第16話 魔法使いの来訪

 夜の闇を引き裂くようにその建物は煌々と輝いていた。


 シルフィードと別れてしばらく――ここまで時計を見ていないので正確な時間が知れない――あと、伊織は明らかに高校生には場違いな建物の前でその全景を田舎から出て初めて都会を見た間抜けのような表情で見つめていた。


 首に鎌を突き付けられた少年は特に抵抗するでもなく、その不躾な来訪者の要求に従って動いた。


 表に止めてあった車に乗り、されるがまま目隠しをされ、車はどこへなくとも走り出した。


 一応、場所だけでも探ろうかと曲道の数だけは数えていたが――正直途中でこんがらがってやめた、やはり探偵には向いていそうもない。


 目隠しを外され、車から降ろされた伊織はそこがどこかは分からないが貧乏学生に似つかわしくない場所ではあるだろうと当たりをつけた、周囲の店が明らかにお高い店だったからだ。


『猫の足音』と看板が出ている、彼の目の前にある店は外観から見るとそれほど広い店には見えない。


 しかし、どこか上品な気配を感じさせるそのたたずまいはこの妙に高級感あふれる街でも、ひときわ目立っていた。


「お高そうな店……」


 思わず口をついて出た一言は後ろで彼を監視している影――先だって教室で鎌を突き付けた少女の伊織を馬鹿にしたような一言で返された。


「実際、おまえなどでは入れぬほど格式ある場所ですよ若造。」


 そう言いながら目の前を歩く少女――『処刑人』のガラテアがあざけるように笑った。その姿をみて彼が思ったのは一つ。


「君の見た目で若造は実に違和感があるな。」


 と言うことだった。


 それも当然だった、彼女の体はどう見ても十になるかならないかの小さなものであり、どう見たって小学校は出ていそうもなかったからだ。


 それでいて、彼の喉元まで届くほど長い大鎌を自在に操るのだから全くと言うやつは。


「むぅ……そのうち成長します。」


「人形でもか?」


「人形差別ですか?」


「種族の話だよ。」


 軽く笑って、彼は扉に手を掛ける――瞬間、扉の向こう側で魔法がうごめくのを感じる。


『なるほど?』


 ゴロゴロとうごめく魔法を見つめて、何が起こっているのかを察し、なるほど自分は「招待」されたのだな。と理解した。


 この魔法は明らかに『自分のための魔法』だ、自分が扉に触れると発動し、


 つまり、どこでもドアの魔法版だ。


 この建物ではないどこかにつながる扉がここにあると言うことである。


 正直に言ってここまで高度な魔法をこの世界で見るとは思っていなかった。同じものを作るのはひどく時間がかかるだろう。


 魔法の胎動が終わったころ、魔法使いは扉を押し開いた。


 ――そこは明らかに表から見た店舗よりも大きい場所だった。


 視界を埋める程広いそこは、今少年が立っている入口と地続きになったホールとそれを囲うように二階席があり、そこにはちらほらと「人でないもの」の影がちらついている。


「――ここは?」


「『サロン・アヴドーラ』の「審議室」です。」


 いつのまにやら後ろにいたガラテアに問うた言葉は、彼には理解できない場所に着地した。


「審議?」


「サロンへの有害な行為や裏切りを裁く場ですよ。」


「……僕君らになんかしたっけ?」


「知りません、が、アヴドーラ様が用があると言うなら何かあるのでしょう。」


「……入ったこともないとこで何裁くんだよ。」


「先ほどのわたしへの無礼な態度が問題なのでは?」


「真実が残酷であることと僕が裁かれるのは別問題じゃねぇかな?」


「むぅ……」


 そんな丁々発止のやり取りで稼いだ時間もそれほど長くは続かない、早くいけと言いたげに口をつぐんだガラテアに伊織は額を掻いた。


 こういった施設があると言うのは聞いていたが――まさか自分が来ることになるとは。


 この先は人知の及びつかぬ異郷、現実と幻想の境、あるいは――


『消えそこなった神秘のたまり場……超自然的存在の社交場ねぇ。』


 シルフィードが語ったように、人から離れて行き場をなくした神秘はダンジョンになり、人の世にあふれた。


 ――ではもともといたはずの神秘はどこに行ったのか?


 世の中に多くある、妖怪、妖精、精霊、天使――そういった存在達は?


 その答えがここだ。


 彼らは地下には潜らず、人の世に潜った。


 人をさけひっそりと暮らすもの、人として大成するもの、あるいはどこでもない場所で世界の終わりを見る者。


 そう言って割れた者達が文明の明かりの影として使うのがこういった『サロン』だ。


 此処には不可侵の約定が刻まれ、誰もこの中において狼藉は許されない避難所にして娯楽の場――らしい。


『行きたくねぇー』


 顔をしかめる、ただでさえ忙しいというのに一体何だってかかわりのなさそうな連中に時間を割くのだ?


「そもそも、僕、サロンとかは入れる年じゃないんだよなぁ……」


「あら、サロンに年齢制限などありませんわよ。」


 伊織の疑問に答えたその声はホールの前面、ちょうど真ん前に位置するひときわ高い二階席からかけられた。


「ここはそれほど格式のある場所ではありませんもの、必要なのは――」


「――『資格』だけ?」


「――ええ、おっしゃる通り。」


 そう言ってたおやかにほほ笑む女は、二十代半ばで――ひどく美しい容姿をし、をしていた。


「初めまして、お客人――」


 口から流れるその声はまるで流れる小川のせせらぎのような穏やかで、癒しを感じさせる美麗な声だった。


か』


 ギリシャではニュンペーと呼ばれ、その容貌から人々をたぶらかすこともある水の精霊にして下級の女神とされる存在だ。


 花を咲かせ、家畜を見張り、狩りの獲物を提供し、守護する泉の水を飲む者に予言の力を授け、病を治す。


 一方で、野性的な神々に付き従い、山野などで踊り狂い、森の中を行く旅人を魔力で惑わせたり、姿を見た者にとり憑いて正気を失わせもする存在。


「――ようこそ、『サロン・アヴドーラ』へ、歓迎しますわ、「黒毛の魔法使い」様。」


 ――そして、このサバトの女王だ。

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