第39話 魔法使いの約束

 伊織の中でむくむくと鎌首をもたげるおぞましい想像は彼の中でほとんど真実になっていた。


 死体を持ち出さなかったのは――自分で操れないのが想定外だったからか?それとも自分がここから逃げるのを優先したら取りに戻れなくなったのか……どちらかは伊織少年には分からない。わかっているのはここで何が行われていたのかの仮説と――


「――落ち着け『鈴鳴らし』」


「無理に決まってるだろう!?」


 隣で怒り狂っている精霊が何かをしでかすということだけだ。


「そいつだかそいつらだかがグリムを殺したんだ!復讐してやる!」


 先ほどから同じことしか言わなくなった精霊にそっと嘆息する。


 何か気が付いた様子の魔法使いに精霊は敏感に気が付いた。


 「何が分かったのか」と彼まとわりつき、部屋から出て寝室を調べようと歩み出した少年の足を引っかけ、耳元で騒ぎ立て、喚き――根負けした伊織がこれを教えてから言うものこれしか言わなくなった。


 こうなると思っていたから何も言わなかった魔法使いからすればこれは自明ことであり、同時に非常に面倒な事だった。このままでは対処しなければいけない問題が一つ増えることになりかねない。


「復讐するって言ったって、おまえ、追わなきゃならん奴の顔も知らなきゃなんもわかるまい?」


「別に問題ない!ダンジョンに入ってくる人間を片っ端から殴ればどっかで会うだろ!」


 これに関して言えば実のところ、それほど間違ってもいないだろうと魔法使いは考えていた。


 ひどく当たり前の話ではあるが犯人はダンジョンに潜っている。


 これは死霊術をエクスプローラーの死体に掛けている事から見て間違いがない。


 ダンジョンの内に向かって外から魔法をかけるのはひどく難しい、ダンジョンは魔法であり同時に神秘の塊でもあるからだ。


 内側にあるものは魔法にかけられた被害者であると同時に内側に満ちる神秘によって守られる庇護者でもあるのだ。


 この関係上、外から内に向かって魔法をかけられる人間は限られている、少なくともこの事件の犯人がそれほどの能力を持っていないのは自明のことだろう。それほど力があるのなら、昨日、あの二人は無事では済まなかっただろう。


 だからこそ、彼の言っていることはひどく根本の部分においては正しい。


 が、彼はそれを許す気もない。何より――


「そんなことしたら番人連中が黙っとらんぞ。警察を一時的に神隠しに合わせるのとはわけが違う。」


 そう、これは明確に掟に違反している。


 間違いなくあの梟や――あるいはもっと話の通じないやつの不興を買うだろう。

 そうなれば彼に課せられる罰が百年の流刑程度で済むことはないだろう、死霊術を使った「疑い」のあるだけの自分でも次に何かすれば即死刑なのだ。


「――別にいい!グリムを殺した奴に同じ目に合わせられるなら!」


 ――だから、このセリフは少々予想外だった。彼はてっきり、ここで手を引くとばかり思っていたのだ。


「……そんなに仲良かったのか?」


「……別に、ただ――」


 一瞬この精霊が言葉に詰まったように見えた。五年近く付き合っている少年でもこんな精霊を見た記憶はない。


 驚く少年をしり目に精霊は飲み込んだ言葉を耐えきれなくなったように吐き出した。


「――ただ、こんな風に死ぬ奴じゃないと思ってるだけ。」


 それを聞いた少年の胸に宿ったのは同情と親近感であった。


「――そう思うなら、僕に任せろ。」


「なんでさ!」


「僕なら犯人を見つけられるからだ。」


 そう言って交わった視線が伊織に何を伝えたのかは神ならぬ身でかつ彼自身でない人間にはわからない、あるいは彼本人すら正しく認識はしていないかもしれない。


「それより僕が犯人を殺すほうが早い!」


「君が番人に見つかって殺される方が早い。」


「――!」


 否定できなかったのだろう精霊は口をつぐんだ。


 実際問題、あの手の存在は人が起こした犯罪に比べてこの手の魔法的かつ神秘的な生物の起こす問題の方にひどく鼻が利く。


 この世界で起きたひどく小規模――普通の死霊術が起こす事件で動く死者の数は優に千を超える――で、魔法の法則に何の影響も与えない事件ですらこれほど早く動く連中だ、この精霊が起こす事件ならすぐに見抜いて刑の執行に動くだろう。


 そうなれば彼は復讐も果たせぬまま、どことも知れぬ次元に追い出されるか――あるいはもっとひどい場所、『おとぎ話のうす暗い側ネザーネザー』に送られて二度とこの次元には現れないだろう。


「――でも!」


「でももへったくれもない、こればっかりは変えられん、僕に勝てん君に番人はどうにもならん。」


「……あんたは勝てるだろ。」


「一人ならな、二人はとんとんだし、三人なら確実に死ぬ。」


 彼の魔法使いとしての腕はこんなものだ、魔法の世界を揺るがすような難事件を五つ解決しても無理を通すだけのパワーはない。


「……友達だったんだよ。」


「みたいだな。」


 だからこそ、何もできないのが悲しいのだと納得した。


「いいやつだったんだ。」


「そうなんだろう。」


 でなければこの精霊はこんなに本気にはならないと理解した。


「こんな風に死んでいい奴じゃないんだよ。」


「当然だな。」


 そんな人間はいないだろうと信じていた。


「それでも僕にやるなって?」


「言う。」


 彼のためを思って言った――彼とは友人ではないが、奇妙な隣人ではあった。


「……」


 あえて、復讐など喜ばないとは言わなかった。グリムがどんな男だったのか、画面越しにしか知らない魔法使いにそんなことは言えなかった。


 それでも、作家のような名をした男が友人の死を歓迎するとは思えなかった。でなければこの精霊はこうも懐くまい。


 伊織の言葉に精霊が何を思ったのかは結局誰にもわからない。怒っていたのかあるいは嘆いていたのか。


 ただ顔に当たる部分をそっと下に向けて、数分黙った彼女を伊織はただ黙って見つめていた。


「――ちゃんと。」


「ん?」


 顔を上げた時、彼女の顔に明らかな表情――何度も言うがそんなものがあるのなら――はなかった、ただ、気配が違った。


「ちゃんと見つけて、始末は付けるんだね。」


「そのつもりだ、君が納得できるかは知らないが。」


「あんたがやるって言うんならやるんでしょ、あのネズミの弟子だ。」


「信頼されたもんだ。」


 苦笑する――いったい自分の師匠は何をしたのだ?


「――いいよ、わかった、次に呼ぶ時までに解決してるって約束するならこっちから手は出さない。」


「わかった。」


「……お墓、できたら教えてよね。」


「ああ、次呼ぶ時までに調べとく。」


「ん。」


 ちりん。


 鈴の音が鳴って、次に視線を移したとき、そこに銀の精霊は見当たらなかった。


『帰ったか……』


 ここに用がなくなったのか、あるいは自分と一緒に居たくなかったのか、どちらにしても、彼女にとってここはもう居心地のいい場所ではなくなってしまったのだろう。


 結局、彼女が本当に何もしないのかは彼女自身に託すしかなくなっていしまったが――まあ、大丈夫だろう。


 こちらが精霊との約束の恐ろしさを知るように、彼女も魔法使いとの約束の恐ろしさを知っているのだから。

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