第6話 いびつな事情



「ふぃー、食べた食べた。やっぱり、中華料理といえば餃子の角行に限るねぇ」


 陽斗の隣を歩くリサが、そう言って満足げにお腹をさする。

 ちらりと横目に表情を伺ってみるが、やはりその顔は満足感で緩み切っている。外見年齢よりも一回り幼さを濃く滲ませたその顔は、とても〈フォーヴス〉なる化け物と渡り合った存在と同一人物には見えなかった。


「ハルト君もちゃんと食べたー? 側から見た感じ、なんか遠慮してたような気がするけど、ちゃんとお腹膨れた?」

「は、はい、大丈夫です。ごちそうさまでした、リサさん」

「んむ、くるしゅうない……って、そんなに何回も言わなくていいよ。あたしがやりたくて奢っただけなんだから」


 店を出る前から幾度となく繰り返したやり取りを交えつつ、二人はとっぷりと日の暮れた住宅地を静かに歩いていく。



 道中、陽斗は意図せず足先に転がっていた小石を蹴る。

 からからと石の転がる音を聞いた陽斗は、不意に気になることを思い出して、リサに尋ねることにした。


「……そういえば、さっきリサさんが戦ってた時、けっこう派手に道路とか壊れてましたよね。アレって、どういう扱いになるんですか?」

「ん? あー、戦闘の痕か。まぁ、よっぽどのものじゃない限りは基本的に放置かなぁ」


 陽斗の予想を裏切って、リサはあっけらかんとそう言い切る。


「いいんですか、放置で?」

「いいも何も、魔導機士の仕事は壊れたものを治すことじゃないからね。人的被害が出たなら話は別だけど、今回みたいに路面が剥げたりしたくらいなら、魔導機士が何かをどうこうすることはないんだ」

「でも、それだと騒ぎになったりしません?」

「まぁ、なる時はなるかな。でも、戦闘そのものは〈人避けの魔法〉で普通の地球人には認識できないようになってるし、誰も壊れた瞬間なんて目撃してないからね。どこの世界でも人間なんて適当なもんだから、仮に誰かが気にしたとしても、せいぜい『いつからかわからないけど壊れてた』くらいにしか思われないんだよ」

「そ、そういうものなんですね……」


 そういうものだよー、と笑うリサに対して、魔法的な何かで解決しているという返答を期待していた陽斗としては、やや釈然としない気持ちだけが残る結果となった。




 それからもう少し歩いたところで、今度はリサが思い出したように口を開く。


「あ、そうそう。さっきの話の続きなんだけど、アレートへ渡るのはもう少し後になると思うんだ」

「そうなんですか?」

「うん。むこうへの連絡や申請手続きもあるし、こっちの学校とか役所なんかにも根回ししないといけないからね。といっても、ハルト君の場合はそもそも進学しない予定だったみたいだし、学校に関してはノータッチでも大丈夫なんだけども」

「あー……やっぱりその辺はめんどくさいんですね」

「そりゃまあ、こっちの世界の人たちはアレートのことなんて知らないわけだしね。どこへも何も言わずに世界からいなくなるんだ、下手に拗れたら色々よくないものが残っちゃうからね」


 めんどくさいけど必要なんだよー、と、リサは困ったように笑う。

 面倒ごとであることは容易に理解できるが、実際にかかる労力まで推し量ることはできない。なので陽斗は、なるほどと納得の首肯だけを返すに留めておいた。


「ともあれ、そういうことだから、何日か待っててくれる? 正式に手続きが終わったら、また迎えに来るからさ」

「わかりました。……あ、でも俺、携帯とか持ってないんですけど、どうしましょう?」

「あれ、そっか。なら、あたしが直接お家まで迎えに行くよ。この先で合ってるんだよね?」

「はい。あそこの家です」


 そう言って陽斗が指差した先には、小綺麗な一戸建てが建っている。

 通りに面した雨除け付きの駐車場に加えて、周囲を囲う塀の配置から見るに、小さいながら庭も備わっている。一戸建ての密集する住宅地の建物としてはかなり広い敷地を持つ建物であることが、外見からも窺い知ることができた。


「おー、立派なお家なんだねぇ。しっかりした庭もついてるなんて、今どき珍しいね」

「そうですね。まぁ、あんまり使われてないんで草とか伸び放題ですけど」

「えー、もったいないなー。ちゃんと整備してあげればいいのにね」


 残念そうに口を尖らせるリサに、曖昧な笑顔で同意した陽斗は、「ともかく」と話を切り替える。


「そういうわけで、ここが俺の住んでるところです。遅くてもだいたい4時半くらいまでには帰ってくるんで、そのくらいに待っててもらえれば会えると思います」

「おっけー、話がまとまったら迎えに来るよ。……なんにせよ、今日はお疲れ様。いろいろ振り回しちゃってごめんね」

「こちらこそ、話をこじらせちゃったみたいで、すみません。――それじゃ、また今度」

「うん。おやすみ、ハルト君」


 ひらひらと笑顔で手を振るリサに会釈してから、陽斗は家の敷地へと入る。

 玄関扉の前に立ち、懐から鍵を取り出しながら、ちらりと後ろを顧みた陽斗の目には、後ろ手に腕を組んでハルトを見やるリサの姿。陽斗の動向を見守るように立っていたリサは、振り向いた陽斗の申し訳なさそうな表情を見てか、不思議そうに小首をかしげた。


「ん、どうしたの?」

「あ、いや。……別に、見てても面白いものなんて置いてませんよ?」

「そう? なら、お姉さんは一足お先に失礼しようかな」


 やや疑問符を浮かべながらも、リサは促されるまま、くるりと踵を返す。

 家の前から離れていくリサの姿を確認した陽斗は、鍵を開けて玄関の扉を開ける――ことなく、その傍らにあるへと、静かに足を踏み入れた。



 

「……ハルト君、なんで庭に回ろうとしてるの?」


 直後、酷く聞き覚えのある声が背中を撫でて、陽斗はびくりと身をすくませる。

 反射的に振り向けば、そこには塀の向こうから顔を覗かせ、怪訝な表情を浮かべるリサの姿があった。


「あー……いや、こっちに合鍵が置いてあるんですよ」

「ふーん? じゃあ、今君が手に持ってるそれは何のための鍵なのかな?」

「これは、その。じ、自転車の鍵です」

「そっかー。でも君、会った時もここまで来るときも、自転車なんて乗ってなかったよね?」

「え、駅に停めてあるんです。今日はその、急いで帰って来たんで忘れてきちゃって」

「あらら、それは残念。でも、君の通ってる学校って、ここから一番近い駅とは反対の方向になかったっけ?」

「ぐ……」


 説明いいわけに窮して、うめき声と共に押し黙ると、リサは呆れ調子に小さなため息を漏らした。


「……キミの事情はさっき聞いてるから、隠さなくてもいいんだよ。怒らないから、話してごらん?」


 柔らかくも、言い逃れを許すまいとするような声音を受けて、陽斗は観念したように玄関口へ戻っていく。

 そのまま、リサの見守る中で玄関の鍵を取り出し、扉を開錠。ノブを回して、扉を引き開けた――というところで、がづんっ、という衝撃音が響き渡った。


 何事かとリサが確認すれば、中途半端に開かれた玄関扉の隙間から姿を覗かせていたのは、鈍色に輝く。ぴんと伸び切ったそれは、陽斗の進入を許さないと言わんばかりに、扉を縫い付けて離そうとはしなかった。


「こういうことです。……店の中でさっきの話の続きですけど、伯母さんにとって俺は厄介者で、いてもいなくても変わらないものなんですよ」

「……だから、閉め出してるの? 仮にも後見人なのに?」

「いやいや、完全に締め出されてるわけじゃないですよ? 伯母さんが居ない間はチェーンもかかってないし、使ってない部屋を自分の部屋にさせてもらったりしてますから」


 慌ててフォローする陽斗だったが、当のリサはかくりと俯いたかと思うと、握りしめた両の拳をわななかせる。

 かと思えば、勢いよく振り上げた顔に憤怒の表情を宿して、路地へと転進。そのまま、玄関口の門柱に備えられていたインターホンを、殴りつけるように叩き押した。


「ちょ、何を……?!」

「ちょっと静かにしててね。お姉さんは、大人としてやらなきゃいけないことがあるから」


 言いようのない迫力を滲ませたリサに気圧されていると、インターホンのスピーカーがかすかな音を鳴らす。


《……はい、どちら様でしょうか?》


 そこから聞こえてきたのは、まだ若い部類に入りそうな女性の声。気だるげな雰囲気を隠そうともしないその声の主に向けて、リサはインターホン越しににこりとした笑みを――隠れきれていない怒気混じりの笑みを浮かべた。


「夜分にすみません。わたくし、さる教育機関から派遣されてまいりました者でございます。こちらにいらっしゃる柏尾陽斗さんのことに関して、後見人様にお話があるのですが……少しだけお時間いただけないでしょうか?」


 気さくな女性という陽斗の印象から一転した慇懃な態度で、リサはインターホンへと話しかける。

 一方、インターホンの向こう側に居る女性、こと陽斗の伯母は、やや間を置いたのち、やはり気だるげな声で返事を口にした。


《アレなら居ませんよ。適当にその辺でも探してみればいいんじゃないですか》

「いいえ、彼本人ではなく貴方様にお話があるんです。どうしてもというのでしたらインターホン越しでも構いませんので、少しだけお時間を頂けませんか?」

《……はぁ。手短にしてください。こっちも仕事で疲れてるんです》


 その言葉で、リサのこめかみにぴしりと青筋が浮かんだのを、陽斗は見逃さなかった。


「では、手短に。――こちらのハルト君ですが、私の所属する教育機関からの推薦がありまして、近々遠方にある別の学校へと編入させていただくことになりました。つきましては、生徒保護の義務に基づきまして、ハルト君はこちらの方で預からせて頂くことをご報告させていただきます」


 やはり有無を言わせない威圧感を滲ませながら、一息に要件を並べ立てる。

 よもや、顔すら合わせたこともないような人物から、突然そんなことを告げられるとは、伯母も思っていなかっただろう。そんなことを陽斗がぼんやり考えていると、インターホンの向こうからは「はぁ」という生返事が聞こえてきた。


《どうぞ、ご自由にしてください。あ、手続きとかあるならそこのポストに適当に書類を突っ込んでおいてもらえばいいので、のことはそちらにお任せします。……じゃ、失礼しますね》


 続けてインターホンから響いた言葉に、今度はリサが面食らう。

「なっ」と声を漏らしたその直後には、インターホンはガチャリという音を鳴らして沈黙。その場には、いたたまれない気持ちの陽斗と、怒気のやり場を失ったリサだけが残されていた。


「……あー、なんかごめんなさい。伯母さん、こういうのは基本ドライな人なんで」

「ドライで済ませちゃダメでしょ!!」


 陽斗のフォローに、我慢の限界とばかりにリサが声を荒げる。


「ねぇキミ、ここまでされて何であの人の肩持つの?! あの人がやってる事、立派な虐待で、ただの無責任なネグレクトなんだよ?!」


 猛烈な剣幕で、リサが陽斗の肩を掴むが、対する陽斗は気圧されつつも、しっかりとリサの目を見据えていた。


「それでも、俺のことを引き取ってくれたのは、伯母さんだけなんです。たしかに、伯母さんは両親の遺産が目当てで、俺のことは余計なオマケ扱いでした。でも、他の親族みんなが色んな理由で俺を拒んだ中で、伯母さんだけは、俺のことを引き取ってくれた。……そんな人を、悪くなんて言えませんよ」

「ッ……」


 陽斗が静かにそう言い切ると、リサは悲痛な面持ちのまま、陽斗の肩から手を離す。

 そのまま数歩下がり、目元を覆って天を仰ぐと、はぁっと大きなため息を吐き出した。


「……そっか。ごめんね、ハルト君。人様の事情に首突っ込むなんて、大人失格だね」

「そんなことないですよ。――ありがとうございます。俺のために、そこまで怒ってくれて」

「はは……そういうこと言われるあたりが大人失格なんだけどなぁ」


 自嘲の笑みをこぼしたリサは、自分の両頬をぱちんとはたくと、表情を切り替える。


「ま、何にせよそういうわけで、キミのことは急遽あたしが引き取ることになったからね。ハルト君の意見も聞かずに申し訳ないけど……」

「いえ、俺は大丈夫ですよ。……えっと、それじゃ住むところってどうすれば?」

「一駅くらい離れたところに、あたし達魔導機士がこっちで活動するためのセーフハウスにしてるアパートがあってね。君さえ差し支えなければ、学校を卒業するまではそこに住んでもらうことになるかな。不便かけることになって悪いけど、しばらくは我慢してもらえるとありがたいな」


 どこか弱々しさの残る声音でそう告げるリサに、陽斗は心配をかけまいと笑顔を見せる。


「充分ですよ。向こうの学園に行ったら、寮生活になるんですよね? だったら、その予行演習にでもしようと思います」

「ん、そうだね。……ごめんね、気を使わせちゃって」

「とんでもない。……こちらこそ、本当に色々と、ありがとうございます」


 抱えていた色々な感情がないまぜになった感謝の言葉が、陽斗の口をついて出る。

 そこにこもった思いを感じ取ったのか、リサは困ったように眉尻を下げて、どこか苦々しい笑みだけを浮かべていた。

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