27


 果朶かだは慌てて否定した。


「や、そういうわけじゃないけど。今日くらい、ゆっくり疲れを取ったらいいのにって思っただけ」


 彗翅すいしは僅かに瞠目し、次いで、頬を赤らめた。

「えっ果朶さま、まさか私の心配を……!? どうしましょう、嬉し過ぎて動悸が激しくなってきました。このまま口から心臓が飛び出しそうです、そうなる前にぜひとも籍を入れましょう!」

「いや入れないよ、あんたなんでそうなるわけ?」


 花火を湖門こもんに運んでいくと、そこもまた、忙しなく動き回る綺羅晶掘りたちでごった返していた。

 花火玉の設置点が適切か確認するため、荒野に這いつくばって測量具を広げている者がいる。

 水桶を乗せた荷台が忙しなく行き交って、その合間に、手順の最終確認をしたいからと、〈東濠とうごう〉所属の綺羅晶掘りたちが訪ねてくる。


 天涯山てんがいさんに陽が沈み、よく晴れていた青空が桔梗色ききょういろのそれへと変わると、喧騒はますますうねりを増して、すいの底に轟くかのようだった。


 花火が打ち上がるところを間近で見たいと、子どもたちが湖柵まで寄って来るのを、危ないから下がっていろと、綺羅晶掘りたちが追い返す。

 廻廊では、酔っ払った大人たちが陽気な声で唄を歌い、手拍子を叩きだす。彼らに負けじと、ますます声を張り上げる屋台や菜館の売り子たち。


 華灯や灯篭に火が灯り、それが天涯山の麓まで続くさまを荒野から見上げていると、まるで光の峡谷に立っている気分になった。


「おい、果朶。お前、今年はもういいぞ」


 不意に、ただでさえ暗くなっていた手元に影が差して、果朶は怪訝に顔を上げた。

 果朶はその時、三十分後に花火の打ち上げを控えた湖門の外で、導火線の具合を見ていたところだった。


 凜と目が合う。彼は、片側しかないその瞳を、ちらと湖柵の方角に向けた。


「後はこっちでやっとくから。嬢ちゃんを案内してやれ、祭りの夜に一人だと危ないだろうし」


「はぁ?」


 素っ頓狂な声が出た。

 凜の視線を追ってみれば、彗翅が、厭朱えんじゅ喜婆きばあと何事か話し込んでいる様子が見てとれる。

 元々〈望淵〉に馴染んでいた彼女は、今日一日で、もう十分すぎるほどに綺羅晶掘りたちに溶け込んだようだった。


「いや、やっとくって言うか。むしろ、これからが本番じゃん」

 事前に〈東濠〉と打ち合わせていた手順の通り、何百個もある花火玉の導火線に、順々に火を付けるのだ。

 安全への配慮はもちろんのこと、貴族たちから寄贈された花火玉は、打ち上げの順番を間違えれば失礼にもあたる。

 責任は重大で、綺羅晶掘りたちが最も神経をとがらせる段階だった。


 凜は首を横に振った。

「気にすんな。今朝、嬢ちゃんが手伝ってくれるって聞いた時に、厭朱の野郎の許可は取った。ま、要するに、二人で楽しくお出かけして来いってことだ」

 どうやら、最初からその心積もりだったらしい。


 果朶はふと思い至った。──そう言えば、彼は、果朶と彗翅のどちらが先に折れるのかという賭けで、果朶の側に賭けていた。


華々げげ慈々じじのことだったら、心配するな。あいつらには、俺がたらふく屋台の飯を食わせてやるって約束してる。ある程度花火の打ち上げが進んだら、連れ出すさ」


 にやりと笑って、凜は親指を立てている。そこまで根回しするなんて、一体いくら賭けたのだろう。


「あの子と俺が『お出かけ』するのは、なんか違う気もするんだけど」


 果たして彗翅は望むだろうか。

 月季館のメイだって、いくら贔屓の役者でも、実際の『お出かけ』に誘われたら困るだろう。彼女には彼女の職と、守らなくてはならない商標がある。

 彗翅にしたって、『結婚したい』という情熱は偽りではないにせよ、果朶に嫁ぎたいわけではない。


 凜は業を煮やしたように、果朶の腕をがしっと掴んだ。そのまま、彗翅たちがいるところへ、ずるずると引っ張っていく。


「お前さ、意外と拗らせてるよな。もういいからとっとと行けよ、お前が案内しないなら、嬢ちゃんもずっとここで花火を打ち上げる羽目になるんだぞ。おーい嬢ちゃん、果朶の野郎を祭りに連れて行ってくれ。こいつ、朝からなにも食べてないんだ」


 彗翅がこちらを振り向いて、連行されてくる果朶を認め、驚いた顔をした。凜はその隙を見逃さず、果朶と彗翅をまとめて湖門から押し出してしまう。


 最後の花火が上がるまで帰ってくるんじゃねぇぞ! と凜に叫ばれ、二人は顔を見合わせた。


「……あー、その。なんかごめん」


「いいえ。きっと、気を遣われてしまったのですね」

 

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