第29話 悪夢


 漆黒の闇の中で、紅く揺らめく光が見えた。

 あれは――。

 短剣が走り、喉を切り裂いた。悲鳴を上げたが、泡立つ音しかしない。

 頭を焼く痛みの中、息が出来ずに膝を付いた。

 苦しくもがく中、赤い炎だけは消えることがなかった。


 突然痛みは消え、炎のみが闇の中にある。

 次の瞬間、腹に鋭い熱さが走った。

 この感覚は刺された時と同じもの。落とす視線に剣が突き刺さっているのが見える。

 その剣が横に動いた。痛みに意識は焼かれ、分断された腹からは大量の血が溢れ出し、そのまま崩れ落ちた。

 腹を裂かれても簡単には死ねないのか。激痛の中、暗い空を見上げるしかなかった。


 紅い炎はそれでも消えない。

 腹の痛みが消えた途端、頭に強い衝撃が走った。

 目の隅に捉えたのは、棍棒に鋭利な重しを付けた武具、メイスだ。重しに付く血は――。

 今度は痛みを感じる間もなく、そのまま崩れ落ちる。


 紅い炎は消えない。

 走りくる戦鎌はゆっくりと見えた。

 それが肩口に撃ち込まれる。鈍い音と鋭く貫く痛み。腕は動かず膝を付いた。痛い、熱い。

 血塗られた戦鎌が再び振り上げられ、首筋に撃ち込まれた。


 紅い炎は消えない。

 大きく湾曲した短刀が、頬を深く切った。口の中に錆の味が広がり、熱い痛みが貫く。

 咄嗟に手で顔を守るが、その手にも容赦なく刃が振るわれる。

 指が飛ばされ、蹲ろうとするところを顎から額に斜めに斬り上げられた。

 のけ反るその目に刃の先端が見えた。


 紅い炎は消えない。

 槍、斧、鈍器、何度殺されたか分からない。気がおかしくなるほどの苦痛に晒された。悪夢と現実の境界が分らなくなる。

 意識は不意に引き上げられた。

 目の前にいるのは、カナン。悪夢と現実が分離する。


「大丈夫か、少し休ませたつもりが四日間も寝込んでいた」

「四日、四日も寝ていたのか」

「それに、えらくうなされていたな」

「変な夢を見る」


 いつの間にベッドに横になっていたのか、身体を起こした。

 胸に突っ張るような感覚と疼痛はあるが、眩暈は収まっている。

 着ている服も白く、サラたちが聖符と呼んでいる幾何学模様が描かれていた。


「ありがとう」


 思わず声に出た。その言葉に、カナンが笑みを見せる。


「構わん。それより、変な夢か。しかし、その言い方では思うところがありそうだな」


 思うところ、確かにそれはある。

 紅い炎のような光、それに殺しに来る様々な武具。

 仁の印綬は赤だと聞いた。そして、それは武器に形を変えるとも。

 そうなれば、悪夢を見せているのは、仁の印綬ではないのだろうか。


「どうしてそう思うのだ」

「ルクスを感知できず、見えないはずなのに見ることが出来た。それは印綬の影響だろうと言われた」

「だから、その悪夢もそうではないかと、考えたということか。しかし、昨日おまえの意識を覗いた時には、そのような様子は感じられなかったが」


 カナンが無造作にその手を伸ばした。

 再び頭の中がかき回される。意識の底に沈んでいた幼い頃の記憶が、泡沫のように浮かび上がっては消えていく。


「なるほど」


 今度は長い。一体どのくらい続いたか、

 カナンが手を離し頷いた。


「印綬は関係ない。印綬はいわば聖物だ。人を襲うことはない。しかし、印綬を媒介に微弱な妖気がそっちの世界にも浸透をしたようだ。その妖気が、おまえに悪夢を見せたのだろう」

「妖気」

「哀しみ、苦しみ、負の思念が固まり、妖気となる」


 それでは、幾度も殺される夢はこの世界の現実。この世界で殺された者の記憶。


「心配するな。じきにその夢は見なくなる」


 あっさりと言うと、

「それより、天意が下った」

カナンが顔を寄せる。


「外西守護領地に行け」


 何だ、それは。


「レイムにも同じことを言われた。天意が下りたと。その挙句がこれだ。藤沢はこの見知らぬ世界で殺された」

「天意を聞き入れられないと」

「向わなければ、藤沢は死ななかった。今は、坂本と合流をしたい」

「向ったからこそ、全員が死なずに済んだとも考えられる。印綬の者、四人の守護ほど強いものは無い」


 あのラミエルの強さ。確かにそうかもしれない。しかし――。


「心配するな。この件に関与する者は、全て外西守護領地に集められる。その坂本いう者もそこに来る」

「無事にか」

「他人よりも、まずは自分の心配をしろ。その者に守護は付くが、おまえは一人だ」

「坂本が無事ならば、構わない。外西守護領地にはどう行けばいいのか、教えてくれ」

「焦るな、まずは服を着てみろ」


 カナンが言うなり、目の前に服が現れる。

 深い青い色の服だ。


「着ていた服は」

「あれは駄目だな。斬られている上に、血で汚れている。代わりにロザリスの服を用意した。これならば、少しは身体も護ってくれるだろう。それと、身に付けていた武具はそこにある。着替えたら、隣の部屋に来い」


 カナンの視線の先、ベッドの横のテーブルには肩当てと手甲が見えた。

 ここは、言葉に甘えるしかない。

 カナンが出ていくのを見送り、隆也は着ていたガウンのような服を脱いだ。


 その下には白い布が体中に撒かれている。そして、その布には精緻な文様がびっしりと描かれていた。

 これも聖符のようだ。不気味だが、外すわけにもいかないな。

 布の上から青い服に袖を通した。


 形はアレクが用意してくれたものと同じだが、こちらの方が軽く感じられる。

 服の上に胸当てと肩当てを留め、その上から外套を羽織った。

 外套だけは以前のものよりも丈が長く、手を隠している。これならば、手甲を付けても目立つことはない。


 しかし、再び外西守護地に向えか。

 何が天意だ。

 何が創聖皇だ。

 創聖皇。

 いや、待て。もしかすれば――。


 暗闇の中、一筋に光が見えた気がする。

 考えに間違いがないならば、創聖皇というのが本当にいるならば。

 可能性はある。

 おれは床を蹴ると、部屋のドアを開けた。

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