第26話――あるいは魔法使いの怒り。
――東雲伊織は怒っていた。
人を傷つけている化け物に、あるいは、このようなi状況を生み出した『後追い人の影』をつけた人間に、そして何より――この件に間に合わなかった自分自身に。
別段、油を売っていたわけではなかった。
視線の先で涙をふくのも忘れてこちらを呆然と見ているリズ・レクス――天王璃珠が秋葉原ダンジョンに潜ると知った段階で彼はここに前乗りして、準備を進めていた。
彼女のSNS を確認し、どこの層に向かうのかのあたりをつけ、その層のモンスターまでなら何が来てもいいように装備の点検をし、呪文の手順を確認し、万に一つに備えて『補充人員』を用意し、ついでに腹ごしらえも済ませた。
完全な状態だったし、事実、そうでなければここに彼は辿りつけなかっただろう。
問題は、彼女がこのダンジョンに入ってきてから起きたのだ。
彼女たちがカメラマンを伴ってダンジョンに入ってきたのは時計が正しければ七時過ぎの話だった。
後を追う――どこで襲われるかわからないためだ――ために入口で彼女たちを見た彼は正直に言って驚いた。
『影が……』
増えている。
天王を含めた同期三名全員に影がついていた。
『……襲われやすくする気なのか、もしくは単純に一人になろうと逃がす気がないのか……』
いずれにしても犯人の行動はエスカレートしている。
この状態では相当のモンスターを引き寄せかねない。
異邦の存在から見ればもはや圧力すら感じるほどの力を放つようになった異様な一団を、彼は追った。
一層、問題なし。
二僧、問題なし
三層、問題なし――
そうやって、十層を超えたその時だった。
――危険感知に感知あり。
弾かれたように振り向く魔法使いの目飛び込んできたのは、身の丈ほどもある巨剣を自分に向かて振り上げているエクスプローラーの姿だった。
『危険感知の呪文』と数多の冒険の記憶が彼の体をとっさに動かした。
足を思いっきり蹴り真横に向かって側転。
ゴロゴロと転がる体を足を突っ張って止める。視線の先に居たのはやはりエクスプローラーであった。
「――なんのつもりだ?」
苛立ち交じりにそう問いかける。
急に襲われたのだ確かめる権利はあるだろうと続けた言葉にしかし何事も返さない。
まるで――
『人形……人形?』
そう、まるで人形のように人間性が感じられない人間――いやな予感がした。
『まさか……』
そう思いながらよくよく目を澄ますとその男の顔がはっきりと見える、その顔は――
『――グリム。』
――まさしく今日死んだとされているグリム何某氏がそこにはいた。
「――なんだよグリム、あんた死んだって聞いてたけどな。」
おどけたような声、しかし帰ってくる言葉は――ない。
黒法師の知る限り、グリムと言う配信者はリアクションの大きさやトークスキルで場を沸かせるタイプだったはずなのにだ。
「おいおい、いつものオーバーリアクションはどうした?根は根暗だったのか?それとも――閻魔様に舌でも抜かれて話せないのか?」
言いざま『第三の視界』を開く。
むっつりと黙り込んでいるグリムはその身を死と狂乱でがんじがらめにされ、『第三の視界』では顔すら見えない。
『……やっぱり死霊術か。』
つまるところ、今回の件の主犯の操る死霊なのだ、彼らは。
『何か仕掛けてくるかもしれんとは思ったが……』
まさか犠牲者本人をけしかけてくるとは。
『いい趣味してんな……』
苦笑いに呆れと怒りと憐みが混じる、あまりにも人倫や条理を無視しすぎている――明らかに死霊術による悪影響が出ているのが分かった。
あの類の魔法は扱う上でひどく精神の均衡を損なう。
どんな呪文にもそれを扱うにふさわしい精神状態や場所と言うものが存在する、視界一面に広がるような花畑を出す呪文を唱えるときに破滅的で退廃的な想像をしていて、それを作り出すことはできない。
そして、それは逆もまたしかりである――人の死体と言うこの上なく悲しみに満ちたものを自分の支配下に置くような呪文を愛する家族を抱きしめた時のような穏やかで満たされた気持ちで唱えることはできない。
どれほど異常者であってもここは変わらない、魔法の法則の一つだ。
そして、その手の精神状態の人間は往々にして破滅的でどうしようもないことをしでかしがちだ。
例えば自暴自棄になって死のうとしてみたり、他人の人生を巻き込むような犯罪に手を染めてみたりするようになる。
この事件の犯人もそうした精神状態で長くいすぎているのだ、もしかするとダンジョンに与えられた能力のせいで自分自身気づかずにそうしている可能性もあった。
『……急いだほうがいいな。』
「あー……一応言っておく。逃げるなら、追わんが?」
無駄だろうと考えつつの降伏勧告はやはり無視された。やはり行動も完全に支配されているらしい。
『……すまんな、あんたの配信結構好きだったんだが。』
こうなってしまっては仕方がない。彼の縛られた肉体を土に返してやろう――
『グリム』は実際優れたエクスプローラーだったのだろう、それは、急いでいたとはいえ黒法師として戦ったはずの伊織に傷をつけたことからも明らかだった。
しかし、彼もそう簡単には負けられない。これでも、剣と杖と偉大なる魔法に関しては一家言あるのだ。
幾らかの呪文と手に持った『衝撃の杖』を使って両手両足を砕いた伊織が哀れな死人に慈悲を与えようとしたときにそれは起こった。
彼女に付けた『補充人員』が――
『――死んだ!?』
――まずい。
そう思った時には彼の体は下層に向かう階段に向かって駆けだしていた。
体を風かあるいは太陽の後を追う影のように閃かせて、彼は飛ぶ星のように走った。
そして、七階層をわずか六分四十二秒で駆け抜けた彼が目にしたのは――腕を振り上げる樹木の化け物とそれから誰かをかばうように体を丸めるクラスメイトの姿だった。
一瞬で血液の中に満ちていた自分への憤懣とここまで力を持ちながら人一人救えない事への悔恨を胸中から掬い上げ、天頂に輝く星々の中から最も力のある星に向かって力を投げはなった。
『In nomine `Fortissimi Zazarabam', causa et effectus et miracula, ruina!《最も強大なるザザラバーム》の名において、因果と軌跡よ、崩壊しろ!』
サロンでの圧迫面接の時を超える苛立ちで放たれた雷は一層とは異なる鬱蒼とした森の木々を薙ぎ払いながら、彼の胸の内に宿った怒りでもって樹木の化け物を細切れの木片に変える。
唖然としている彼女の前に滑り込むように現れた『黒法師』は、いまだこちらを狙うトレントに向かって傲然と告げた。
「――いいか、一応言っておく、逃げるなら今だぞ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます