浮世への出立
第2話
地獄に四季はないが浮世ではもう五月になるころだろう。新緑が映える自然を眺めながらの露天風呂はさぞ絶景である。私は持ち場の等活地獄を出発し、人手不足の助っ人として呼ばれた衆合地獄の針山の頂上にいた。
黒髪の和風乙女に化けた私はハリボテの肉体美をさらし地獄の亡者たちを悩殺していた。亡者たちは私が偽りの乙女とも知らず針山に体を刺され血を流し登る。
最後まで登りきったとしても私の裏で隠れている拷問係の大鬼に踏み潰され今度は山の下に現れる美人に招かれ亡者は山を下る。この登り下りを永遠に繰り返す。
ああなんと退屈な地獄だろうか。
こんなことなら持ち場を離れるんじゃなかった。私は至極後悔していた。
私の持ち場である等活地獄に落ちた亡者は互いに害を加え合う心が芽生え自らに備わった鉄の爪や刀剣を使っていつまでも殺し合いを行うのだが、この亡者同士の殺し合いがなんとも滑稽でどちらかが肉塊になるまで続けられるのだ。
三千年ほど前まではどの亡者が勝つか、一番面白い形の肉塊になった亡者は誰かなど賭け事をしながら仕事をしていたが、浮世の流れに従って規制が厳しくなりいわゆるひとつの働き方改革と共に職場で一切の博打がうてなくなってしまったのだ。
そもそも無用な殺生を行った者が落ちる地獄だ。日々の業務が少しでもエンターテイメントチックにしなければ我々獄卒も八つ当たりで亡者を八つ裂きにすることすら億劫になる。
閻魔庁でのうのうと胡坐をかいている上層部の役人はなにも分かってはいないのだ。
「貫徹お前無粋な顔をしているな」
私の背中の後ろで隠れている大鬼が本来の図体を縮ませて言った。
「なにを、顔を見ないでよく言えたものだな」
「声や仕草でわかるのだ、お前は少し仕事に力を入れた方がいいぞ」
「余計なお世話だ」
背中から大鬼の笑い声が聞こえる。うんざりしながら下を覗けばすでに亡者たちが山の下で獄卒から拷問を受け終わり、少しずつ肉塊から再生し始めている。
私は慌てて大鬼に指示された絶世の美女に変化すると、復活した亡者たちが私を求め再び針の山を登り始めた。
「あいつらはこんな格好の女が好きなのかい?」
女子高生の頭の上には獣耳と尾骨から延びるふわふわのしっぽ。
私は自分がなんと滑稽な姿をしているのかと悟った。
「違いない、ただ文化の多様化で興味を示す美女のジャンルが増えたがな」
私は首を傾げた。もっとも大鬼に言わせれば、浮世におけるサブカルチャーの多様化は少子化の原因を担っているらしい。
人間の数が少なくなればそれに伴って地獄行きの亡者の数が減り我々は大量リストラにあうわけだが、今さら鬼の我々が嘆いてもどうしようもない。そのくせ中年獄卒の頭でっかちはいつまでも騒いでいるのだ。普段から仕事内容で文句ばかり垂れているくせして実にうるさい。
「退屈な仕事でも仕事は仕事。あるだけ感謝感激雨あられ」と私は亡者に向かってひらひらのスカートをたくし上げ健康的な生足を披露した。
「今度浮世に出向く時に新しい文化を見てくるといい」
「お前は私が無期限で浮世に出向けないことを知って言ってるだろう」
「そうであったか、あぁたしかにそうであったな。すまない貫徹」
大鬼が悪びれることなく言うと、私は「くだらない」と鼻をならした。
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