第41話 魔法使いの再会

「んぁ……?」


 魔法使いを起こしたのは骨すら凍るようなひどい冷気の影響だった。


 顔がしもやけにでもなったように痛い、どこかの皮膚が裂けているのかもしれなかった。


 ゆっくりと目を開く、何がいるのかは気配でわかっていた。


「お、おきた。」


 寝ころんだ伊織を覗き込むように眺めていた緑の女――シルフィードは何か感慨があるわけでもなさそうに、口からはいていた冷気を止めた。


「……何してんの君?」


「ん?起きないから暇つぶし。」


「……楽しいか?」


「そろそろ飽きてきたかな?」


「……いつからやってんの?」


「五分ぐらい前。」


「……ほんとにすぐ飽きるなお前……」


「君らがおんなじことしすぎなんだと思うよ。」


 あきれ顔でそういった風の子に魔法使いは「見解の相違だ。」と伝えて頭を振った。髪の毛が凍っていた。


「……お前僕のこと殺す気だったか?」


 思わず聞いた伊織を不思議そうに眺めたシルフィードは飽きれたように「いや、全然?そんな事したら報酬もらえないし。」と答えて、肩をすくめた。


「報酬……ああ、この前のか?」


 ふっと思いっ出す、別れ際にそんなことをこいつが言っていた。


「そーだよ、こっちはパンのために頑張ったんだから。」


「あー……」


 そういえば、忙しくてこいつにあの調査が不要になったと伝え忘れていたことに伊織はようやく気が付いた。


「で、調べてきたけど聞く?」


「……あーうん、じゃあ。」


「何さ、まさかいらないとか言わないだろうね。」


「……まさか。」


 はっはっはと乾いた笑いを漏らす伊織を胡乱な顔で見つめたシルフィードは、それでも気お取り直したように続けた。


「君のほかに魔法使いがいるかって話だけど、いなかったよ、少なくともこの国には一人もいない。」


「――まじで?一人も?」


「一人も。」


「誰も倒れたネズミ助けてないのか?」


「何それ?まあ、助けた人はいたかもしれないけど、あんたほど運がよくなかったのか、運が悪くなかったんじゃない?」


 そういわれて、彼は自分の運勢なら後者かもしれないなと苦笑した。


 運の良し悪しには自信がない。


「ま、どうにしたって、この国に君以外の魔法使いはいないよ。」


「……ほんとに?」


「ホントだって、嘘だったら君に何されるかわかんないだろ?そんなリスクあることする精霊なんていないって。」


「魔術師もどきはいっぱいいるけどねー」とひらひらと空を飛ぶ精霊にいささか驚きの抜けない伊織は呆けたように視線を送っていた――正直、かなり驚きの事実だった。


『てっきり、猫の魔法使いとかもっといると思ってたが……』


 案外、自分は希少な存在だったのだな……と彼は自分の手をまじまじと眺める、いつも通り太い指がくっついた不格好な手が見えた。


「で。」


 手から顔を上げた少年を見つめていたのはひどく端正で若葉の茂みをそのまま髪の毛にしたような美女の顔だった。


「で?」


「報酬」


「ああ……」


 手を見せながら放たれた言葉に納得する、今必要な情報とは言えないが、仕事は仕事だ。


 連絡ミスの責任を相手に押し付けるのは人としての信義に反する。


「ほれ、好きに食え。」


 腰の袋から取り出した以前彼女を呼んだ時のあまりのパンとジャム、ついでに魔法使いの寄り合いでもらったジャムのような何かを手渡す。


「お、妖精の桃のジャムじゃん、よく持ってたねこんなの。」


「お気に召したなら何よりだ。」


「ん、なんか忘れられてたっぽいのは許そう。」


 そう言って鷹揚にうなずいて見せた風の精にばれていたのかと苦笑した彼はようやく眠りの泥から目覚め始めた頭で、ふと、こんなことを思い付いた。


「それ、もう一瓶やるって言ったらどこまでやれる。」


 一心不乱にジャムを塗った食ってお案をむさぼる風の精に声をかける。


「んー?」


 何を急に?と言いたげな精霊に視線で返した魔法使いの本気加減を理解したのか、ん-……と一瞬唸って。


「まあ、汚れ仕事以外なら。」


 と答えた。


 ここでいう汚れ仕事とは後ろ暗い仕事といった比喩ではなく直接的に汚いもの汚れているもん緒に近づかないならといった意味合いだった。


「ある人間が過去に何をしてたか細かく知りたい。」


「まあ、それぐらいなら古い風に聞いてもいいけど。」


「じゃあ頼む、ここ一年分のある男の動向だ。」


「はいはい。いつまでー」


「明日の朝。」


「短くない?」


「無理か?」


「いや全然。」


「ならいい、よろしくな。」


「はいはい、で、誰の事調べんの。」


「   」


 その一言は突然吹いた強風で彼本人の耳にすら入らなかった。


 が、風の精霊たるシルフィードにはしっかり聞こえたのようだった。


「わかった、名前から何までわかったら吹き荒れるよ。」


「いや、荒れんでもいいけど……」


「じゃあ、吹き抜けるよ。」


「それ情報聞こえなくない?」


「えー……じゃあ、吹きずさ――」


「普通に会いに来い、パンも食えんだろ。」


「あー、それもそうか……ん、わかった。」


 一瞬不満げに顔をゆがめた風の精だったが、「パンも食えない」の一言で思い直したらしい。


 納得したようにうなずく風の精を見て、魔法使いはいよいよ大詰めに入り始めているのを感じていた――そして、この話が穏やかに終わらないだおることもだ。


 夜の風に不安を流してしまおうと、目を閉じた伊織はある違和感に気が付いて、シルフィードに声をかけた。


「あとさぁ……」


「ん?」


「お前、顔に冷風当てる前何してた?」


「ん?おなかに冷風充ててたね。」


「……だから微妙に腹下してんのか……!」

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