230 幼年期の終わり



「あ…………!?」


 また、おかしな声がカルナリアの口から漏れた。


 理解はできた。

 要するに、身につけていた荷物をとっさに持ち上げ、反動も利用して自分はかがみこみ、槍も剣もそれでやり過ごしたということだろう。


 布の内部に入って、「見た」経験があるからわかる。

 フィンは『透過』の布によって、通常の視覚とは違う感覚で周囲を認識している。

 だから、普通の者なら完全な不意打ちになっただろうガザードの投槍も、いちはやく察知できて、逃れたのだ。


 ――自分の想いが台無しにされたことは、どうでもよかった。


 このひとが、無事でいてくれたなら!


「お怪我は!?」


「ない」


 これ以上ない真摯しんしな問いに、簡潔に返された。


「強いことは強いが、ダガルほどではなかったからな」


 何のことを言っているのかわからなかったが、とにかく、フィンが無傷でいるというのならそれで十分。


 一方で、フィンが健在と知って騎士ディオンが再び剣を構えている。

 今の言葉も聞こえたようで、満面に怒りがみなぎり、血管が強烈に浮き上がっている。


 カルナリアは即座に起き上がり、一部が切り取られへたばっているぼろ布の前に、片膝ついて腕を広げ、あらゆる攻撃からかばう態勢をとった。


「やめなさい!」


 叫ぶ。


王のカランティス・ファーラ』を装着したレイマールほどではないにしても、王女の威厳をこめた声を放って、あらゆる敵意を追い払う。


「決闘に、横入りさせて、それで勝ち誇るのですか!?」


 巨躯を見上げて非難すると、新国王筆頭騎士は顔を歪めて、とりあえず剣を下ろし後ろに引いた。


 レイマールを振り向き何か言いたげにするが、一瞬だけで、主君に何も言うことはせずにすべて飲みこむ。

 騎士としては正しい態度。


 そのレイマールは、自分の騎士も目に入れず、カルナリアだけを見ていた。

 驚きの顔で。


「なんと……今のいやしの魔法は、お前かい、お前が放ったのかい、リア!? 魔導師の力に、ここで、目覚めたというのか!?」


「え……」


 カルナリアは周囲を見回す。

 先ほど自分がやったことは、一瞬であり、衝動に基づくものであり、しっかり認識できていたわけではなかった。


 だが、間が空き、感情の爆発も終わったために、自分が何に目覚め何をしたのか、理解が追いついてくる。


 見れば――傷ついていた者、血を流していた者たちが、その身に、傷口に、魔法の光が灯って……刺さっていたものは抜け落ちて、あふれ出ていた血は止まって……。


「ん……」


 それぞれ、自分の身に起きた回復現象に気づき始めている。


「カルちゃん…………あんた……ついに……!」


 泣き濡れたファラと目が合う。

 何が起きたのか、自分とセルイが何によって救われたのか、彼女だけは完全に理解していた。


 レンカが自分の喉に手をやっていた。

 トニアが転がり逃れてからこれも自分の体を確かめていた。


 離れたところでも――エンフが、頭に巻きつけた包帯を取って、怪我した部位に触れて驚いている姿が見えて。

 この砦に連行される途中で山賊たちに散々殴られて、息も絶え絶えだった客が、自分の体を驚きつつ撫で回している様子も見えた。


 ファブリスとジスランによって手傷を負った兵士も、ほとんど切断されていた腕が元通りになって仰天している。


 そう、この砦の中の、傷ついていた全ての者が、回復していた。


「お…………王女殿下の……魔力……魔法……に、ございます…………すばらしく強力、かつ広範囲の、治癒魔法……これほどのものは、この私といえども、そう簡単には……!」


 大魔導師と呼ばれるほどの者が、驚嘆しつつ分析結果を述べた。


「何と……素晴らしい……!」


 レイマールはカルナリアを抱擁するように両腕を広げた。

 感動の面持ち。


「この力、このような魔法を使えるようになったのならば、これからの反乱軍との戦において、どれほど役に立つことか! すばらしいよ、リア! お前がこの力を発揮してくれれば、我々はさらに勝利へと近づくことができる!」


「…………!」


 強い嫌悪感が湧いた。


 レイマールは、カルナリアを、有効活用する――自分に都合良く使うことしか考えていない。


 王としては正しい。

 カルナリアも、王女ならば、受け入れるべきだ。

 これから戦で大勢が傷つく、それをまとめて治すことができるのなら、自分の信念にも感情にも反しない……。


 だが。


「その前に!」


 声を張った。

 熱いものが腹腔からこんこんと沸き上がってきた。


 カルナリアはレイマールに糾弾きゅうだんの指を突きつけた。


「兄様は、先ほどから、おっしゃったことをまったく守ってくださらず、あの手この手で、人の命を奪おうとするばかりです! それが正しい王のあり方ですか! そんなのがまかり通るのが、兄様が作ろうとする新しい国だというのですか!」


「おや、怒ったのかい」


 レイマールは愉快そうに言ってきた。


「ではどうするというのかな? 余を見限ってガルディスの元へ走るとでも? その場合は、反乱軍の一味として、後ろの者たちともども処分しなければならなくなるなあ」


「そんなつもりはございません! ガルディスは、父様の仇です!」


「余のやり方を許せぬ、信用できぬと言い、それでいて反乱軍に荷担するでもない。何がしたいのかな? ああ、余のやり方に諫言かんげんを呈する、ご意見番というところかな? そういう者もいた方がいいからね。お前の立場ならちょうどいいかな」


「違います!」


 この人物は、カルナリアという王族を国のためにどう使うか以外、個人の意志も覚悟も一切気にしない。

 目の前にいるのに、相手を見ていない。

 人間の、使い方だけを考えている。


(これが、王?)


 これが、個人の集合体である国、その国の頂点に立つ存在の、正しいあり方……?


「役に立つ、立たないで判別し、無礼、不愉快だと簡単に人の命を奪うのは間違っています!

 許す、何もしないと言っておいて、後から罪をあてはめて言い立てるのも、ずるくて、きらいです!」


 口にしながら、カルナリアの内側で、思いがある形を取り始めた。


 ずっと、ずっと、思い続け、考え続け――結論が出ないままモヤモヤとたゆたい続けていたもの。

 それが今、血の海を見て、無数の死を見て、詐術を見て、卑怯な振る舞いを見て、形に。


「好き、きらいで、王のありようを語られても困るなあ」


「いいえ! それが何よりも大事です!」


 カルナリアはレイマールをにらみつけた。


「わたくしは、今の兄様は、きらいです! うそつきで、残忍です! そんな王様はきらい、そんな王様のいる国もきらいです!

 ……だから、そんな王様も、そんな王様が治める国も、わたくしは、認めません!」


「ふうむ。そう言われると、もうお尻を引っぱたく程度ですませるわけにはいかなくなるが、わかっているのだね?」


「もちろんです!」


 カルナリアは言い放ち――背後を振り向いた。



「死ね、貴族」

「お父様のために、私は生きてきた……だから……!」


 レンカとトニアが、傷が癒えた身で、再び互いの武器を構えて必殺の間合いに。



「隊長、どうしますか?」

「王女殿下が治癒なさったとはいえ、反逆者であることには変わらぬ。討て」


 兵士たちが、再び槍や剣を、セルイとファラに。


 血色を取り戻したセルイは俊敏に身を起こし剣を手に。

 背中合わせのファラは、すさまじい目つきで最強の魔法をぶちかまそうと。

 それに杖を向け殺意をみなぎらせる大魔導師バージル。



「おやめなさい!」



 これまでで最大の声で、怒鳴りつけた。


 体内で魔力が動いた。


 どういう効果が出たかわからないが、憤激のままに声を放つと、殺気だってにらみ合っていた面々は、とりあえず動きだけは止めた。


「こんなに沢山、人が死んで、血が流れたのに、さらに重ねてどうしますか!」


「仲間の血が流されたから、流し返してやるんだよ!」

 レンカが怒鳴り返してきた。


「少なくともここじゃ、こちらが襲われ、殺された側だ! それなら殺し返して文句ねえだろ!」


「そんな理屈で殺し合って、何が生まれますか!」


「こいつらに言ってやれ! オレらは、敵を減らせる! どうせ死ぬなら一人でも減らしてやった方がいいってもんだ! 一方的にやれるだなんて思わせてたまるか! 人を傷つけようとするなら、自分たちも痛い目に遭うんだって教えてやる! こっちの一人を殺るために、貴族ふたりかそれ以上がやられるなら、十分すぎる!」


!」


 カルナリアは人生で初めて、心底から相手を罵倒した。


「それじゃ、今までと何一つ変わらないでしょうが! これまで散々見てきたでしょう、ひとは、何がどうであろうと、いい人でも悪い人でも、強くても頭が良くても、そういうのは一切関係なく、死ぬ時は死んじゃうんです! それなら、わざわざ殺し合う必要はありません!

 あなたも、相手の人も、みんな大切な、『まだ生きている人』なんです!

 それでも殺し合いたいのなら――ただの馬鹿です! あなたも、相手も、みんな!」


「何様だ、お前!」


 レンカが怒鳴り、カルナリアも怒鳴り返した。






!」






 ――そう。


 自分は、王女。

 王位継承権者。


 つまり、王になる資格を持っているということ!






 カルナリアは、ぽかんとしたレンカを置いて、レイマールに向き直った。


「兄様。わたくしは、即位早々に詐術を用いて多くの人の命を奪い、罪のない方を罪人に仕立て上げ、言いがかりをつけて決闘に引きこむような真似をする、不実にして卑劣な人物を、次代カラント王と認めることはいたしかねます」


 なぜ、『王のカランティス・ファーラ』を渡すことにあれほど抵抗があったのか。

 考えるより先に体が逃げ出したのか。

 その答えがこれだ。


 やっとわかった。




 カルナリアは言った。




「兄様は、王として、ふさわしくありません!」




「………………」


 周囲の誰もが、沈黙した。


 その中で、レイマールは、わずかに目元を引きつらせて、愚弄の笑みを浮かべて言った。


「では…………まさか、幼いお前が、王になるとでも言うのかい?」






!」






 即座に、きっぱりと返した。


「あなたのような嘘つきよりは、ずっとましな王になってみせます!」


 ずっとかかえこんでいたモヤモヤが、形になった。


 それは、一直線に、どこまでも伸びてゆく……道だった。


 これが自分のゆくべき道。


 誰かに歩んでもらおうと期待するのではなく、自分自身で歩む、自分が作るべき、新しい国への道!


 まだ固まっていない血が大量に地面を濡らしている、あんなことの起こらない国。

 死ね貴族と叫んで武器を振るう者が出ない国。

 平民のくせにと襲われたり、生意気だからと川に放りこまれたりすることが起こらない国。そういうことをやった者が許されることのない国。


 悲劇ができるだけ少なくなるような、良き国を――ガルディスはもちろん、レイマールも作ってくれないのなら、自分で作るしかないではないか!


 願うだけではかなわないということくらいわかっている。

 自分にはこの場で起きていることすら止められない。

 もうずっと昔に思える、タランドン城でファラに言われたこともよみがえる。ルナちゃんじゃ、貴族どもをまとめることなんてできないからね。その通りだ。あれから色々な経験を積んだ今でも、いや経験を積んだからこそ、他人を動かすことの難しさを骨身に染みてわかっている。


 それでも。


 それでも!


 ガルディスの国も、レイマールの国も、認めることはできない。


 だから、『自分の国』だ。


 自分はどちらの国にも属さない、自分の国の王になる。


 その道は、あの泥の海の、枝から枝を渡ってゆくような、きわめて細く、困難きわまりないもの。


 それでも、道があるのなら、ゆく。


 そこ以外は死の汚泥、絶対に受け入れることのできないものしかないのだから!


 自分が進み、ひらいたその道を、夜でも安心して、あのぼろぼろがスイスイと歩いてきてくれるのなら、それこそが正しい道!




「ふうむ…………」


 レイマールは、怒るでも笑うでもなく、真顔になって、じっとカルナリアを見つめてきた。


 王の威厳、威風が、カルナリアに押し寄せてくる。


 しかし、先ほどは飲まれかけたそれを、カルナリアは受け流す。

 この人物は、一切信用できない――セルイの笑みと同じとわかったために、むしろするいやなものにしか感じられなくなっていた。


 の作る国では、ぼろぼろは、安心してぐうたらできない。

 自分もその体によりかかれない。

 その時点で話にならない。論外。邪魔。いらない。



 ……伝わったのか、レイマールの眉が不快げに寄った。


 それまではまだ残っていた慈愛や親しみの気配が、消え去った。




「――我が妹、カルナリアが、乱心した。

 みなの者、乱心者を捕らえ、よからぬことを吹きこんだ不届き者たちは残さず片づけよ」


 決定的な命令が下された。


 王が直々に宣告したのならば、もはやいかなる形であっても止めることは不可能。


 ディオンが、騎士たちが、兵士たちが、殺意をみなぎらせ。

 対する者たちもみな――すでに一度殺されているため、あらゆるためらいが消え失せて、ゴーチェすら人を殺す覚悟を決めて……。


 そしてカルナリアも、心が澄み切った。


 王は、自らの国が滅ぶならば、国と共にその身も滅ぶべき。


 王ひとり、民なし、在位期間ほんのわずか。


 それでも、王として責務を全うする。


 国を守り、民を守り、誇りを守り、外敵を打ち払う。


 ――短剣を抜き、強く握りしめた。






「……あ~~、待ってくれ」


 緊迫し、殺気がみなぎる中に、だらけた声が流れた。


 カルナリアのかたわらの、地べたから。


 それほど張っているわけでもないのに、なぜか皆の耳に流れこんできて、しかもあまりにも場にそぐわない響きだったために、誰もが気勢をがれた。


「めんどくさいことはしたくない。今のところ、こんな格好になっている、これはさっき求められた、王に対する礼をしろというのにあてはまったことになって、これでよしということにならないかなあ」


 がに股状らしい両脚をぼろ布からはみ出させた、絶世の美女であると自称する、いちおうは剣士とも自称している人物は、そんなことを言い出した。


「あの……状況、わかってます?」


 さすがにカルナリアも冷ややかに言った。


「わかっているつもりだ。お前が、めんどくさい道を選んだことくらいはな」


「………………」


「で、状況ということだが――そこの、女が、集団でかかってあっという間に終わりにするんじゃなく、さっきの決闘をちゃんとやり直したいと、ものすごく願っているんで……受けてやった方がいいと思うんだが、どうだろう」


「陛下、ぜひともお願いいたします!」


 カルナリアの無差別強制治癒魔法によって昏倒から覚めた女騎士ベレニスが、殺意一色のすさまじい目をして進み出てきた。





【後書き】

少女は決めた。お姫様はもうやめる。王様がいやなことしかしないのだから。お姫様は、女王様への階段に足をかけた。後に誰もついてこなくても、そう決めたのだから、登ってゆく。

そして事態はついに終着点へ。王とは国にただひとりの存在。ふたり立った王の、どちらかは消えねばならない。その時が。

次回、第231話「グライルの掟」。

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