第40話 魔法使いの限界

 悲観にくれる精霊との緊迫した接触を終えた伊織はそそくさと家を後にした。


 あらかた調べたいことは調べ終わっていたし、長居するにはいささか厄介な状況になってしまったからだ、何せ――


『あいつ……律儀に警察を戻すのはいいがこんないきなりやるなよ……』


 突然、この次元に戻された警察が彼の周りに大挙して現れたからだ。


 突然何かに押されたかと思えば突如現れた紺の制服の男とぶつかっていた時は何が起きたのかと一瞬目を疑ったものだ。


 どうやら時間が止まっているか、あるいは、ひどく鈍い場所にいたのだろう彼らは外の景色や時計を見て泡を食って大騒ぎをはじめ、調べるどころではなくなってしまったのだ。


 どうにか魔法の薬が効果を失う前に脱出できたが……へたすればあの場で逮捕だ。


 ほとんどうすだいだいに戻った肌を眺めながら煩わし気に顔をゆがめた伊織は独りちる。


『――なかったな。』


 彼の脳裏に浮かぶのは一つの物品、この業種では必要なはずの物――


『PCがない。』


 精霊がいなくなった後、警官がこの次元に戻るまでに、ひとしきりあの事件現場探したというのにどこにも見当たらかった。


 主寝室、客用の寝室、リビング、キッチン、更衣室、はてはウォークインクローゼットの中まで探したがどうにも見つからない。


『やっぱり持って逃げたか……?』


 だとすればそこには犯人につながる何かしらの情報があったのだろう。


『だとしたら……まずいな』


 いよいよ、犯人の正体につながる糸が細くなってきているのが目に見えるようだった。


 一応、辺りはすでにつけている――只、そいつだと断定する証拠が欲しい。『ダモクレスの運命』が執行されている伊織にはそれがどうしても必要だった。


 犯人を魔法で取り押さえること自体に異議を唱える番人はまずいない、それは彼らの仕事であったし、力を持たない者や場所を守るために必要な措置であるからだ。


 ただ、『そいつが犯人である明確な根拠があって』初めて許される行為ではあるのだ。ただ疑いだけでそいつを魔法でどうこうしていいわけではないのだ。


 そんな事を言い出したら、どんな存在にも「あの犯罪に加担しているっ」で呪いやもっとひどい結果を出す魔法を使っていいことになってしまう。


 それでは本末転倒だ、どっちが悪だかわかったものではない。


 そう言ったことを防止するために、番人たちは明確な証明がなされない限り、そいつに対しては無辜の民として扱う。それを攻撃すれば自分の頭上に陰気に漂う『ダモクレスの運命』は伝説の通り、彼を殺すだろう。


 ゆえに、彼は証拠が欲しいのだ――明確なものかあるいは自明のものが。


『証拠……証拠がいるんだよな、番人に見せないと僕のこと喜々として殺しに来そうなのが何人かいるし。』


 そう考えていた少年はふっと思い出したかのように襲ってくる頭痛を感じてそっと携帯の時計を見た。


『三時……いよいよ寝てる余裕がなくなってきたな……』


 昼間にあれほどたっぷり寝たのにまた頭痛を訴え始めた頭を叱責しながら、彼は限界が近いのを悟っていた。


 八時間睡眠で取り戻した元気はすでに彼女たちを助けるのに使いきっていた。


 グリムの死体からつけられた傷はさっきの激突で悪化したのか思い出したかのように痛むし、何なら頭痛のせいで目もかすむ、足取りは底なし沼に入ったかのように遅い。


 だというのに頭だけが高速で回っていた。


『今日手に入れた情報が正しいならたぶん犯人は分かった……が、どうやって被害者たちに接触した?そんなにを転々とできるのか……』


 そう考えていた彼の膝から突然力が抜けた。


「あぇ?」


 急にぐらついた体にとっさに反応して体制を整え――られない。


 伊織はこの感覚に


 魔法の訓練時に時たま起こる現象だった。ゲームのように魔法の使用可能数MP体力の値HPなどない魔法使いだからこそ起きる異常であり、魔法の使い過ぎで体がいかれ始めている証だった。


『あー……思ったより早いな……前はもっと魔法も打てたはず……』


 未だ持って回り続ける頭が以前よりも情けない体を叱咤し始めるが――この状況もやむおえないことだ。


 彼の想定している昔に『四日間ぶっ続けで動いたこと』などないし、彼の覚えている昔に『人を助けるために高度の呪文をぶっ続けで数発ぶち込んだ後で精霊と喧嘩しかけた』ことなどなかった。


 彼はいつだって攻める側だった、守る側になることなどない。


 ダンジョンに『黒法師』として現れるようになってからもそれが変わったことはない、こんな事件が起きたのはこれが初めてだった。


 そういった意味でもって、今回の事件はあまりにも初めての多い事件だった、ここまで疲れたのはちょっと記憶にない。


 果てのないように見えたイタチ狩りの旅も、何もない荒野で鳥に襲われながら過ごした夜ももう少し休みがあった。一番文明が発達しているだろう世界で、彼は一番原始的に死にそうだった。


『……だめだ、いよいよ体が動かん、ちょっと休もう……』


 よたよたと病人か動死体のように――いや死霊術で操られたグリムを見た後だとそれ以下の生き物のように歩いた少年がベンチを見つけたのはそう心に決めてから五分後のことだった。


『ベンチ……補導されないといいが……いや、まあ補導されるぐらいならそれでもいいか……?』


 そう考えている間にも体は休息を求めている、投げ出すようにベンチに寝転んだ。


『一時間……タイm……』


 ポケットに伸ばした手は、結局そこにたどり着くこともなくぶらりと地面に向かって落ちた。


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