第3話 契約スタート
「大地〜、このあと暇?」
「特になにもないけど、どこか寄るのか?」
「公園で軽くボール蹴りたくてよ」
下校時刻となり、大地は四季と一緒に教室を出る。
四季は中学までクラブチームでサッカーをやっていたが、三年の夏にケガをしたため、高校ではどの部活にも所属していない。だからというわけではないが、たまにこうして大地が息抜きに付き合っている。
「分かった。自転車取ってくるから校門で」
「あいよー」
大地は自転車通学のため、一度駐輪場へ寄る必要がある。一方、四季は家が近く徒歩で通っているため、教室を出てすぐの廊下で別れた。
大地が二階まで下りた時、後ろから肩をトントンと叩かれる。
「平くん、ちょっといいかな」
続いて聞き覚えのある声が耳に届き振り返ると、そこにいたのは天音だった。
「一星か。どうかしたか?」
「今から少し時間あるかな?」
天音は澄んだ声でそんなことを言う。
大地は朝の一件のような、慌てた様子のない天音に軽く安堵する。
「あぁ、少しなら問題ないよ。ただ、その前に四季に連絡しておきたい。外で待たせてるから」
「分かった。じゃあこっちも手短に済ませるね」
そうして四季に連絡を済ませた大地を天音は手招きしてから誰もいない空き教室へと誘導した。
「ごめんね。あまり他の人には聞かせたくない話だから」
教室のドアを閉めてすぐ、天音は大地にそう説明する。その言葉から察するに、込み入った内容なのだろう。そしてそれをこのタイミングで大地に話すということは、朝の一件と関係があることは明白だ。
「朝のことなんだけど、本当にありがとう。私、突然のことで焦っちゃって」
「いや、たいしたことはしてないよ。ジャージを貸すのは男子にしかできない提案だし、一星が困るのは仕方なかった」
「えっと、そうじゃなくって。……あの時、普段はこんなことないんだって言ったの憶えてる?」
「あぁ、憶えてるよ」
天音があそこまで焦った姿を大地は見たことがなかったため、本当に珍しいことだったのだろうなと思いサラッと聞き流した言葉だ。
「本当は、本当はああいうことたまにあって。抜き打ちテストの時とか、急に話振られた時とか……。その度、同じミスをしないように、たくさんたくさん練習して自分なりの答えを用意してるんだけど、予め準備ができていないと焦っちゃって……」
大地はわざと軽い口調で話す天音の気遣いを感じながら、ただじっと彼女の話に耳を傾け続けた。
「こんな感じになっちゃったのは中学から。私、中高一環の女子高に通ってたの。質の高い効率的な授業が組まれていて、みんなが私より飲み込みが早くて、勉強ができた」
現在この学校ではぶっちぎりの一位を独走する天音が、別の学校では最下位をひた走っていた。
大地たちの通う高校も進学校であるため、決してレベルは低くない。しかし、現在トップの天音が最下位になってしまう学校となれば、本当にひと握りの逸材だけが通う学校なのだろうと大地は考える。
今の天音しか知らない大地からすれば現実とは思えない話だが、それでも彼女がこんな冗談を言うはずがない。
「だから、どんな時でも一番正しい答えが求められる環境で、私が成績を上げるにはどうすればいいか考えて、なんでも事前に準備するようにしたの。そうしたら成績は真ん中ぐらいまで上がったけど、そのせいか予め想定していないことには対応できなくなっちゃって……」
周りの生徒に追いつき、追い越すために何事にも準備を怠らないことに慣れてしまった彼女は、今度は事前に準備できていない物事に対して最適な方法を考えすぎるあまり、瞬時に判断することができなくなってしまったと話す。
一点の差が優劣を決める、そんな厳しい環境で育った彼女だからこそ生じてしまった致命的な問題と言えるだろう。
「だから、その、この問題を解決する方法を一緒に考えてくれないかな……」
話し始めより語尾が弱々しくなってしまった彼女は、それでも大地から目を離さずにじっと答えを待っていた。
「申し訳ないけど、その方向では力になれない」
しかし、大地は呆気なくその願いを断った。
「そっか、分かった。ごめんね、突然こんな話聞かせちゃって」
答えを聞いた彼女は、照れ笑いを浮かべながら大地に謝罪をする。
きっと自分自身もあまり思い出したくない過去の話で気持ちは浮かないだろうが、そんな状況でさえも大地を気遣う天音。そんな彼女の思いに応えるため、大地は口を開く。
「少し話が食い違ってるみたいだ。俺が力になれないのは、あくまで対処法を考えることに関してだよ。この学校で一番頭の良い一星がずっと考えても答えが出ない問題なのに、俺なんかがその答えを見つけられるとは思えないからな。だから、その方向では力になれない」
今度は誤解が生まれる余地がないよう、一つ一つ丁寧に伝えていく。
「“その方向では”ってことは、なにか別の方向があるの?」
大地がその部分を強調するものだから、天音は期待するように問い返す。
「あぁ。と言っても、一星が答えを見つけるまでの延命治療みたいなものだけど」
そこで大地は一度言葉を切り、言うかどうか迷いながらも、それでも天音を自分が手助けできるならと、ある“二つ”の理由で照れる気持ちを押し殺して言葉を紡ぎ出す。
「――なにかあったら俺が代わりに対処する。一星はそれを見て自分でどうすればいいか答えを見つけ出してくれ」
大地はそう言い切るよりも早く、天音から右下に視線を外す。
大地が照れる理由。その一つは、この提案は二人が行動を共にしていることが前提であること。
そしてもう一つは、この提案は解決への手助けではなく、あくまで解決への糸口を見つけるための手助けにしかならないことだ。
特に問題なのは前者の方だろう。距離感を間違えれば周りから『天音と一定の距離から離れない厄介なひっつき虫』という扱いをされかねない。
これを自分から提案したのはやはりまずかっただろうか。大地はそう思いながら、ちらりと天音の表情を窺う。
すると彼女はぱあっと笑顔を浮かべた。
しかし、次の瞬間には真剣な顔つきに変わり熟考し始める。きっと彼女の頭の中では大地が持ち出した提案が自分のためのものであることや、それによって得られるもの、周りからの期待に反しないかどうかなど、様々なことが計算されているのだろう。
大地は彼女の思考を邪魔しないようじっと待つ。
「ん……。えっと、じゃあお願いしてもいいかな?」
一分ほど考えた天音は顔を上げるとそんな返事を返した。あまり良い提案ではなかったように思えるが、よほど切羽詰まった状況なのだろう。天音は大地自体や、彼の突発的な出来事への対処スピードを信用したのか、少し恥じらいながら提案を了承した。
「でも、なにか私にも手伝えることない? 助けてもらいっぱなしは気が引けるから」
彼女の性格を考えると、一方的に手を借りるのは嫌なのだろう。
「じゃあ勉強を教えてくれると助かる」
「分かった。どの教科?」
「英語と、数学と……」
「英語と数学かぁ、つまずくところ多いもんね~」
「現代文と、古典と……」
「……ん?」
「世界史と、地理と」
「えっと……“いくつかできません”みたいな言い方してるけど、要するに全部ってこと?」
「副教科以外はわりと瀬戸際まで来てる」
「明日から始めよっか」
微笑を浮かべてそう告げてくる天音に対し、大地は力なく応じた。
「……はい」
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