第12話

 どのくらいの間、ラグに座り込んで幸せを満喫していたのだろうか。

 黄昏に染まった夕空に漆黒の鳥が鳴き声を響かせるのを聞いたノアは、目を見開いた。


「お片付け!!」


 掃除がまだ途中であることも忘れて自分のお部屋という宝物に浸っていたノアは、慌てて下の階に降りて、床で丸まっている魔女に目を見開く。


「………死んでる?」


 ぴくりとも動かない魔女のそばに抜き足・差し足・忍び足で近寄って、顔を覗き込む。胸も、口元も、喉も、どこも動いていない。本当に死体みたいだ。


 背中にぞぞぞっと走った悪寒に首を横に振って、ノアは家の外に出る。

 家の前にはこれでもかというほどの荷物が一応分類分けされた状態で煩雑に並べられている。というか、ノアが並べた。

 ノアは1冊1冊大事そうに本を抱えながら、家と外を行ったり来たりして、本を正しい分類分けに直しながら、家の大部分を占めている本棚に本をしまっていった。


 ———司書というのは大変なお仕事なんだな………、


 王宮にいた頃は誰かが勝手にやってくれていたやらなくていいことも、ここではノアが責任を持ってしなくてはならない。

 それはものすごく重たいことなはずなのに、ノアには何故か心地よかった。


 分類や著者をメインに仕分けし端からじゃんじゃん棚に納めていく中で、ノアは何度も何度も誘惑と戦った。


 ———読みたい………!!


 歴史の授業に出てきた今は失われてしまったはずの歴史的資料がざくざくと出てくる状況にわくわくしない人間なんているのだろうか。いや、いないだろう。


 何度か表紙に手をかけては慌てて手を引っ込めて本棚に仕舞うという作業を繰り返した。

 黄昏は漆黒に変化し、やがて満点の星空を写し始めた頃、ノアはやっとのことで全ての捨てない荷物を家の中に戻すことに成功した。


 布は井戸水で洗って木に引っ掛けたし、雑貨の類もちゃんと飾った。


「僕って天才?」


 初めてのはずなのにあまりにも上手にできすぎたために自画自賛したノアは、けれど次の瞬間首を横に振った。


「………庶民ならば、このぐらいはできて当たり前のことのはず。もっといっぱい練習して上手にできるようにならなくちゃ」


 ぎゅっとズボンを握りしめたノアは、床に寝っ転がっている魔女の隣に座り込んだ。


 魔女は人間とは違うことわりにある存在であり、人間のように血が通っているものではない。よって、暑さや寒さを感じることも、人として絶対に必要な営みも魔女には必要のないものになってしまう。食事も、お風呂も、お花摘みも、魔女には必要のないもの。


 魔女は永遠と言っても過言ではない月日を生きるらしい。

 

 周りの人が死んでいくのを見取りながら、自分は一切歳をとることなく永遠に近い日々を惰性的に過ごす。

 そんなの、想像するだけで、


 ———さびしい。


 胸がぎゅうぅっと押し付けられて、心が寒くなってしまう。

 到底ノアには耐えられそうもなかった。


「んっ、」


 白銀のふわふわした髪を飴色の床に投げ出していた魔女から、鈴を転がすようんな声がぽろりと出てきて、ノアは魔女の方を向く。漆黒の蔦が目元に描かれている奇抜なメイクの奥からゆっくりと現れる蠱惑的な黄金の瞳は、やっぱり全てを魅了する不思議な力を持っているように感じられる。


「………おはようございます、魔女さま」

「おはよぉ、ノアぁ」

「はい。と言っても、まだ夜ですけど………、」

「そっかぁ」


 細い瞳孔がギロリと動くのをどこか遠くのことのように眺めながら、ノアは魔女に微笑みかける。


「お掃除終わりました。一応元の配置に近い形でもろもろを片付けましたが、気に入らないところがあったら好きに直してもらって結構です」

「ん〜、」


 どこか生返事な魔女に僅かに首を傾げたノアであったが、ふぁうっと欠伸をこぼす魔女に次の瞬間のノアはぱちぱちと瞬きを繰り返していた。


「わたしはねぇ、永遠の命と引き換えに人間としての生活を必要としているんだぁ。最低限のご飯とお水、あとは睡眠がいるんだぁ」

「そういう場合もあるのですね」

「あるよぉ。魔女も十人十色だからねぇ」


 ふむふむと感心したように頷いたノアの頭を、魔女は撫でる。


「よくがんばったねぇ、ノアぁ。ここまで綺麗なのはここに越してきてから初めてだよぉ〜」


 カラカラと笑う魔女に、ノアははにかむのだった。

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