第12話 伊織少年の驚き

『――こんばんわ、今日もみんな元気だったかい?武道先生だ――』


「……とりあえず、ここまではセーフか……」


 朝7時の教室、朝練の生徒が校庭で大会前の最後の追い込みをかけるべく練習を始める声をどこか遠い場所の事柄の様に聞きながら、伊織少年は再生していた動画を止めた。


 昨日、彼が予期しておらず、それでいて人の財産や精神に著しい被害をもたらすだろう何者かの企みの痕跡を発見した彼はいくらかの保険を掛けていつものルーチンワークをこなして、ダンジョンを脱した。


 その足で終電の終わった夜の街を歩いて彼が向かったのはどこあろう自分の学校であった。


 別段、たいした理由ではない。


 ただ、これからあきらかに忙しくなるのにいちいち家から学校に通うのが面倒になったのだ。


 そして、彼にとって学校をどうしようもない理由もなしに休みことは容認できないことであった。


 少年は自分の父と母が死ぬその時までは平常な人間として過ごそうと心に誓っていた。


 それがいつか冒険したネズミの一人から聞いた生い立ちのせいだったか、あるいはそれ以外の理由なのかは彼にもわからない。が、そうすると決めているのだ、今のところ破る予定はない。


 しかし事件について調べる手を休めようとも思わない、さてどうしたものかと考えた時、彼に一つの天啓が下りた――それならいっそ学校で生活すればいい、と思い立ったのである。


 名案と思った、幸いにしてそもそも少年の荷物はため自宅への帰還は必ずしも必要ではない。何より、満員電車に乗らなくていい。


 そんなわけで、彼は姿を隠して教室に侵入し、魔法使いであっても不気味に見えるひどく静かな校舎内を自分の居所として使い始めたわけだ。


 それが三時すぎの話だった。


 それからかれこれ四時間弱、まんじりともせずに彼は『後追い人の影』を追いかけていた。


『今のところ『影』がいたのは今までの犠牲者以外に十人、うち、襲われてたのが五人、まだ襲われてない五人こいつらにはもう監視をつけた。』


 ここ四時間の成果を振り返りながら彼はかすんだ眼を揉んだ、正直言ってかなりきつい作業だった。


 彼の《第三の視界》は開いてさえいれば、たとえ画面上であってもそこにある魔法の形跡を見抜ける。


 これを使って日本に拠点を置く配信者のここ一週間分の映像を片っ端から見ていたのだ。


 場当たり的ではあるが、きっかけとしては悪くないだろうと思った。もとより、推理で犯人を追い詰められるほど伊織の頭はよくない。


『後追い人の影』は基本的に術者と対象者が接触しなければ機能しない呪文だ。


 その関係上、この地域に『後追い人の影』が頻発しているのなら、それ絵を使った人間はほぼほぼ間違いなく日本にいる。


 ダンジョンから与えられたスキルだとしても、だれかれ構わずつけられるようなものではあるまい、あそこまで酷似しているのであれば、おそらく使用条件もほぼほぼ同じものだろう。


 であるなら、使われている人間を探れば共通項から犯人が割れるのでは?と考えたのだが――


『……関係性が見えんな、無差別に狙ってんのか?』


 そう、今のところ関係性が見えない。所属している会社も違えば売り出し方も違う、実力もさっぱり違うし、性別もバラバラだ。


 では目的や動機はと言うと――こちらもいまいちピンとこない。


 これが、現実世界ならばわかる。


 目障りな個人や恨みのある相手、誰かの頼まれて――そう言った理由で「誰かを傷つける」ためにこういった事をするというならまったく話は見えるのだ。


 が、今回の問題は、すなわち誰も傷つけられない空間だ。精神に恐怖やトラウマを植え付けると言うならわからなくもないが……それも確実とは言えない。


 耐えることができる人間もいるからだ。現に日本・アメリカ問わずトップ層は最低でも二ケタ台死んでいるらしい。


 なお、話は変わるが伊織少年はこの手の連中を助けたことはない。


 これは彼らが「死んでも耐えられる」と伊織が判断したからだ。


 それは負けん気であったりあるいはダンジョンと言うものへの適応性だったりするが、少なくとも彼らに「黒法師」の助けが必要だとは思わなかったから助けていない。


 彼が助けているのは「そう言ったことに耐えられず、そう言ったことを罰として与えられる必要のない人間」に限られる。


 これを判定するための魔法もあり、彼はこう見えて結構厳正な価値観で動いてるのだ――まあ、ぶっちゃけ『助けを呼ぶ声を拾う魔法』を使って。助けを呼ばれたらすぐに駆け付けるスーパーマンムーブをしているだけなのだが。


 閉話休題。


 実際問題、彼らの内の二人はすでに襲われていたが自分は彼らの救援要請を受け取っていない、むしろ、カメラマンを逃がして、雄々しく戦って死んだ自分を自分で誉め、モチベーションを上げてすらいる。


『だから多分心が折れる奴らだけ狙ってるってわけでもないんだよなぁ……』


 魔法使いの内にはこういった――そう、趣味の悪い連中がいるのは事実だ。


 少年が知っている魔法使いは大部分が人ではない種族だったが、そう言った性根の人間がいるのは間違いない、キルレシオとしても悪い値ではないが……


『ああいう連中が自分の仕込んだトラブルを乗り越えた人間を見逃すとは思えん。』


 が、すでに襲われた連中に再び影が付けられた様子もトラブルに巻き込まれた様子もない……


『……分からん……何がしたくてやってんだ?火事場泥棒とか?』


 しかし、どの事件でも物が盗まれた様子は――


「……だめだ、眠い。」


 ――ここで、彼の体が不調を訴えた。


 ただでさえ今日はすでに重労働をしている、いい加減少しでいいから休んでおかないと思考のめぐりが明らかに悪くなっているのがありありと分かった。


『……ちょっと寝よう、授業開始までまだちょっとあるし。』


 一時間ぐらいは寝れるだろう。と、伊織は自分の腕を枕に変えて、夢の世界に旅立とうとして――


 ガラガラと音を立てて開いたドアに邪魔された。


 正直、その音を聞いたときの伊織の気持ちは筆舌に尽くしがたい複雑なものだった。


 いつだって間の悪い人生だったし、これから先もそうだと分かっていたつもりだったが――少しぐらい寝せてくれともいいだろうと思うのは自然なことだろう。


「おはようございまーす……」


 何かにおびえるように小さくなりながら教室に入ってくるその影に目をやったのは胸中に渦巻く複雑でやり場のない感情からだ。


 そこにはひと時の休みすら許されない自分の人生への怒りがあった。


「――ぇ、あ、東雲君?なんか今日早いね。」


 こんな時間に人に会うことへの緊張があった。


「ぇ……あ、ああ、いや、昨日寝れなかったんでちょっと早めに来て寝ようかと……」


 そして何より――


「えっ、大丈夫?」


「ああ、まあ頑丈何で……」


『――後追い人の影?』


 ――自分が追っている事件の被害者候補の少女がこんなところにいて、なおかつそれが二つ前の席に座っている事への驚きがあった。


 掛けられた言葉に苦笑する彼は自分の顔が引きつっていないかあまり自信がなかった。

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