125 頭の高さ



「ゾルカンさん。私のに、その人を乗せてあげてもいいでしょうか?」


 言い出すと、厳しい目で見られた。


 しかしひるまない。引き下がらない。


「私は、使う権利をいただきました。でも、降りて歩くのも許されました。またがっても、歩いても、荷物だけを乗せてもいいのなら――私がを乗せるのも、いいことになりませんか?」


「ふむ」


 険しかったゾルカンの顔が、ほんの少しだけゆるんだ。


「残していって、あの人が獣に襲われたとしても、獣がそれで満足するとは思えません。いい獲物を食べられたのだからと、もっとたくさんの人を追いかけてくるのではないでしょうか。

 それに、一緒にいる人を見捨てるようなことをしたら、自分も怪我したら見捨てられるって、すごくいやな雰囲気になってしまうと思うんです。みんなが助けてくれると思えるからこそ――せめて安全な場所まで運んでくれると信じられるからこそ、みんなのために力を出せるんじゃないでしょうか。

 つまり、これは、あの人のためではなく、私のため、私が安心するためでもあるんです」


「ふうむ」


 ゾルカンはさらにうなり、周囲に目をはしらせた。

 フィンを探したのだろう。


「ご主人様は何て言ってる」


「許していただいております」


「お前があれに乗れなくなって、疲れたり、まずいことになっても、助けないぞ」


「私の責任です。覚悟はしています」


「わかった。筋は通ってる。俺たちだって、せっかくの客を見捨てたいわけじゃねえ。お前があれに何を乗せようと、お前の自由だ」


「ありがとうございます!」


 やりとりは周囲に聞かれていて、人がざっと道を開けた。


 カルナリアは、横たわるゴーチェに近づく。


「この方を、手当てしてから、私の亜馬に乗せてあげてください」


 同僚ふたりの顔が輝いた。


 ゴーチェ本人は、泣き顔の目をいっぱいに見開いて、まだ理解が追いついていない様子。


「待て、待て、待てえええぃっ!」


 問題は――予想通り。


「奴隷ふぜいが! 主たる私の許可もなく! 勝手な真似をするな!」


 モンリーク・タランドン。


 初めて、彼とまともに向き合った。


 正体がばれないか強く緊張したが――セルイたちもひそかに、多大な関心をもって注目しているのを感じたが……。


 モンリークは………………。




 自分の前にいるのが第四『王女』とは気づかなかった。




「決めるのは貴族の私だ! 奴隷ごときの出る幕ではないわ! 我が家名をもって命じる! お前のあの獣に、我が従者を乗せて運ぶ! よいな!」


「よくありません」


 はっきりとカルナリアは言った。


 モンリークの言いぐさにも、タランドン傍流家名を持ち出されたことにも、腹を立てたわけではない。 


「その方を運ぶことを許してくださったのはゾルカンさんです。あなた様が決めるということを受け入れては、ゾルカンさんの言いつけを破ったことになってしまいます。まずはゾルカンさんに感謝いたしましょう」


 そう、重要なのは「誰が許可したのか」というところ。

 これからのためにも、このグライルにおける貴族である案内人の面子を潰してはならない。

 貴族教育を受けてきたカルナリアだからこそ、そこは絶対に守らなければならない一線だということがわかっていた。


「黙れ! 奴隷が貴族に命令するか!?」


「命令ではありません。これからのためにも必要なことですし、私はその方を助けたいと思っていますという……そう、『お願い』です。奴隷の身ですが、お願いします。その方を助けさせてはいただけませんでしょうか?」


 カルナリアとしては、モンリークでも受け入れられるような言い方を考えたつもりだったのだが。


「ふざけるな! 奴隷のくせに貴族に対等に口をきいていいと思っているのか!」


 それまで以上に激昂した。


 モンリークからすれば、どんな提案であれ、自分が奴隷の発言を受け入れるというのは貴族の面子にかかわることであるし、貴族でも何でもない案内人に感謝するというのも受け入れられない。その思考の流れもカルナリアにはよくわかっていた。

 それがカラント貴族の常識というものだ。


 だが、モンリークが怒ったところで、ゴーチェの足は治せず、彼を運ぶこともできはしない。

 いま必要なのは、彼の足が治るまで何とか同行させ続けること、もしくは安全に休ませることのできる場所まで運ぶこと。それが最優先。


 同僚二人は、もうゴーチェの体を持ち上げ、水場へ移動させ始めていた。


「大丈夫だ、連れていってやるからな!」

「まず手当だ、急げ!」


 それをちらりと見やって安心する。


 一方で、視界の中のモンリークは、自分を無視されたと思ったのだろう、満面に血管を浮かせ、歯をむいた、ものすごい顔つきになって。


「奴隷ごときが生意気な!」


 殴りかかってきた。

 これも予想通りだった。


 それなりに体格はいい。筋肉もついている。

 だが動きは、普通の人だった。少なくとも武芸の鍛錬はしていない。


 カルナリアはひょいとよけた。


 最高の体の動かし方を直接経験している。野山で訓練もされた。強い者たちが戦うところも何度も見た。


 何よりも、本当に恐ろしい相手に何度も殺されかけているので、鍛えてもいない男がのろい拳を振るってきた程度では、それほど脅威と思うことがなく、体がまったく萎縮しなかったのだった。

 荒事に慣れるというのはこういうことなのかと、レントを思い出す余裕すらあった。


「逃げるなぁ! 奴隷のくせに!」


 モンリークは、湯気を噴いてつかみかかってくる。


 それもかわして、さっと背を向けた。


 ほぼ全員が注目し、囲まれているので、後ずさって人にぶつかり、動きを止めてしまうのはまずい。昨日それでファラに迫られ危ういことになった経験から学んだこと。


 小柄なのを生かして、身をかがめて、人と人の間、それも案内人たちの間をすり抜けた。


 モンリークもさすがに案内人たちには乱暴できず――。


 案内人たちは、ニヤニヤして、腕組みして立ちふさがった。


「どけ! 邪魔だ! あの奴隷を捕まえろ!」


「その辺にしといてもらえませんかね、お貴族さま」


 頃合いと見たか、ゾルカンが割って入ってきた。


「あのロバは、、使うのを許したもんだ。したがって、あの怪我人を乗せるのは、俺が許したのと同じこと。文句があるなら俺に言ってもらいましょう。あんたの従者を運ぶのはいけないことなんですかね。じゃああんたが怪我人と荷物を運んでくれるんですかい」


「ぐっ…………無礼者どもが……!」


 モンリークはうなりながらも拳をおろし――。


「タランドンの第五位貴族は、従者をすぐ見捨て、奴隷の慈悲を受けるのですねえ。いやさすがの気高さだ」


 バルカニア貴族に小声で嫌味を言われて、また湯気を噴いた。


「あれ、痛い目に遭わせてやらないと、後で襲ってくるぞ」


 離れたカルナリアにレンカが言ってきた。


「貴族相手なら遠慮はしねえ。血を流しちゃいけないってことだけど、それならそれでやり方はいくらでも――」


「いけません。怪我をさせたら、また手間がかかります」


「それでお前が怪我したら台無しだろ」


「気をつけますから、守ってください」


「ふざけんな」


 レンカは毒づいたが、その声に怖いものはなかった。




 ゴーチェという、怪我人のところへ行った。


 痛めた足首を、同僚に洗われ、冷やされている。


 フィンがいた。

 そのことにカルナリアは驚く。このご主人さまぐうたら者が、なぜ。


「薬だ。塗っておけ」


 ゴーチェの体の上にぽとりと包みを落とした。


 魔法薬ではないが――。


「す、すまない」


 謎の怪人に同僚ふたりはひどく戸惑っている。

 これまでまともに見えていなかったのだろう。いきなりのぼろ布長身怪人出現。気持ちは実によくわかった。


「薬代は払ってもらう」


「う……」


 しっかりと請求するフィンだったが、その次にかけた言葉は、意外なものだった。


「お前たちには、あるじに逆らってもらう。できるだけあの子をかばい、守れ。それで薬代ということにしてやる」


 そういう目論見だったのか。

 カルナリアの胸に熱いものが広がった。


 従士ふたりは、うなずいた。


「…………わかった」

「俺も、わかった。アルバン・ファスタル・グラック、モンリーク様の筆頭従士にして第七位貴族の名において、仲間を助けてもらった恩は必ず返す」


「まだ助かったわけではない。きちんと治してやれ」


 カルナリアが来たことに、もちろんフィンは気づいており、スイッと動いて場所をあけた。


「具合はいかがですか」


「すまない…………本当に、すまない!」


 ゴーチェは、足に副木そえぎをあてられ包帯を巻かれながら、カルナリアに涙ぐんで感謝した。


 カラント人だが、奴隷に心から頭を下げることができる。

 彼は主人には似ていないようだ。


「早く良くなってくださいね」


 礼を言われ続け、注視され続けるのも居心地が悪いので、ある程度で離れることにした――が。


 モンリークが近づいてきた。


 憤然とではなく、落ちついた――少なくとも落ちつこうとはしている様子で、ゆっくりと。


 アルバンと名乗った下級貴族の従者ともうひとりが、緊張の面持ちで立ち上がる。


 フィンは動かないし身構えた様子もないが、レンカが、モンリークを後ろから攻撃できる位置へスルスルと移動していった。


 モンリークは、カルナリアには手が届かない位置で立ち止まり、襲うつもりはないと両手を開いた。


「……おい。奴隷」


「私のことでよろしいでしょうか。カルス、と申します」


「お前の主人は、お前の後ろにいるか」


「そうだ」


 と、フィンの方から言った。


 モンリークがたじろぐ。女と思っていなかったようだ。

 客たちにも、ぎょっとした者がかなりいる。初めてフィンを認識したのだろう。


「名は」


「秘密だ。呼びたければ、この通りのでいい」


「奴隷が奴隷なら主人も主人だな。では、襤褸ぼろよ。なんじの奴隷に、私は恥をかかされた。貴族として、タランドン家の者として、そのままにすることは許されない」


「…………」


 フィンは無言、無反応。

 いつものことだが、カルナリアは心配になって見上げた。


「しかし、落ちついて考えれば、傷ついた我が従者に亜馬を譲ってくれることには、貴族として、感謝すべきである」


 譲ったわけではないのですけど、とカルナリアは思ったが、一応黙っておく。


「そこで、だ。

 先ほど、その奴隷は、自分の望みとして、我が従者を助けさせてはもらえないかと言った。

 それをもう一度、はっきり言ってもらおう。

 貴族たる我が前に、奴隷らしく這いつくばって、どうか私にあなた様の従者を助けさせてくださいませ、と。

 それなら許してやることができる。奴隷が貴族に命令したなどということにはならず、奴隷の懇願を私がれてやったことになるのだからな。

 汝の奴隷に、そうするように命じよ、襤褸ぼろよ」


 どうだ、とモンリークは胸を張った。

 すばらしい寛容さと見事な解決法を示したと、自慢げに。


 周囲の誰もが、あきれはてた顔をした。


 フィンは――ぼろ布が動くことはなかったが、ひやりとしたものを漂わせ始めた。


 怒ってくれてる、と感じて、カルナリアは胸が温かくなる。


 しかし――。


「ことわ」

「ご主人さま」


 言いかけたフィンを、カルナリアはさえぎった。


「頭を下げるだけで、これから先が楽になるのですから、いいと思います」


「むう……」


 きわめて珍しい、困惑とわかるうめきをフィンが漏らした。


「いいのか」

「私なら構いません。ご主人さまが見下されるようなら、それは否定させます」


 以前のカルナリアなら、絶対に受け入れなかっただろう。

 しかし、自分の行為を徹底的に否定され、いなくなってもいいということを受け入れた後である今は、その行為にそれほどの抵抗はなくなっていた。


 頭を下げて相手の望む言葉を口にするだけで、今後の旅路が楽になるのなら――怪我人を見捨てることをせずにすむのなら、どうということもない。


 ただでさえひどく警戒しているご主人さまに、さらに警戒対象を増やしてしまうのも良くないことだ。


「おう、聞き分けのいい、道理をわきまえた良い奴隷である! 主のこともほめてつかわす」


 まだ頭を下げてはいないのだが、モンリークは先走って上機嫌に言ってきた。


 カルナリアは進み出て、その前に膝をついて――。


「よせ!」


 風がはしり、かたまりがモンリークに横からぶつかった。


お前王族が、、するんじゃねえ!」


 レンカが、モンリークの腹に、細長いものを突き立てていた。


「死ね、貴族!」


 ぐりぐりと、それをかき回した。







【後書き】

面子メンツ、この厄介なもの。しかしそれが何より重要な世界に生きている者も少なからずいる。だからこそなるべくしてこうなった。ついに血が。また目の前で人が死ぬのか。次回、第126話「治療の代価」。残酷な表現あり。

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