第30話 魔法使いの微笑
秋葉原ダンジョン五層、地上のモンスターがだれ一人手出しできない上空に一つの影があった。
上空で四角形を刻むその影は波打つように揺れ、ただひたすらにダンジョンの下層と上層をつなぐ狭い階段を目指して飛んでいた。
その影の上、下からは見えぬ場所で雲に隠れる渡り鳥の様に空を進んでいるのは黒法師と救助された二人組である。
――彼が動き出したのは、話がまとまってすぐのことだった。
彼女たちを此処に放置する時間が延びるほどリスクが上がると判断したからだ、明らかに彼女たちを狙うものはこの状況を面白くは思っていないだろう。
針を払い落して以降、今のところ追撃のない襲撃者に警戒を強めながら、彼は彼女たちを移動させるために動き始めた。
腰に吊った数多の『魔法的道具』の中から使えそうな物があったことに天啓の様に閃いた彼は、それを使うことを決断した。
ためらっている場合ではないのは明白だった。
腰に手を当て結びつけられた掌に乗るような小さな袋に手を入れた。
がさがさと漁ること十数秒、一瞬入れ忘れてきたかと表所を険しくしていた少年の手にそれが当たった。
勢いよく引き出したそれはひどく巨大な――絨毯であった。
アラビアンナイトで見覚えがあるようなこいつは伊織が数多の冒険で見つけた唯一の『空を飛べて、上で体を横にできる』乗り物だった。
空を飛ぶだけなら箒だの鍋だの
「悪いね急に。」と、不可思議な声で声をかけるとその声に聞き覚えがなかったからか不審そうに周りを飛び回っていた絨毯だったが、じきに気付いたのだろう、彼に絡みつくようにしてその体を締め上げた――昔、こいつにこうやって殺されかけたのは内緒だ。
ひとしきりのじゃれつきに堪えた黒法師を主だと認識したらしいその敷物は、頭を垂れるようにその体を横たえて人のれる高さまで下りてきた。
「さぁ、どうぞ」といった時の少女二人の顔を書き記すにはこの余白はあまりにも少ない。
それほど筆舌に尽くしがたい顔だったが、無理に一言でいえば――茫然としていた。リズ女史の「あ、これ夢だぁ、私たちもう死んでんだぁ。」という一言が妙に印象深いと魔法使いは後に述懐する。
不可思議なものに触れて恐れ慄く気持ちは理解できたが事態は急を要する、黒法師はやむなく後ろで倒れ伏しているアプリ=コットを抱え上げた
最初は「なっ!はぁ!?」だの「セクハラやぞ!」とわめいてもがいていたが、じきに絨毯の上に寝かせるとおとなしくなった。
その光景を見ていた心配になったのか「ど、どうしたの?」と聞いた白銀の少女に対して赤髪の少女が返した答えは「死ぬほど寝心地がいい」だった。
実際に乗ってみれば、その快適さは理解できるだろう、何せこいつは背徳の都で一番腕のいい敷物職人が魔法使いに売るか――あるいは殺すために作り上げた最高傑作なのだから。
そんな友人のセリフを聞いてか、あるいは乗ってみたかったのか。
リズ・レクスが絨毯に自分から乗ったのはそのセリフから丸々一分がたったころだった。
「わぁ、ほんとだぁ……」といいながら絨毯でゴロゴロと寝始めた少女二人を苦笑しながら眺めてから、彼は絨毯の端に乗り、それを動かし始めた。
動かせない人間を動かせるようになったからと言って、普段自分がやっているような動きをすれば間違いなく傷に響くだろう。
そう考えた黒法師は絨毯を緩やかに――と言っても普通のエクスプローラーが一つの階層を超えるのと同じぐらいの時間だったが――動かした。
それが功を奏したのか、あるいはもはや疲れや緊張の限界だったのか、十六層の半ばで絨毯の上には二つの寝息が響いていた。
知らない人間の前で眠るのは女子としていささか無防備では?と思ったものの彼女たちに今日降りかかってた難事を考えると仕方がないだろうなと伊織は思った。
自分の体がごみ箱のちり紙の様に砕かれたり、そんな状態の友人を抱えて殺されかけるような経験をして気を張り続けるのはひどく苦労のいることだと黒法師――東雲伊織は理解していた。
『……狙ってこねぇな……』
秋葉原ダンジョン五層、階層も半ばを超えたあたりで黒法師あれ以降襲ってこない襲撃者の影を警戒していた。
『あれだけ派手に動いてるからてっきり狙ってくると思ったが……今のところ影も形もないな。』
とはいえ、その襲撃者のターゲットは、現在、地上から狙われないようにダンジョンの天井付近をうろついているので狙えないだけという可能性はあったが――
『にしても、何もしかけてる様子がないのはどういうわけだ?』
――それにしても、何もなさすぎる。
よしんばあの針の一撃が不発に終わったことに警戒を抱いたとして、グリムの死体まで持ち出してこの程度で終わるだろうか?何が何でも殺したいからあんな冒涜的なものまで出してきたのだと思っていたが――
『それにしては罠もなきゃ、何かしら大軍をけしかけてくる様子でもないし。』
というよりもこの階層に至るまで襲撃者を匂わせる物は何一つなかった、そんなもの端からいないかのようだ。
『だがそれだとあの針の説明がつかん。』
となると何かあるのだ。彼女たちに手出しできない理由――
『僕か……いや、でもそれならあの時襲ってきた理由がわからん、あの時点で稲妻は確実にみてるはず。』
――わからない。
わからないがひとまずは――
『――無事に助けられそうなことを喜ぶか……』
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