第21話Christmas rose
気付けば時刻は22時をまわっていた。いつもならバイトが終わるくらいの時間だ。俺は松本奈緒に借りた服を洗濯機にかけながら、ぼんやりとテレビを眺めていた。どうやら今年二つ目の台風、しかもかなり大型のやつが近ずいてきているらしい。
また雨が降るのかと、ややうんざりした気分になっていた俺は、充電ケーブルを繋いで床に置いているスマホが振動している事に気が付いた。スマホを手に取り画面を見ると、数日間連絡の取れなかった清水凛華の名前が表示されている。俺は慌てて通話ボタンを押し、スマホを耳に当てた。
「もしもし?清水」
「あっ、先輩。今日はバイトじゃなかったんスか?」
「いや、まあ色々あってな⋯クビになった」
「そうだったんスね」
電話の向こうで彼女が車のエンジンをかける音が聞こえる。
「迎えに来てくれてたのか?」
「はい、でも会えなかったっスね」
「悪い⋯」
「先輩は謝らなくていいっスよ、ボクが勝手に迎えに来ただけっスもん」
凛華の声にはいつもの明るさが無く、どこか寂しそうな感じがした。スピーカーに切り替えたのか、少しだけ声が遠くなり、代わりに車の走行音が聞こえてきた。
「先輩」
「なんだ?清水、お前様子が変だぞ。何かあったのか?」
「えへへ、やっぱり先輩はボクの事を一番分かってくれてるっスね」
「そんなの当たり前だろ、時間ならあるから今から会って話すか?」
「いや、今日は電話で大丈夫っス」
そう言った彼女の声は涙声に変わっていた。少しの間沈黙が続き、車の走行音とたまに鳴るウインカーの音だけが聞こえてくる。凛華に何かあったのは間違いなさそうだ。彼女が人前で泣く姿なんて、俺は一度も見たことがない。
「先輩⋯」
「大丈夫か?」
「ボクは小さい頃からずっとひとりぼっちで、きっと大人になってもずっと一人で生きていくんだなって、そう思ってたんスよ」
涙声に混ざって、時折鼻をすするような音も聞こえる。
「でも、バイト先で先輩と出会えて、一緒に働くうちに仲良くなれて⋯やっとボクの事を理解してくれる人と出会えたって、そう思えて。ボクの人生は先輩のおかげでひとりぼっちじゃなくなったっス、だから⋯」
「⋯だから?」
彼女はそこまで言って再び押し黙った。部屋に洗濯機のピーピーという音が響き渡るが、今はそんな事どうでも良くて、ただひたすら彼女の次の言葉を待つことしか出来なかった。
「だから、ボクは先輩にこれ以上迷惑かけたくないっス」
「どういう事だよ?俺は清水の事を迷惑だなんて思った事は一度もないぞ」
「えへへ、やっぱり先輩は優しいっスね」
「何かあったんなら俺に言えよ、一緒になんとかしてやるから」
「ダメっス、さっきも言ったっスけど、ボクはこれ以上先輩に迷惑はかけたくないっス。だから、もう今日で先輩とはお別れっス」
「お別れってなんだよ?清水は⋯」
いつでも俺の味方でいてくれるんじゃなかったのか?そう言おうとして、俺は言葉を飲み込んだ。
「先輩、ボクはいつでも先輩の味方っスよ」
俺の心などお見通しと言った感じで、彼女はそう言った。
「じゃあなんで⋯なんでお別れなんだよ」
「白いスポーツカーの噂、あれは半分は本当なんスよ」
「⋯えっ?」
「先輩はボクにかけられてる噂を、嘘だって証明したくて事件に関わってくれてるんスよね」
「ああ、そうだ。俺はお前が変な噂のせいで嫌な思いをするのだけは嫌なんだよ」
「じゃあ尚更、ここでお別れしなきゃっス。噂は全部が本当じゃないっスけど、でも半分は本当っスから」
「じゃあ、お前が連続不審死に関わってんのか?」
「残念ながらそうっス。だから、これ以上先輩と一緒にいると、余計に迷惑かけちゃうっス。ボクはそれだけは嫌だから、自分の事は自分でケリをつけるっス」
「お前は、人を殺しているのか⋯?」
「ボクは誰も殺してなんかないっスよ」
スピーカー越しに、彼女がアクセルを強く踏み込んだのが分かった。俺は凛華がどこか遠くへ行ってしまうような気がして、声を荒らげた。
「凛華!」
「えへへ、初めて下の名前で呼んでくれたっスね」
「凛華、そんな事良いからどこかに車を停めて、一旦落ち着けよ!」
「いいや、もうボクは決めたっス。先輩、覚えてますか?ボクがバイトで大きなミスをした時の事」
「⋯覚えてるよ」
「あの時も、お客さんが凄く怒ってキッチンに怒鳴り込んで来たのを、先輩がボクの代わりに怒られてくれたっスよね」
「ああ、そんな事もあったな。けど別に気にするような事じゃねぇよ」
「先輩は、きっとこれからも、ボクに何か悪い事が起きたらボクの代わりに嫌な思いをして、ボクを守ってくれる、ボクはそう思うっス」
「それで凛華が嫌な思いをしないで済むんなら、俺はそれで良いんだよ。だからお別れなんて悲しい事言うなよ⋯」
気付けば、俺も知らず知らずのうちに涙を流していた。でも今は泣いてる場合じゃない、俺は涙を拭って、再び凛華の名前を呼んだ。
「凛華!」
「先輩、いままで沢山ありがとうございました。ボクは⋯」
「なんだ?」
「ボクは先輩と出会えて幸せでした。そして、先輩の事が大好きっス。さようなら」
彼女がそう言った直後、耳を劈くような衝突音がスピーカーから聞こえてきて、彼女の声は完全に途絶えた。
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