16
すると海堂は視線をまた秋人に下げた。黒く光の少ない瞳がキッと鋭くなり、その眼光に早々に秋人は怯む。
「協力をしていただけたでしょう? 私もあなたにイモート・ワークのことを伝えました。何か問題がありますか?」
海堂はいけしゃあしゃあと言って退ける。秋人も流石にカチンと来た。
「あるよ。僕も君のやっていることを手伝いたい。イモート・ワークのことを僕も知りたい。妹の自殺の真相を知りたいんだ!」
言い切ると海堂はまたも右を向く。と例の
「そういう意味で言ったわけでは無いんですが」としかし冷静な顔になって続けた。
「秋人さん。きっとこの調査は危険を伴います。先の三人の言葉の中にあったでしょう? ヤク。ドラッグ、つまりヤクザなんかの犯罪組織が関わっている可能性がありますし、暴力や嘘をつくことをなんとも思わないような下劣な人達を相手にする必要があるんです。ここにきて今協力してもらっただけで充分で——」
彼女は親切心でこういったつもりだったが、タイミングが悪かった。言い切る前に顔を真っ赤にした秋人は口を開く。
「それは君も同じでしょう。いや、むしろ君の方が危険じゃないか。僕よりも歳下だし。危ない連中が君を襲ってきたらどうするんだ」
「対処は心得てます。それに、あなたがそういう輩に相対できるとも思えませんが?」
「いや、僕は少なくとも護身術は一通り使える。中学校の時、柔道部の連中と一緒に練習したんだ。でも、これだって力が全くいらないわけじゃない。年上の僕がいた方がマシだと思う」
秋人はそれまでの迷いなんてどこ吹く風で言い放つ。冷静に自分の危険を考えてたあの頃はすでに遠く、頭にはすっかり血が登っていた。ちなみに秋人は実際に護身術を習ったことはある。習ったことはある。
「言いましたね?」
海堂は低く唸るようにいった。目はスウッと細く攻撃的で、冷静な鉄面皮は最早苛立ちを隠せなくなっている。ゆっくりと席を立ち上がって
「では、どうぞ。私を倒して見せてくれませんか?」と冷ややかに指まで使って来いと挑発を始めた。やってやろうじゃないか。
「いいとも。痛いかもしれないけど、我慢してもらうよ」
両者は立ち上がるとテーブル席を出る。秋人は両足を肩幅よりも少し大きく広げ、腰を落としてやや猫背になると両手を前に、物を掴む直前のように指を少し曲げて構える。対して海堂は左足を少し前に出して背筋を伸ばし、ボクシングのようなファイティングポーズを取った。体格的には海堂の方が背が高く、秋人は頭一つ、キャスケット帽の分を除けば頭一つ半は小さい。両者は見合って、まず秋人が一歩目を踏み込んだ——。
「二人共、ここは俺の店だということを忘れてもらっちゃ困るな」
間に入った一つの影がそういった。海堂よりもはるかに大きな背で白いシャツの上に茶色いエプロンをかけている。その顔は老けていて皺が目立ち、髭は白く落ち窪んだように見える目には皺がいくつもある。黒い髪は白髪混じりで、全体を後ろに撫で付けている老年男性。秋人は目を丸くした。カウンターに座っていたときはここまでよく見えなかったからだ。この喫茶店の店主だった。
彼は海堂と秋人の二人を順繰りに、海堂よりも鋭い眼で見ると、非常に落ち着いた低い声で「座りなさい」と厳かにいった。シャツを捲った膨らんでゴツゴツとした腕は太く、肩幅も充分に広い。年齢は重ねていても強面で、仏頂面に近いその顔には往年の迫力がある。秋人はすぐに怒気を抜いて従い、海堂は一瞬の抵抗を見せて睨みを返した——が、店主がさらに顔を近づけると——憤懣やるかたないと渋々座った。店主の顔がグルリと秋人に向く。秋人はビクッと身を震わせ、姿勢を正す。が、店主の視線は机の上のティーカップに向けられる。秋人の視線も店主の視線を追う。と、その頃には店主がソーサーを掴んでおり、秋人のすぐ目の前まで持っていき、ソーサーを離してカップを指差す。ぶっといゴツゴツとした人差し指が、
「飲んで」
といった。中にはまだ抹茶ラテが半分あったが、もう湯気は立っていない。秋人は店主を見ながら小さく何度も頷いた。一気に飲んでティーカップを置くと、店主は片手を上げて手に持っていたティーポットから、濛々と蒸気の立ったコーヒーをその空いたティーカップに注いだ。
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