第5話

 閻魔大王の王宮は南瞻部州の南、大金剛山の内にある。それは実に立派な王宮で城壁が七重になっていて、その広さは縦横六千由旬もある。一由旬が七.二キロメートルなので尋常じゃない広さということだけはわかる。


 私が王宮に着くとまず身体検査を受けるはめになった。私のような一介の獄卒が王宮に招かれることは稀であり上級獄卒と呼ばれるごく一部の鬼でしか王宮には入ることができないのだ。


「はい、口を開けて」


「はいはい」


 王宮で勤務する役人たちは言葉少なく私の体を隅々まで検査した。どうせなら花もはじらう乙女に検査してもらいたかった。いくつかのチェックを済ませた私はようやく閻魔大王の待つ閻魔の庁に案内された。閻魔の庁とは閻魔大王が亡者を地獄か天国どちらに送るか判決を下す場所で、亡者の生前のすべての行いをあらわす浄玻璃の鏡がある。


「貫徹か、よく来てくれた」


 閻魔大王に会うのは父の裁判以来であった。


「大王様お久しぶりです」


「父のことはまことに無念であった」


 閻魔大王が頭を下げそうになったので私は慌てて阻止する。


 我が父、冷徹斎宗徹を阿鼻地獄に落としたのは何を隠そう閻魔大王だ。天界から圧力をかけられ地獄で働く全ての獄卒の生活を人質にとられた閻魔大王は苦渋の判決を下した。しかし私は閻魔大王を恨んでなどいない。昔から私に親しく接してくれたし、父なき後も私の事を思いいろいろ根回しをしてくれていた。また罪滅ぼしのつもりかときどき大叫喚地獄に訪れては自ら罰を受けていると聞く。


「さっそくだが貫徹、頼まれてくれるか?」


「なんなりとお申し付けください」


「うむ。実はそなたに部署の移動を命じたい」


「部署移動ですか? どこに?」


 ――黒縄地獄か? 叫喚地獄か? もしや大叫喚地獄ではあるまいな。


「浮世に行って欲しいんだ」


 浮世と聞いて私は身体が震えた。私は何百年も前に許可をとらずに勝手に浮世を訪れて悪さを働いた。その悪行がばれていままで無期限の外出禁止を喰らうはめになった。


「ということは視察課ですか?」


「そうだ。実は視察課に一人欠員が出てな、いろんな部署に声をかけたが生きた人間を嫌う獄卒が多いからな、まぁ不本意ではあるが貫徹に白羽の矢がたったというわけだ。お主一年くらい行ってやってくれ」


「喜んで行かせていただきます」


 私は久しぶりの浮世訪問に心を躍らせた。さっそく準備してすぐにでも向かいたい。


「これは内密の話しだが浮世に着いたら、バカ息子の様子も見てきてくれ」


「二代目の?」


 閻魔大王は黙って頷いた。私もそれ以上は何も言わなかった。昼休み終了の放送が流れる。


「すまんな昼休みを無駄にしてしまった」


「いえいえ、これから職場に戻って仕事の引継ぎして参ります!」


 その場で駆け足すると閻魔大王は「時間はたっぷりあるから一か月かけて丁寧に引き継げばいい」と制したが、私にはその一か月がもどかしかった。


 閻魔大王に一礼して王宮を後にし駆け足で等活地獄に向かう。


 二代目に会える!


 私は身体がどんどん軽くなっていく感じがした。


 

 二代目が地獄を離れると宣言したのは、いつだったか。


 私が最後にそれを聞いたのは等活地獄の極苦処ごくくしょだった。二代目は鉄火に焼かれた亡者たちの悲鳴を聞きながら無表情で蘇った亡者を断崖絶壁から突き落としていた。その後も刀輪処とうりんしょ多苦処たくしょに赴きひとり残らず亡者たちを惨殺した。私は数多の悲鳴の中をかきわけつつ、「どうして、こんなこと誰も望んじゃいないですよ」と訊ねてみた。二代目は自前の棍棒を振り下ろして亡者にとどめをさす。さっきまで形成された肉体はただの肉片になりあたりに四散する。その光景を眺めながら「父を……地獄をこれ以上嫌いになるのが怖いのだ」と言うばかりであった。


「お主は手前の代わりに地獄を守ってほしい」


 二代目は等活地獄の亡者たちを一通りただの肉片にしてから地獄の門の番人をだまくらかして門を開け浮世へ放浪の旅にでた。閻魔大王が二代目の出立を知らされたのはずいぶん先のことであり追いすがろうにも時はすでに遅かった。


 目的を持たない途方もなく長い旅路にでたきり、二代目は未だに浮世から帰ってこない。


 私は二代目から名誉ある等活地獄の統括長を任命されたが、鬼神でも上級獄卒でもない一介の獄卒である私が八大地獄の一つを任されることに不満を抱く鬼は少なくなかった。


 おそらく二代目は引継ぎなどめんどくさい雑務を取っ払って早くここから離れたかったのだろう。考えなしに公の場に手紙を残し私を後任に推薦したあと風のように地獄を去った。


 私は日々の業務のストレスと中年獄卒の嫌がらせにとうとう堪忍袋の緒が切れて二代目を追いかけるため天界に忍び込むとむりやり浮世に繋がる門を開け払ったのだ。


「いまごろどこで何をしておられるのか」


 積年の思いが強くなる。自分は終わることのない旅にでて、上手いこと私を丸め込んだ挙句めんどくさい業務を押し付けた。怒りを堪えながら、憎むべき相手に会えることを心待ちにしているのだ。我ながらなんと滑稽なことであろうか。

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