなのにしこりのようにその言葉はわたしの胸に残り続けた。


「人間の顔をしているぞ」

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