Act.8


 頭の中に、他人が住み始めて2日目。


 僕は、案外悪くない気持ちでいつもの学生生活を送っていた。


 長らく噛んでいたガムが、急に少しだけ味を取り戻したかのような、ちょっと意外で悪くない気持ち。


 「岡田。放課後に第3指導室まで行くように」


 だから、理由も聞かされずに呼び出されたその時も、あまり気分は悪くならなかった。


 他人に恐怖し、そんな自分を嫌悪する心がなくなったわけではないけれど、少しは僕も成長できているのだろうか。他人と話すことに恐怖を覚えこそすれ、戦慄するまでには至っていなかった。


 ”人間嫌い”なんていう術を使えたのに、なぜだろう。


 師匠にそのことを問うと、いい傾向だと言ったきりだった。


 ・・・それにしても、指導室か。何の用だろう。自慢じゃないけれど、僕は結構優等生だ。わざわざ呼び出されるようなことをした覚えはないし、












 ◆◆◆











 「ええっと、ここが第3指導室かな」


 「だいぶ奥の方にあるのね」


 私は琴葉といっしょに高等部の校舎に足を踏み入れた。時々すれ違う生徒がめずらしいものでも見るかのようにこちらを見てくるけど、話しかけてくるような生徒はいない。


 誰かの保護者にでも、見えているのかもしれない。


 そうして着いた指導室の扉を私がノックする。


 こういうとき、私が前に出るのはもう習慣というか、くせみたいなものだ。琴葉は戦う術を身に着けていないから。


 「はい、どうぞ」 


 どこか怯えを含んだ声。そのくせ、よく通る声だった。


 扉を開けると、学ランを着た男子生徒が簡素なパイプ椅子に腰掛けて、私達を見ていた。


 最近の学生にしてはめずらしい、短く刈り込んだ髪。軽く流されている前髪が右目の眉あたりにかかっている。


 顔は平凡だけど、生気が薄いからだろうか、少しだけ老けてみえる。


 岡田桐士おかだとうじ。17歳。10歳の頃に両親は離婚しており、現在は父親と二人暮らし。その際にかかった精神的負荷がきっかけだったのか、この頃から超記憶症候群を発症。脳神経内科と精神科に何度かの通院履歴あり。成績こそ上位層だが、コミュニケーション能力に難あり。


 受け取った書類には、こんなことが書いてあった。


 確かに、こちらに向けられた視線にはどこか怯えが見える。けれど、それと同時にどこか大型のドラ猫を思わせるふてぶてしさみたいなものも感じられた。


 ちぐはぐさを感じる、第一印象だった。


 「・・・どちら、様でしょうか。部屋を、間違えてませんか」


 少しどもりながら、彼は言う。


 「間違えてはいないよ。はじめまして、岡田桐士くん。私は春原竜貴」


 「はあ、はじめまして」


 ふふっ、戸惑ってる戸惑ってる。


 「私はね、魔術師なんだ」


 小さな机を挟んで彼の対面にある椅子を引きながら、なんでもないことみたいに言ってみる。


 「・・・」


 すごい。あからさまに面倒くさそうな顔をしてる。コミュニケーション能力に難ありって書いてあったけど、表情が読み取れればあんまり苦労はしなさそう。


 「まあ、いきなりこんなこと言っても戸惑うよね」


 「・・・まあ、そう、ですね」


 話しながら私はポケットに手をいれる。こういうスカウトのときって言葉で下手に説明するよりも、まずは見せちゃうのが一番手っ取り早いし。


 「見てて」

 

 ポケットから出したのは、黒い手袋。手のひらには、白いインクで私が使う魔法陣を描いてある。


 それを着け、彼に向ける。


 「破滅せよパドレム


 「え、っうおおおおおおおお⁉」


 私の手から吐き出された炎が、彼の頬をかすめて飛んでいく。面倒くさげだった顔に、ありありと興奮と恐怖が浮かび上がる。


 「な、何するんですか!、いきなり」


 「これが魔術。分かった?」


 椅子から転げ落ちて声を上げる彼に、私は言う。


 「へ?、え、いやあの」


 「分からなかったのかー。それじゃあもう一度、」


 「ちょっと待って! 分かった! 分かったからやめてください!」


 「姉さん・・・」


 おっと、背後からあんまりよろしくない雰囲気を感じる。


 なんだかんだ家族、というか姉の私には甘い琴葉だけど、それだけに怒るときは結構怖い。


 そろそろ真面目にやろ。


 「ごめんごめん、さすがにお巫山戯が過ぎたかな。何にせよ、今ので分かったと思うけど、私が魔術師っていうのは冗談じゃない」


 妹も魔術師よ、なんて後ろの琴葉を指さした私に、床にへたり込んだままの彼は訝しげな視線を向けてくる。


 「そ、その魔術師が、僕に何の用ですか」


 「琴葉、お願い」


 「・・・うん」


 今まで後ろにいた琴葉が前に出る。彼のすぐ目の前まで進むとしゃがんで目を合わせ、右手を彼の額にかざす。


 華奢で真っ白な右手では、水色の指輪が淡く光り始めていた。


 「故郷よヘイマット


 びくん、と彼の体が震え、同時に琴葉の髪が泡立つように蠢き出す。


 人の過去を暴くという魔術は、私のような単純な魔術よりも魔力消費が激しい。大量に活性化させられた魔力が部屋の中でうずまき、生暖かい風が私の方にまで届いた。


 「・・・、終わり、ました。この人が魔術を使ったのは間違いありません。しかも、魔法陣まで描き上げてました」


 少しふらつきながらも、琴葉が魔術の結果を教えてくれる。


 「へえ、もう陣の認識まで到達してるの? 逸材じゃない」


 「な、なんで、そのことを、知って」


 「私の魔術は人の記憶を映像として読み取るんです。・・・すみません、いきなり失礼なことをしてしまって」


 「こうやってあなたが魔術を使えるってこと証明すればその後の話もスムーズにいくでしょ。魔術師って普通の人からすれば異端だから、早めに組織の方で保護しないと、魔女狩りされちゃうってわけ」


 「姉さん、その例えは不謹慎です」


 魔術行使で少し疲労を感じさせる琴葉の声が、ため息を含んでいた。


 「さてと、これからはもう少し文化的に詳しい説明をしていこう」


 彼が椅子に座るよう、私は手振りで促した。


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