暗号

 セーラはかなりお怒りの様子。これは困った。

「とりあえず、あたしの目の前でするのはやめてね」


 理系男子の悪い癖のひとつが、相手が必ずしも意図したわけではない言い回し、あるいはあえて婉曲な言い方にしたのに、そこに論理的な隙があるのを発見すると、空気を読まずにわざわざそれを口にしたくなる、というのがある。これが特に女子には評判が悪い。

 今回の場合、「目の前でなければいいんですね」とか言っちゃダメ。これが状況を悪化させるのは、火を見るより明らかってやつである。


「それと、これまでのことを水に流してあげる代わりに、あたしの要求があったらお風呂に一緒に入るのを拒否しちゃダメ。どう?」

「うぐ」


 そんなに頻繁にお風呂に入っていたら、そのうち絶対にしてしまうよね?

 しかし、つらつらと考えてみるに、これまでだってセーラからの要求を拒めたことはほとんどないんじゃないかな?

「……じゃあ、それでいいです。ごめんなさい」

 俺、よわっ。

「よしよし。協定は成立ね」

 ……それで良かったのかな? 誰か教えてよ。


「デレク」とリズが言う。

「なに?」

「こういうのが『尻に敷かれる』ってやつ?」

「……知らん」

「ふふふ。お三人は仲がよろしくていいですね」とナタリーは嬉しそうだが。



 楽しいお茶の時間は終わり。ナタリーは再び屋敷へ戻って、俺とリズ、セーラは管理室に移動。

 バートラムがナイワーツ川の事故の時に持っていた指輪をもう一度調べてみようというわけだ。


 マフムードでバートラムの指輪を調べたとき、コンピュータ上に作業用のストレージを作って指輪の内容をコピーしておいた。あれがまだ残っている。

 この指輪は魔道具『ランチャー』で、魔法は『ᛃᛑ起動』という名前。


 魔法名: ᛃᛑ起動

 必須レベル: 3

 詠唱: ローンチ

 説明: 魔法起動装置


 詠唱はランチャーで起動できる魔法を登録したり、削除する時に使う。登録されている魔法は、それぞれの詠唱だけで起動できる。

 ダガーズに渡してある指輪も、この魔法を基本にして構成している。


 で、ランチャーに登録されている魔法のうち、エドナとアルヴァをするのに使っていた魔法がこの『ᛃᚴ退避』。


 魔法名: ᛃᚴ退避

 必須レベル: 3

 詠唱: シェルター

 説明: 対象を退避ポッドに入れる


 格納場所としてグローバルなストレージを使っている以外、基本はアイテムボックスと同じ魔法である。指輪に記録されているのはストレージへのリンクなので、の指輪でアイテムを出し入れすると結果はこちらにも反映される。ダガーズの指輪でストレージを共有しているのもこの原理による。


 その他で登録されているのは、俺も持っている『ジェル・ボール』とか、氷を出す『アイス・キューブ』とか、よくある魔法である。


「特に変わったところはないなあ」

 そうつぶやくと、リズが言う。

「この前は、説明のドキュメントに書いてあるような、ないような部分が結局はポイントだったわけじゃない。たとえばストレージ魔法のドキュメントって結構膨大だよ? さすがに全部は読んでないよね?」

「うーん。読んではいないけど、リズに聞いたら分かるかな、とか」

「あたしは聞かれたら答えることはできると思うけど、問題の核心をズバッと言い当てることはできないよ」


 そばで聞いていたセーラが質問。

「え? つまりどういう話なわけ?」

「そうだなあ。例えば探偵小説で殺人が起きたけど死体がない、とするじゃない」

「ふむ」

「捜査員は遺留品のナイフやロープ、建物の間取りとかドアや壁の材質とかについて熟知しているとしても、犯人がどうやってどこへ死体を隠したかというトリックには必ずしも気づかない可能性があるわけ」

「ははあ、つまり手掛かりはすべて目の前にあって、リズに聞いたら教えてくれるんだけど、凡庸な捜査員であるデレクにはそのトリックが思いつかないから本質に迫る的確な質問自体ができない、みたいな?」

「そうそう。凡庸は余計だが、そんな感じがするんだよね」


 でもまあ、リズに質問してみるわけだ。

「例えば、ストレージにちゃんと入っているんだけど、取り出せないということはありうるのかな?」

「えーと。あ、あるね」

「あるの?」

「アクセス権がない場合」

「え? でも指輪の所有者がストレージの所有者、だよね」

「そうだね」

「じゃあ、取り出せないのはおかしくない?」

「どういう状況がありうるのか列挙するのは困難だけど、ドキュメントには『格納されたアイテムのうち、アクセス権がないものは取り出すことも、名前を調べることもできない』とあるよ」


 外付けのディスク装置とか、USBメモリのようなリムーバブルメディアとの類似性で考えたらいいのかな?

「道端でUSBメモリを拾ったとして、自分のパソコンに差したら……」

 普通はウイルスが怖いから、そんなことをしたらダメだ。


「中身が見えるのが普通だけど……。あれ? メディアのボリュームが暗号化されていたら読めない……かな」

「暗号化?」

 リズが数秒間沈黙して、やがてマニュアルの一部を読み上げるように、こんなことを言い出した。

「まず、魔法システムにはノーマルモードとセキュアモードを切り替えることができるシステムコールがある。一般にセキュアモードで格納した情報に、ノーマルモードからアクセスする権限はない」

「え?」

「セキュアモードは、別名暗号化モード、です」

「あ! それかもしれないな」


 リズはちょっと首を振りながら言う。

「セキュアモードが使われている可能性がある、というだけだよ」

「いや、調べてみる価値はある」


 セーラが尋ねる。

「暗号化って何?」

「一定の決まり、例えば文章を構成するアルファベットを全部3つずつずらすみたいなルールに従って、情報を書き換えることができる。すると、ルールを知っている人は元の文章を取り出して読めるけど、ルールを知らない人から見たらめちゃくちゃなことが書かれているだけに思えるわけだ。そういう方法を使って、書き替えのルールを教えられていない部外者から内容を守るわけ」

「へー」


「ストレージ魔法のことばかり考えていたけど、実は魔法システム自体に暗号化の仕組みがあって、それは当然ストレージ魔法でも使えるだろう、という話なわけ」

「……殺人事件の話だとどんな説明になる?」

「えーと。みんなが忘れていたけど、その地域のどの家にも秘密の地下室があるよ、みたいな?」

「それは小説だったらお粗末な結末ね」

 その通りだな。


「しかし、暗号化されている可能性があるとしても、パスワードが分からない限り読み出せないよな」

 するとリズが言う。

「そうなんだけど、セキュアモードが使われているかどうかを調べる方法はあるよ」

「え。ほんと?」

「そうじゃないと、格納場所自体が分からなくなった時に超絶困るじゃない。システムコールでも調べられるけど、Allocator(アロケータ)というアプリを使えばいいんだよ」

「あ、最初から画面に表示されてるやつか! なんか、システムを使いこなしていない感じがして、自分でもがっかりだよ」

「提供されている機能が多すぎるからしょうがないよ」

 リズになぐさめられつつ、指輪のストレージをアプリで調べてみる。


 ノーマルモード

  格納アイテム:  0 件

 セキュアモード (1)

  格納アイテム:  2 件

 セキュアモード (2)

  格納アイテム:  2 件


「うわ。何か格納されてる」

「でも、パスワードが分からないと取り出せないよ」


 セーラがぽつりと言う。

「これが聖体、かしら」

「げ」


 これが聖体?


「つまり、バートラムは墓泥棒をして拾ってきた指輪に、ストレージ魔法なんかの楽しそうな魔法が沢山入っていて、喜んで使っていたけど、もしかして何かが格納されたままになっていることに気付かなかった、のかな?」

「全然気づいていない可能性と、気づいてはいたけどパスワードが分からなくて取り出せないままだった可能性があるわね」


 ううむ。リズに聞いてみる。

「魔法システムのこのコンピュータを使わないと、使っているストレージに取り出されていないアイテムがあることには気付かないのかな」

「多分、分からないと思うよ」


「あ、そう言えばね、エドナさんが旅行に持って行っていたはずの宝石箱がない気がすると言ってたよ」

「もしかしたら、ここにある4つのうちのどれかかな?」

「ちょっと待って。聞いてみる」


 イヤーカフでエドナを呼んでみる。

「デレクですけど」

「あ、はいはい」

「バートラムさんが収納魔法を使う時、詠唱以外に何かパスワードを口にしていませんでしたか? 特に、宝石箱みたいなものを収納する時」

「えーとね。……普通は『シェルター。何々を回収フェッチ』って言うわよね。その前にね、『シェルター。ストレージモード、何とか』って言うことがあったわね」

「その『何とか』が重要なんですけど」

「あー。……忘れたわ」

「うわ」


 すると、そばにアルヴァがいるらしくて、何かを言っている声がする。

「デレク、あのね、アルヴァが覚えててくれたわ」

「おお」

「『シェルター。ストレージモード、』だったはず」

「はあ?」

「ああ、ごめんなさい。意味分かんないわよね。もう一回言うわ。ライトきょうだい」

「あの、エドナさんはライト兄弟って誰だか知ってます?」

「いえ、ちょっと心当たりないわね」

「飛行機、ってわかります?」

「さあ?」

「そうですか。……わかりました。ありがとうございます」


 通話を終えてちょっと茫然とする俺。

「あれ、デレクどうしたの」とセーラ。

「いや、ライト兄弟って」

「レストランの名前?」

「リズ、ライト兄弟を知ってる?」

「えー? 知らないよ」

「うーむ」

「え、何よ。ライト兄弟って」


「俺は優馬という人物の記憶があるって話をしたよね。その世界には、空を飛んで旅をする機械が普通にあって、これを飛行機と呼ぶんだけど、一番最初に人間が乗って空を飛べる飛行機を作ったということで有名なのがライト兄弟なんだ」

「……たまたま同じ名前の兄弟がどこかにいたんじゃない?」

「その可能性も高いけど」


 しかし、優馬が知っているライト兄弟だったとしたら、そのことをバートラムは何で知ってるんだ?

 そういえば、カルワース男爵も「産業革命」を知っていたなあ。

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