第9話 惚れ薬だけは作らない魔女




「わたくしに惚れ薬を売ってちょうだい」

「え? 惚れ薬って‥‥‥」


 惚れ薬とは、好きな人を惚れさせることの出来る、「恋する」魔女にしか作れない薬だ。効果は一時的だが、非常に強力な薬で、その薬を飲んだ人は本当に恋をしているかのような錯覚に陥ると言われている。


 ある意味危険だとも言える薬を、何故公爵家の娘が使うのか。


「用途は?」

「理由なんて知る必要ないでしょう。いいから、協力して頂戴」


 リディアは、有無を言わさぬ雰囲気をだしている。貴族らしい傲慢な態度に、リナリアは嘆息した。


「申し訳ないですが、私は惚れ薬だけは作らないと決めているんです」

「はい?」

「だから、他の魔女を当たって頂けませんか」


 「惚れ薬を作らない」というルールは、だいぶ昔‥‥‥ルカと出会う前に決めたことだ。


 「愛する人に愛を伝えると死ぬ」呪いにかけられているリナリアは、誰かと恋するための薬なんて作る資格がないと考えていた。


 それに、惚れ薬を家の中に置いていたら、うっかり誤飲して、うっかり誰かに愛を伝えてしまう可能性もある。

 そしたら、その「うっかり」で死んでしまうのだ。リナリアは、惚れ薬に対して慎重にならざるを得なかった。


「今回はご縁がなかったということで。他の魔女を当たってください」

「他の魔女がどこにいるか知らないんだもの。惚れ薬くらいいいでしょう? 売ってちょうだい」

「情報屋に別の魔女の紹介を頼んで下さい」

「嫌よ。あの男、好きじゃないんだもの。ものすごい金額の紹介料をふっかけてくるし」

「情報屋め‥‥‥」


 仮にも貴族相手に何やっているんだ、とリナリアは頭が痛くなった。この迷惑料はいつか払ってもらおう。


「それでも、私は惚れ薬を作るつもりはありません」

「あなたは、公爵家の人間の依頼を断るのかしら?」


 リディアの言葉に、リナリアはピタリと動きを止めた。彼女は縦ロールの髪を後ろに払って目を細める。


「公爵家が本気を出せば、魔女なんて、この地から追い出すことも造作もないのよ。そこらへん、分かっているかしら?」

「‥‥‥」


 つまり、リナリアは公爵家の敵として認識されるということだろう。別に今までも住処を追われることはあったし、魔法を駆使すれば公爵家から逃れることも簡単だ。けれど。


(ルカを巻き込むのは避けたいよな‥‥‥)


 ルカはリナリアの使い魔だ。前に情報屋が言っていた「使い魔は主人の側を離れることは出来ない」という原理が本当ならば、リナリアの逃亡にルカを巻き込むことになる。


 公爵家のお尋ね者として隠れて暮らすのは、ルカにとっても負担のはずだ。


 どうしたものかとリナリアが考えていると、ルカがその肩にそっと触れた。振り返ると彼は、リディアに目線を向けていた。


「リナリア様の敵は、俺の敵です。公爵家がリナリア様に敵対するなら、俺がリナリア様を攫って逃げます」

「何を、」

「俺は、リナリア様の“惚れ薬を作らない”という意思を尊重したいんです」

「ルカ‥‥‥」


 ルカと目が合うと、彼は少し照れくさそうに笑った。


「というか、リナリア様との逃避行なら大歓迎です。愛の逃避行‥‥‥なんて甘美な響きなんでしょうか」

「やっぱり大人しく惚れ薬つくろうかな」

「何故ですか?!」


 リナリアはルカとくだらない言い合いをする。完全に二人の世界に入ってしまい、リディアはついていけない。


「何なのよ、あんたたち‥‥‥」


 リディアの声に気づいて、二人は彼女の方を見る。彼女は俯いて、体を震わせていた。

 怒りに身を震わしているのかと身構えるが‥‥‥


「「えっ?!」」


 彼女が顔を上げたことで、警戒は驚きに変わった。彼女はボロボロと涙を流していたのだ。


「あんたたちなんて‥‥‥」


 涙が次々とこぼれて、彼女の拳の上に落ちていく。


「あんたたちなんて、私と違って、どうせ両思いなんでしょう! そのまま結婚して、子供を産んで」

「こども?!」

「おじいちゃんおばあちゃんになるまで一緒に暮らして、幸せになればいいんだわっっっ」


 彼女は机に突っ伏して、わーんと泣き始めてしまった。爆弾発言を投げられた方は、たまったものではない。


 リナリアがルカを振り返ると、彼も少し気まずそうな顔をしていた。


「えーと、とりあえず。紅茶を入れ直してもらってもいいか?」

「‥‥‥はい。分かりました」





⭐︎⭐︎⭐︎





 冷めてしまった紅茶を入れ直し、リディアを落ち着かせる。泣き止んだ彼女は、一気に紅茶を飲み干して、ガンッと机に叩きつけた。


「私の婚約者‥‥‥あの男は、浮気をしているのよ! だから、惚れ薬が欲しいの!」

「えっと、話が見えないので、最初から話してもらってもいいですか?」

「いいわよっ」


 リナリアが頼むと、彼女は勢いよく話し始めた。


 彼女の婚約者は、なんとこの国の第一王子らしい。リディアは、王子と年も近く、優秀であったことから、幼い頃に婚約者に選ばれたそうだ。

 彼女は王子の婚約者として相応しくあろうと日々努力を欠かさず、王子とも良好な関係を築いてきた。


「けれど、私が一度熱を出して夜会を欠席した頃からかしら。急に王子の態度がよそよそしくなったの」


 理由はすぐに判明した。リディアが欠席した夜会で、王子は一人の男爵令嬢と仲良くなったいたのだ。その日から二人は徐々に距離を縮めていき、王子の寵愛が男爵令嬢に移っていったそうだ。


 更に、男爵令嬢はリディアから嫌がらせを受けていると嘘の訴えを始めた。


 “お気に入り”の男爵令嬢から何度も訴えられれば、王子も疑念を持ち始める。リディアと王子の仲はどんどん拗れていってしまったらしい。


 最初は二人の関係を黙認していたリディアだったが、流石に我慢出来なくなり、その男爵令嬢を呼び出すことに。

 そして、「こんなことやめてほしい」とお願いした。すると、男爵令嬢はこう言ったのだ。


『えー? そもそも貴女に魅力がないのが原因じゃないですかあ?』


 カッとなったリディアは、男爵令嬢を平手打ちしてしまった。


 最悪なのは、その場面を“たまたま”通りかかった王子に見られてしまったことだ。話通り男爵令嬢を虐めていたのかと、王子はリディアを責めた。


 その間、男爵令嬢がリディアにだけ見えるようにニヤニヤ笑っていたのに気づかずー‥‥‥



「私の信用は失われてしまったわ。彼は次の夜会で私に婚約破棄を言い渡すつもりみたい」

「だから、王子を惚れさせて、婚約破棄を止めたいと?」


 リナリアの問いに、彼女はコクリと頷いた。遠い世界の住人である貴族の愛憎に、くらくらしてきた。処理が追いつかない脳をフル回転して、リナリアは尋ねた。


「そんなに婚約破棄したくないんですか?」

「本当なら、あんな女に騙される男なんて、こっちから願い下げよ。けれど、公爵令嬢として引き下がれないの。だから‥‥‥」

「事情を知っても、私は惚れ薬を作りません」

「報酬は、公爵家でしか手に入らない魔術書でも?」


 リナリアは彼女の言葉にピタリと動きを止めた。

 地方とは違って、王都は魔法使いと人間が共生しており、魔法の発達が盛んである。リナリアの知らない魔法がある可能性は十分ある。


「‥‥‥提案があります」


 あまり気乗りはしないけれど。リナリアは苦渋の決断をした。


「私を、その夜会に連れて行ってもらえませんか?」


 そして、リナリアは一つの作戦を提示した。

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