お手紙を書く

阿部蒼星

第1話

 

 未曾有の感染症が猛威を振るう中、地元をでて生活するようになった私は、それまで会っていた友人達ともそう簡単に会えなくなっていた。それでも、彼女らはこれまで同様、手紙付きで誕生日の品を送ってくれる。

 昨年秋に子供を産み、初めてづくしの子育てをなんとかこなすので精一杯の日々。ある初夏の日、まだまだ先だと思っていた友人の誕生日が近づいていることに気がついた。今時は通販サイトで品を選び、メッセージを入力するとカード付きで配送してくれる。祝いの品を選んだところで、なんとなく物足りない気がした。便利なサービスだが、寂しいと思うのは何故だろう。

 (向こうは自筆の手紙付きで送ってきてくれたのに、便利だからと何もかもネットで送るのはちょっとつまらないな。)

 子育てでわざわざ手紙を書いたりものを買いにいく手間が負担だから、こうしたサービスは有難いはずだ。現に、産後の体は想像以上に疲れ易くなっていた。でも。

 相手の喜ぶ顔を想像しながらいろんなお店を巡ってプレゼントを選び、その人のために選んだレターセットで手紙を書くことは、私にとって大切な時間だった。少なくとも作業などといった無機質な言葉で表すものではない。

 今の自分には、ゆっくりとか、丁寧にとか、そういう時間が必要な気がする。

 そんなわけで、プレゼントを購入したその日のうちに、久方ぶりにレターセットを引っ張りだした。

 いつか手紙を書くときにと大事に取っておいたが、まさかそのまま一年以上放置するとは思わなかった。

 『いつか』という時間は、思った以上に来ないらしい。

 お元気ですか、と一言だけ書いてみた。

 自分の頭の中で思い描いていた文字より、だいぶバランスの悪い文字が頼りなげに綴られている。すっかりパソコンとスマホにどっぷりな生活になっていたなと、改めて自覚する。久しぶりに文字を書いたとはいえ、こんなにぎこちないとはいかがなものだろう。人にお元気ですかと問いかける前に、これでは自分が心配されてしまうだろうなと、思わず苦笑いをした。

 スマホを開き、画像サイトで美文字、と検索する。ある程度まで入力すると、関連するワードも横並びで表示されるのだが、その中に万年筆というワードを見つけた。

 インクをつけてカリカリと書くアレか。文豪が持ってそうだ。ちょっと敷居が高そう。そんな曖昧な想像しかできない。おもむろに万年筆、と検索してみる。いくつかのサイトや画像をクリックしていると、一枚のはがきの画像が目に飛びこんできた。

 ーーカムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ。

 夜空にも似た濃紺や深い緑、ほんのりと紫がかった赤いインクで綴られている文章に覚えがあった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一文だ。その周りを、羽ばたく鳥や煌めく星々のイラストがぐるりと囲むように描かれている。小さなはがきの中に、キラキラとインクの星が瞬く銀河があった。

 一晩経っても、その画像のことがいつまでも心の中にあった。

 仕事帰り、早速近所の商店街にある文房具店で大手文房具メーカーの万年筆を二本と、同じ棚に陳列されてあるインクから一本選んで購入した。万年筆コーナーは店内の中央に位置していて、大きなガラスケースが存在感を放っていた。ケースを覗き込むと、シルクの布の上に黒い艶のある万年筆がずらりと陳列されていた。

 インクを選ぶ際、種類の豊富さに驚いた。そのどれもが花や鉱石や植物の名前を冠している。パッケージもアールデコやレトロチックな装飾が施されていて、文房具というよりは美術品のようだ。世の中には万年筆インクそのものを集めるのが好きな人が存在するらしいが、なんとなく気持ちが分かるような気がする。

 

 帰宅し、娘をベッドにそっと下ろす。母親の少々長い散歩に飽きたのか、すっかりすやすやと眠っていた。頬をつん、と突いてみたが、起きる気配はない。よし、と小さくガッツポーズをして、机に向かう。

 ノートパソコンとディスプレイモニターが置いてあるだけの空間に、出かける前に用意したレターセットと本日購入したものたちを置いてみる。

 小鳥や花のイラストが可愛らしい便箋。四角く重みのあるボトルインク。透明なボディに、銀色のペン先とシンプルな装飾が美しい万年筆。環境だけは、美文字に近づいている気がする。

 万年筆には主に二つ種類がある。予めインクが補充されているカートリッジ式と、インク瓶からインクを吸入し、ボディに装着することで執筆が可能になるコンバーター式だ。今回は、コンバーター式で入れることにする。

 同封されていた説明書の通りに装着後、ペン先にインクが到達するまで待ち、そっとペンを紙に置いた。

 お、げ、ん、き、で、す、か。

 カリカリと音を立てながらゆっくりと文字が綴られていく。渇ききっていないインクが時折窓から差し込む陽光を纏って、文字全体がきらきらと光っている。

 時計の秒針がカチコチと鳴る音、カーテンが風に揺れて木棚を撫でる音。それらを耳にしながら、ひたすら文字を書き続ける。

 出来上がった手紙を見て、ふといつもより丁寧に書けていることに気がついた。

 万年筆のペン先は想像よりも柔らかく、筆圧で痛めまいと無意識のうちにゆっくり力を抜いて書いていたらしい。

 徒労感よりも、胸の内には心地よい満足感があった。

 何か一つのことに無心で、時間やタスクを気にせずに取り組んだのは久しぶりのことだった。

 椅子に座ったまま伸びをすると、開け放った窓の向こうから、下校途中の子供達が歌を歌いながら駆けていくのが見えた。その可愛らしさに、頬が緩む。

背中の向こうで、ほにゃ、と小さな声がした。振り返ると、我が子が頭を起こし、ベビーベッドの隙間からこちらを伺っていた。最近は寝返りを覚えて、気がつけば大人の姿を探している。

 いつかこの子も、大切な人にむけて手紙を書くのだろうか。そんなことを思いながら、小さな体を抱き上げた。

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お手紙を書く 阿部蒼星 @1808209

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