第8話 王女の逃亡
セリーナは、再び牢の中にいた。
刑がいつ執行されるかは、聞かされていなかった。
すぐにでも執り行われるのか、あるいは、しばらく生かされるのか。
看守が牢に鍵をかける。
見覚えのない男だった。
おそらく、レグザムの手先だろう。
鍵の閉まる音が、牢の中に響く。
人を不快にさせる嫌な音だった。
男は、牢の外に置かれた椅子に腰をかけた。
ここで私を監視するつもりだろう。
そう思い、彼の様子を観察した。
……何か様子がおかしい。
彼は座りながら、体を前後に揺らしはじめ、やがてぐったりと崩れ落ちた。
すると、今度は何事もなかったかのように起き上がる。
椅子から立ち上がると、こちらに向かって来た。
「姫様、お元気でしたか?」
声はこの男の声だ。
しかし、その呼び名から、会話の相手が推測できた。
「こんな所で、元気に過ごせると思う?」
いつもの口調で返答する。
男は牢の鍵を開け、中に入って来る。
「ごめんなさいね、助けられそうなタイミングが、他になくて」
そう言って、私の身体を拘束している器具を外していった。
男の正体は、アルド軍四天王の1人であるラミアだ。
彼女は幻術で人を操ったり、姿を変えることができる。
「いいのよ。全部、私の責任なんだから」
ラミアは、この男を操っているのだろう。
本人はどこか別の場所にいるはずだ。
「すぐに城を出なさい。裏口でランドールが待ってるわ」
「ラミアはどうするの?」
「一緒には行けないわ。まだやることがあるの」
申し訳なさそうにラミアが言う。
「無茶しないでね。絶対戻って来るから」
「分かってるわ。その時のために、やることがあるの」
「ブラッドはどうしてる?」
気になっていたことを、ラミアに確認する。
「彼は、多分あっちについたみたい」
やはり、裏切っていたようだ。
「そう」
静かに返答し、城を出た。
裏口では、ランドールが2頭の馬を携えていた。
「セリーナ様、こちらへ」
ランドールは、かつての剣術の師匠であった。
しばらく戦いの前線には出ていなかったが、剣の実力はアルド国内でも屈指のレベルだ。
彼が護衛についてくれるなら頼もしい。
「これを」
ランドールが、剣を手渡してくる。
それは、父から授かった王家の宝剣であった。
「ありがとう」
剣を受け取り、腰に差す。
「どこに向かうつもり?」
馬へ飛び乗り、ランドールに問う。
「はい。トロストへ」
トロストは、アルド国の西側の国にある町だ。
治安が悪いとの噂だが、無法地帯の方が身を潜めやすい。
2人は、西側へ馬を走らせた。
「ずいぶん、お強くなられましたな」
馬上から、ランドールが話しかける。
「私が? この状況で、何言ってるのよ」
ランドールの意図が分からなかった。
「セリーナ様が投獄されたとき、この老兵ですら、動揺が収まりませんでした。先ほど、セリーナ様の顔を見て、初めて落ち着きを取り戻したのです」
今まで彼が動揺している姿など見たことがなかった。
「それなのにセリーナ様は、こんな時でも毅然とされている。私の方が、まだまだ未熟でしたな」
「そんなことないわ。私だって……全然平気じゃない」
久々に、心許せる相手と会話ができた安心から、つい本音が出る。
「……ザザンのことは、ごめんなさい」
彼とザザンは、古くからの親友であった。
「セリーナ様のために命を賭したのです。やつにとっても本望でしょう」
そう言う彼の目には、涙がにじんでいた。
その時だった。ランドールが馬上で剣を引き抜く。
ランドールの剣が、セリーナの頭上に振り上げられた。
次の瞬間、振り上げられた剣に火花が散る。
後方から放たれた魔法が、剣に直撃したようだ。
「セリーナ様、頭を下げてください」
その言葉を受け、馬上でかがみ込みながら、後方を確認する。
馬に乗った追手が、こちらに迫っていた。
10人を超える大所帯だった。
追手の魔法使いが放つ火炎弾が、次々とこちらに降りかかる。
乗っている馬が、悲鳴のような鳴き声をあげる。
直撃は避けているものの、その熱さに驚いたのだろう。
もし馬がやられてしまっては、逃亡は不可能だ。
セリーナは、剣を後方に向け、防御魔法を放とうとする。
ランドールが腕を掴み、それを止める。
「セリーナ様、この先は、お一人でお願いします」
彼が静かにそう言った。
「……」
ランドールの言葉の意味を理解し、返答に詰まってしまう。
「……セリーナ様」
その先の言葉は不要だった。彼の言おうとしていることは、すでに分かっていた。
「……ランドール」
動揺が声に出ないよう、注意して言う。
「あなたの命……私のために使いなさい」
彼の目を見ることができなかった。
そうしないと、自分の感情が抑えられなくなる気がした。
「御意」
それだけ言って、彼は馬を反転させる。
心なしか、去り際の表情は、笑っているように見えた。
暗闇の中、背後で金属同士のぶつかる音が響きわたる。
振り返ることなく馬を走らせるセリーナの目には、涙が浮かんでいた。
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