第13話

「ねぇ、ノアぁ。これからちょぉ〜っと動けるぅ?」


 はにかんでいたのも束の間、魔女の唐突な問いかけにノアは首を傾げながらも頷いた。


「はい、大丈夫ですよ?」


 お部屋のお掃除も生活に必要なインフラも最低限は整えた。今日はあとは寝るだけだ。


「じゃあぁ、ちょぉ〜っとだけお外にいこっかぁ」


 魔女の言葉に頷いたノアは、彼女に連れられるがままに彼女と手を繋いで家の外に出て、森の中を歩く。

 ひんやりとした魔女のお手々を握りしめながら足場の悪い木々が生い茂る森の中を歩くノアは、今この瞬間がとても幸せなものであることを十分知っている。


 ———王妃殿下は絶対に僕なんかと手を繋いでくれなかったからな………、


 ノアはずっと、それこそ物心つく前から母親と、周囲の大人と、兄姉や弟妹と手を繋いで歩くことのできる人たちが羨ましくて仕方がなかった。

 ノアの手には、どんなに願っても、どんなに羨んでも、決して訪れることのなかった温かさが、今この瞬間ノアの手にある。


 さく、さくと草を踏み締める音と共に、ふんわりと野草の匂いが鼻腔をくすぐる。そのくすぐったさに頬を緩めながら、ノアは魔女と一緒にゆっくりと歩く。


「それにしてもぉ、ノアの飼っていたくまさんは大分マシになったねぇ」

「くまさん?」

「んー、目の下の黒いやつのことだよぉ」

「あぁ、隈。無くなりましたか?」

「いいやぁ、でも、真っ黒ではなくなったねぇ」

「そうですか」


 目の下が真っ黒で空な瞳をしていた自覚があったノアには、それが画期的な健康への道であることがわかった。でも、完璧に消えていなかったというのはほんの少しだけ残念かもしれない。


 ———まあ、あれだけ不摂生を重ねていたら、1週間寝たくらいでは薄くならないよね………、


 魔女と手を繋いでいない方の手で目の周りを優しく撫でたノアは、苦笑する。


「もう少しで着くよぉ」


 魔女の間延びした声が耳に響いた次の瞬間、ノアの視界にはこの世の美しいものを散りばめたかのような絶景が見える、開けた場所が写り込んだ。


「お星さま!!」


 ぱあっと表情と瞳を輝かせ、ぱっと魔女の手を離したノアは花畑の中を走る。

 地面に咲き誇る月花草に、夜空を覆い尽くす満点の星空に、ノアは楽しげな声を上げ続ける。そんなノアを、魔女は優しい瞳で見つめる。


「月花草が群生している場所が残っているだなんて………!!」


 “月花草”はお星さまのような形をした花弁が特徴的なお花で、月に照らされると淡く水色の光を放つという特色を持っている。

 その美しさから万能のお薬とされ、古くから摘み取られすぎた故に今ではその数を大きく減らし、国営の植物園の奥深くに数輪しか咲いていないほどなはずだ。


「この花って珍しいのぉ?」

「はい。数100年前までは普通に咲いていたそうですが、ここ最近では見つける度に国が保護しているほどに珍しいです」

「そうなんだぁ」


 瞳を輝かせ、満月と星空、そして月花草を見つめるノアは、この世にこんなにも美しい景色が存在していることに驚き、そして感嘆した。


 ———僕は、この世の美しいもの全部をこの瞳に収めてみたい。


 初めて自分で何かを望んだ気がする。

 王子としてではなく、ただのノアとして欲しいものを、初めて見つけた気がする。


「ノアぁ、このお月さまに誓ってあげるわぁ。わたしは、お前の願いを叶え続けると」

「っ、」

「ノアは王位簒奪を狙っている。違うぅ?」


 魔女の妖艶な笑みに、ノアはきゅっと表情を引き締める。


「あぁ。………僕は国王にならなくてはならない。それが、王子として、王太子として生を受けた僕の使命なのだから」


 薄青の満月と満点の星空を背負ったノアは、月花草の花畑の中央に立ち、瞳に籠る熱を滾らせながら誓いを立てる。


「僕は王となる。そして、この腐った世界を変えてみせる。誰もが幸せに暮らせる世界になるように」


 心に宿る憎悪は、嫌悪は、決してノアの心から無くなる日なんて来ないだろう。たとえ魔女に愛されようとも、可愛がられようとも、ガラスにつけた傷のように、絶対に消し去ることなんてできない。


「僕は僕の運命を捻じ曲げた現国王を、———許さない」

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