77 新たなグリモワール

 セティは引っ張られて扉の内側に後ろ向きに倒れ込む。伸ばした手は虚しく、扉は閉まってセティの名を呼ぶソフィーの姿は見えなくなった。

 尻餅をついて、慌てて立ち上がる。扉の内側は見覚えがあった。真っ黒い髪のドゥジエム・グリモワールがごちゃごちゃと物が溢れた部屋の奥にいる。そう、ここはドゥジエムの部屋だ。


「ここは……」


 セティが状況を把握する間もなく、また扉が開いた。


「じゃあ兄さん、ありがとう」


 セティのすぐ隣に立っていた金髪の少年が、ドゥジエムに向かってひらりと手を振ると、セティを扉の外に向かって突き飛ばした。

 よろけて扉の外に出たセティは、けれどすぐに体勢を整える。


白輝の一角獣リコルヌ・リュミヌーズ!」


 セティの言葉とともに、輝く銀のたてがみの一角獣リコルヌが現れ、セティの背丈よりも長い槍となってセティの手に収まった。

 ゆっくりと扉から出てくる金髪の少年に向かって、その槍が突きつけられる。少年の背後で、扉が閉まり、消える。

 少年は突きつけられた槍に怯む様子を見せなかった。何回か瞬きした後に両手を肩の高さにあげて首を傾けた。

 暗い金髪と、暗いオレンジの瞳。セティよりもいくらか高い背。年齢も、セティよりは上に見える。けれど青年と呼ぶにはまだいくらか幼いくらいだ。そして、どことなくセティに似た雰囲気の顔立ち。

 ドゥジエム・グリモワールを「兄さん」と呼んだのだから、この少年もグリモワールシリーズなのだろう。


(だったらきっと、敵だ……!)


 セティは油断なく、槍を構え続ける。


「ちょっと落ち着いて話をしようよ」

「こんな無理矢理連れてきておいてか!?」


 自分より背の高い相手に、セティは精一杯強がって、槍を突きつけたまま声をあげた。少年が何もできないように、睨みつける。


「ゆっくりと話がしたかっただけだよ。人間がいると、どうしても落ち着かないからさ」

「だからって、こんなの……!」


 セティは槍を構えたまま、周囲にも視線を走らせた。

 地面は苔むした土と岩だった。あちこちから草が生えている。その草が、どれもセティの背丈よりもずっと大きい。まるで木のように頭上を覆っていた。

 日当たりは悪く、じっとりと湿っぽい。空気は悪かった。


「もうわかってるかもしれないけど」


 槍の穂先がすぐ目の前にあることを感じさせない表情で、少年は言った。


「僕もグリモワールシリーズだよ。サンキエム・グリモワール、お前の兄」


 サンキエムと名乗った少年は、目を細めて首を傾けた。無邪気に見える顔だった。

 けれどセティは警戒を解かない。突きつけた槍はそのまま、サンキエムを睨み続けている。


「何しに来た」

「お前を迎えに来たんだよ、セティエム・グリモワール。でも、そのためには所有者オーナーの人間が邪魔だから、なんとかしなくちゃいけないんだ」


 その瞬間、セティは槍を大きく薙いだ。

 ソフィーやリオンと引き離されたことが、不安だった。心細かった。その気持ちは焦りになって、セティをいつもよりずっと攻撃的にさせていた。


「うわぁっ」


 状況にしては呑気な声をあげて、サンキエムは後ろに跳ねて槍を避ける。金髪がふわりとなびく。そして、危ないなあ、とどこか間延びした声を出した。


「ソフィーとリオンに何をした!?」


 セティが一歩踏み込む。サンキエムがもう一歩後ろに退がる。

 構えられたセティの槍を細めた目で見て、あはは、と笑う。


「今は破壊顎の大百足ミリパット・モルシュール・ブリズーズに相手をしてもらってる。シジエムがね、言うんだ、探索者ブックワームなんかみんな殺しちゃえって」

「させるか!」


 セティが大きく槍を突き出す。サンキエムはブックを取り出すと、目の前に放り投げる。


開けオープン守護の亀トルチュ・ガルディエンヌ


 そうして開いたブックは亀の姿になった。亀はその甲羅でセティの槍を受け止めたが、貫かれてしまった。

 それでも槍の勢いは削がれ、サンキエムの目の前で止まった。亀の輪郭がぼんやりと曖昧になって、砕けたブックの姿になって地面に落ちる。

 あっという間に知識の残骸になってしまったブックを、サンキエムはちらりとも見なかった。


「あーあ、壊れちゃった。危ないなあ」


 サンキエムは自分は何も悪いことなどしていないかのように、唇を尖らせてセティに文句を言った。

 そんな態度は、セティを余計に苛立たせた。


「今すぐに俺をソフィーのところに戻せ!」

「そんなに所有者オーナーのことが心配? それとも所有者オーナーに何か命令されてる? 人間の言うこと聞かなくちゃいけないなんて可哀想」

「うるさい! お前には関係ないだろ!」


 セティが槍を大きく薙ぐ。サンキエムはなんてことないように後ろに退がって槍を避けた。近くに生えていたセティよりも背の高い草が、槍の勢いに揺れて、薙ぎ倒された。

 また槍が突き出される。サンキエムはそれも避けながら、また一冊のブックを取り出した。


開けオープン守護の亀トルチュ・ガルディエンヌ


 サンキエムが放り投げたブックは、ぼんやりと光って亀の姿になった。セティの槍の穂先が、亀の甲羅に突き刺さる。

 セティがそれを払うと、亀はひび割れたブックの姿に戻って、地面に転がった。ブックはぼろぼろと砕けて、元の姿を失っていた。


「セティエムはブックを壊してばかりだね。シジエムが見たら怒りそう」


 無邪気に笑うサンキエムに、セティは腹を立てた。

 ソフィーはブックを大切に扱っていた、なのに。


(こんな使い捨てにするようなやり方!)


 セティは唇を噛んで槍を構え直す。

 その間に、サンキエムはもう一冊のブックを取り出していた。何か大事なものかのように、それを掲げてセティに見せる。


「それにね、ただ殺すよりも、もっと面白いことをしようと思ってるんだ」


 セティは払った槍の穂先を再度持ち上げる。その間にサンキエムは楽しげな声で命令をしていた。


開けオープン……」


 サンキエムの手のひらのブックがぼんやりと光を放つ。その光は二人の傍に集まって、やがて形が見えてくる。

 開かれたブック、その姿にセティは目を見開いて動きを止めた。




   第十三章 音迷の跳鳴虫(サウンドメイズ・クリケット) おわり

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