第8話 姉①


 ――――ふと、昔のことを思い出した。それはまだ僕が小学生になったばかりの頃、姉と初めて会った時のことだ。


「この人が、お前の新しい母さんになる人だ」


 父さんが再婚して、新しいお母さんができると聞いた時、実のところ僕はあんまり乗り気じゃなかった。

 別に前のお母さんに未練があったというわけではない。

 僕を生んだ人は、僕が生まれてすぐに事故で亡くなっていて、ろくに記憶もなかったからだ。

 ただ今まで父と僕だけの二人の空間だった家に、新しい存在が入ってくることに漠然とした抵抗感があっただけだ。

 けれど、幼心にも僕が反対したところでこの話は進むということは理解していたから、表面上仲良くできるフリだけしようと思いながら、新しいお母さんと、その娘さんがいるというレストランに着いて行って……。


「そして、この子がフウカちゃん。お前のお姉さんになるな」


 その想いも、その女の子を初めてみた瞬間にすべて吹き飛んだ。

 猫のようにクリクリとした大きな瞳。艶やかなセミロングの黒髪。健康的に焼けた肌。スラリと伸びた手足に、大人のように膨らんだ胸元……。

 僕よりもちょうど6歳年上だという真新しいセーラー服に身を包んだ少女は、当時の僕には凄く大人っぽく、そして綺麗に映った。

 ドキドキと心臓を高鳴らせ頬を熱くする僕に、彼女は満面の笑みを浮かべて言った。


「フウカって言います。ずっと弟か妹が欲しかったの。お姉ちゃんって呼んでくれると嬉しいな。これから、よろしくね?」


 おそらく一生忘れることのない、僕の初恋と――――失恋の思い出だ。



「……マスター!」


 ガクン、と手を引かれて、我に返った。

 気付けば、目と鼻の先に姉ちゃんの顔があった。

 姉ちゃんは、今までに見たこともない形相で、僕に食らい付こうとガチガチと歯を鳴らしている。

 振り向くと、そこには痛まし気な顔で僕の手を握るアマルテイアさん。

 どうやら僕は無意識に、姉ちゃんに近づこうとして彼女に止められたようだった。


「あ、ぁ……アマルテイアさん、姉ちゃんが」

「マスター……」


 そこに、織田さんと生徒会長さんがやってくる。


「おい、ショウ! マズイぞ! ゾン、ビが……」「これ、は……」


 二人は、変わり果てた姉ちゃんの姿を見て、絶句する。


「グ、ガ…………シ……ょゥ」

「ッ!? 姉ちゃん!?」


 今、かすかにショウって……!

 僕はアマルテイアさんへと縋りつくと、言った。


「アマルテイアさん! 姉ちゃんに回復魔法を!」

「……………………」


 アマルテイアさんは、哀れそうに僕を見るだけで、何も言ってくれない。

 どうして、いつもは僕のお願いならなんでも聞いてくれるのに……。


 ――――そんなの、手遅れだからに決まってる。


 頭の中で、冷静な声が囁く。

 違う! 姉ちゃんは確かに、僕の名前を呼んだ! 意識があるんだ! たとえば……そう! 僕らがこの世界の人間じゃないから、ウイルスとかに免疫があるのかもしれない! それか、冷凍室にいたから脳が腐らずに無事だったとか! とにかく、理由は何でも良い。姉ちゃんはまだ間に合う!


 ――――あんなの、単に漏れ出た声がそう聞こえただけだ。


「違う! 違う! 違う!」


 ガンガンと頭を殴りつける。うるさい、黙れ!

 どうすれば、姉ちゃんを……。ああ、姉ちゃん。可哀そうに。手と足も無くなって、あんなにスポーツが好きだったのに、これじゃあ歩くことも出来ない。魔法で手足は生やせるのか。さすがに無理か? なら義手とか義足を……最近は脳波を読み取って動くのとかも開発されてるんだっけ? とにかく病院に行けば、なんとかしてくれるだろう。それまでは、僕が介護してあげるしかないか。ああ、いや、そうだった。忘れてた。高校から出れないんだった。じゃあ、病院にも連れていけないか。一体どうすれば……。


「織田! マズいぞ! 音が近づいてきている!」

「クソッ!」


 突然、織田さんに身体を持ち上げられる。なにをッ!?


「離せ! 姉ちゃんが!」

「……!」


 織田さんは顔を顰め、しかし何も言わずに僕を冷凍室から連れ出す。姉ちゃんを置いて……。

 そして、精肉店の外へ出て。


「クソッ! もうこんなところまで!」


 いつの間にか、地下売り場は夥しいほどのゾンビで埋め尽くされていた。

 織田さんが僕を落とすように床へ降ろし、襲い掛かってくるゾンビたちを切り払う。

 ドレイクやアマルテイアさんも参加して、精肉店を背にゾンビたちと戦い始める。

 しかし、倒せども倒せどもゾンビたちは次から次へとやってきて、一向に終わりは見えない。

 そんな様子をぼんやりと見ていると……。


『よぉ~! パーティーは楽しんでくれてるか?』

 

 スピーカーからそんな声が聞こえてきた。


「チッ! 菅原! テメェ!」

『あー……なんか不良くんが言ってるみたいだけど、聞こえねぇわ。悪いけど、こっちが一方的に話させてもらいますね』


  菅原はそう言うと、聞いてもないのに語り始めた。

 いじめっ子どもに調査隊へ無理やり参加させられたこと。

 この世界に一人放り出されて、ゾンビが人を襲う現場に遭遇したこと。

 しかし、自分は何故かスルーされたこと。

 それからすぐグールには、ゾンビを操る力があるらしいとわかったこと。


『俺は思ったね。この力を使って、俺をアンデッド系のマスターってだけで理不尽にイジメてきた学校の奴らに復讐してやろうってさ。男は皆殺し、女もブスは殺して、美人は奴隷だ。俺をイジメたんだから正当な慰謝料ってヤツだよなぁ?』

「チッ! お前が嫌われてたのは、前からで、その腐った性格のせいだろーが……」


 織田さんが、吐き捨てるように言う。


『復讐が一通り済んだら、次はこの世界の征服だ。ま、もうほとんど俺のモノみたいなもんだけどな。……だが、そのためには邪魔な奴らがいる。わかるだろ?』


 ……どうでも良い。

 ただただ、スピーカーからのひび割れた雑音が耳障りだった。


『いやぁ、まさかこうまで綺麗に罠に嵌ってくれるとはねぇ。ショッピングモールの前にゾンビが一体もいなくなってたのを見た時は、さすがに焦ったけど、お前らがバカで良かったわー』


 得意絶頂と言った菅原の言葉にも、何も思うことは無い。

 もう全てが、どうでも良かった。

 じわじわと、現実を脳が受け止めつつある。

 姉ちゃんが、死んだ。ゾンビになって、無惨な姿で。

 ほんの数日前は、元気に動いて笑っていたのに……。

 ギュゥゥ……! と胸が締め付けられ、うずくまる。

 ポタリ、ポタリと雫が床に零れ落ちた。

 声なき悲鳴が、身体の中で木霊する。


 ――――姉ちゃんが、好きだった。一人の女の子として。


 初めて恋をして、そして失恋したその日から、ずっとその想いを押し殺してきた。

 姉弟で好きなんておかしいから。

 家族ならずっと一緒だし、それならそれで良いか……と自分を誤魔化して。

 高校に閉じ込められてからも、姉ちゃんさえいればそれで良かった。

 姉ちゃんがいれば、それだけで幸せだった。

 だが、もう姉ちゃんはいない。

 家に帰れても……名前を呼んでも……。

 それに、返事が戻ってくることはない。

 これから、ずっと……それが永遠に続く。


「うぁ……ぁ!」


 震える。身体が。恐怖と、孤独で。

 怖い! 寂しい! 心が軋む! 壊れる! 何かが零れ落ちていく。僕が、僕で無くなっていく……!!!

 姉ちゃん……! 救けて……ッ!


『ゾンビどもを言うこと聞かせられるのは良いんだけど、アイツ等アタマ悪いから簡単な命令しか聞かねえんだよな。――――姉小路のこともダメにしちまうしさ』




 ……………………コイツ、今なんて言った?


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