第27話 魔法使いの殲滅

 背に負うようにした少女達の様態を確認する。


 明らかにいい状態ではない。


 髪の赤い少女――リズ・レクスの同期で十年来の友人らしいアプリ=コットだ、ついでに言うならおそらく尾行していた時に一緒に歩いていた少女、名前は……加藤杏だ――は明らかにやばい状態だった。


 まるでガムを捨てるために丸められた銀紙の様になってしまった体は、あちこちから血が流れ出ていて明らかに血色が悪い。


 明らかにがっくりと脱力した様子はその体に意識が宿っていないのをありありと示していた。


 手足は軽い痙攣が見られる――それが恐怖によるものかあるいは怪我の影響か、黒法師には判断がつかない。


 それでも、まだ生きているのは彼のつけた補充要員である『シールドエルゴン』たちの献身のたまものだろう――さすがに大きければ一匹で城壁を崩すと言われたトレントに数百匹単位で囲まれては守り切れなかったらしいが。


 総じて彼女の様態は悪い、一分を争うだろう、急いで治してやる必要がある。


「――リズさん」


 アプリを抱きかかえるリズに声をかける。探偵にかけたように誰にでも聞こえるが誰にも聞こえない不可思議な声だった。


「ぇ、あ、はい!」


 叱られた子供の様に彼女の体が跳ねる――そんなに怖いだろうか?割とかっこいいと思ってやっているのだが。


「これをアプリ女史に。」


 そう言って投げ渡したのは念のために作成の後持ち込んでいた『健常の霊薬Elixir of health』だ、こいつを作るのに寝過ごして携帯用の鍋を一つつぶした苦い記憶も、この時のためと思えば癒されよう物だ。


「へ、あ、はい……えっ!?」


「本気で言ってるこの人!?」と言いたげにゆがむ顔だ、まあ時価でも百万を超える代物だ、普通、死んで問題のないダンジョンで使うのはよっぽど「ぶるじょわ」か、さもなければ死ぬほどの馬鹿かだ。


「早く、死ぬぞ。」


 そういわれた彼女がはっとしたように足の上で虫の息になっている――というか呼吸は止まっているかもしれない――友人に目を向けてもう一度だけ霊薬を見つめて……瓶のふたを開けた。


 それを見た彼は視線を前に向けてがさがさと枝を揺らす煩わしい樹木の巨体を見つめた。


 最初の一発に込められた憤懣は結構の仕事を果たし、先頭集団の五十匹程度を薙ぎ払って余りある威力こそあったがさすがに全滅は願えないらしい。


 突然現れた明らかに『獲物』ではない存在の登場に樹木の化け物共は慄いているのか間合いを図っているのか、少なくともこっちを殺しに来るつもりは今のところないらしい。


 いつも通りに無視された降伏勧告を悲しみながら黒法師は思案する。


『……離れて……いや、ここで離れると伏兵に対処できん、エルゴンが生きてるならどうにかしたが……』


 となると、ここで防衛戦だ。


『……いったん壁はって。治ったタイミングで逃がして焼き払うか。』


 計画は決まった、やるべきことをすれば苛立ちを晴らして彼女の涙を拭き散らすことができるだろう――誰も余計な横やりを入れてこなければ。


『さっきのグリムの件を考えるとどうなるか読めんな。』


 少なくともこの件の主犯は誰かが計画を邪魔しているのを理解してるはずだ、でなければあそこにグリムなど置かない。


 その上で、『』であろうグリムをあそこに置いているということはあの二人には何が何でも死んで、死体を残してほしいのだろう。


『となると――』


 ――危険感知に探知あり。


 左手につかんだ杖が勢いよく振られ、『倒れこんでいる少女に向かった』針を撃ち落とした。


「ぇ、あ、何!?」


 何故だか驚くほど顔を近づけていた――あるいは離していたのか?――リズが驚いたように真っ赤な顔を上げる。


「お気になさらず。」


 不可思議な声でもってそう告げた伊織は使うべき呪文を最初想定していた物から別のものに変えた。


『In nomine "Calamum tardum quod nunquam aperit", potentiam tuam "Hydra ab ovo mundi nata".《『開く事のないスローペン』の名において、力を解き放て「世界の卵から生まれるハイドラ」よ》』


 ――〈悉くの守り/Omnes tutelaeあらゆるものから守る呪文〉――


 唱えながら、遠くに輝く星の力をかき集め呪文でもって形を整え、残った憤懣と慈しみとファンとして推しに会えた喜びでもってひどく高度な守りの魔法をくみ上げた。


 杖を片手間の様に後ろ手に振りぬくと、かばわれた二人の体の周りを光でできた鏡の鎧とも爬虫類の鱗ともとれる光の結晶体が覆った。


「え、ナニコレ」と言いたげにこちらを見てくる推しを手で制してトレントに集中する――木々のざわめきが強くなっている。


「――いいか、もう一回だけ言うぞ。逃げるなら追わんよ。」


 果たしてその言葉が引き金だったのか、あるいはもっと別の事情があるのか理由は分からなかったが、少なくとも、それで逃げ出すものがおらず、逆に襲い掛かってきたのは確かだ。


「――警告はしたぞ。」


 呆れとも無念さともつかぬものをにじませながら黒法師はもう一度呪文を唱える――ひどく早口のそれを聞き取れた者がいるのかは謎だったが。


『In nomine "Calamum tardum quod nunquam aperit", potentiam tuam "Hydra ab ovo mundi nata".《『尽きることを知らぬホグニ』の名において、第六の破滅の形跡を第九の終焉の警告へ》』


 ――〈業火/Infernus〉――地獄の業火を呼ぶ呪文


 瞬間、何もない空間に太陽のごとき熱が生まれた。


 突然現れた業火は瞬く間に黒法師とその背にかばわれた人間に仇なす存在をそのあらゆる罪を焼き払うとされる火の赤い舌でもってなめて、その悉くを瞬きほどの間に焼き払って見せた。


 後に残ったのは静寂と夜のような外套を身にまとう魔法使いと――意識を取り戻したら偉い光景を見てまた失神しかけ、それを介抱している少女達だけだった。


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