第10話 魔法使いの疑心


 彼――『黒毛の魔法使い』にして『黒法師』である東雲伊織がそれに気が付いたのは、半分以上偶然からのことだった。


 あの女性配信者――ヨルガオと呼ばれた彼女を助け出してから数日たったある日のことだ、その日も彼は『流砂の罠』の呪いによって襲われていたエクスプローラーを一人助けていた。


 蟻地獄の様に中心に向かって流れる砂の流れは抜けることを許さぬ大地の濁流だ。7層程度でたむろしているゴブリン程度ならばたやすく飲み込み、その姿を地の底にいざなう。


 とはいえ――


『また、えらい大勢に襲われたな……』


 ――それは流砂が埋まらぬ程度の数の話、砂全面が埋まるほどの数がいるとその流れも効果を減ずる。


 直径三メートル分の巨大な穴を埋めてなお余りある子鬼の群れは軽く数百匹を超える数がいるように見えた。


 おまけに穴の反対ではまだ50はくだらないだろう数の子鬼が仲間を引っ張ったり、踏みつけてこちらに渡ろうとしていた。


 そう考えている間にも、穴を仲間の子鬼の頭を踏んでとびかかってくる者――兜をつけているのである程度年と経験を経た個体なのだろう――を裏拳でしばいてあごの骨を砕く。


 血をまき散らしながら仲間を巻き込み、流砂の中に埋まった子鬼の姿はじきに見えなくなった。


 今も、流砂に沈まぬように押し合いへし合いしている子鬼どもは仲間であろう同族を踏んだり押しのけたりしながら、何とか魔法使いである伊織少年に向かって歩を進めようとしている。


『もう一個作るか……』


 またしても同族の背中と頭を踏みつけてとびかかろとしたゴブリンを蹴りで穴に戻しながら、伊織は決断する。正直に言っていちいち蹴り戻すのが煩わしかった。


 後ろに向かって大股で離れながら、先ほどは誘導しながら手を入れた袋にもう一度手を伸ばす。


 その中から流れたのは砂だ。その辺の公園にある砂場でもって彼が回収してきた。


 その砂を地面に撒ながら、天高く輝く彼の魔法の源である天頂の星に手を伸ばして、その力をかき集めた。


『――Inclinate capita vestra, terreni spiritus, sub potestate eorum quae sub nomine Kremrock vacillant canore《.朗々と流れるもの『揺れ動くクレムロック』の名において連なるもの力の元、大地の生霊よ頭を垂れろ。》』


 ばらまいた砂が導かれた力の影響で震え、回り、地面を削るように渦を巻いた。


 砂嵐の様に砂が逆巻いて――次の瞬間には、地面は蟻地獄の様に中心に向かって流れる砂の流れを持つの穴を作っていた。


「――『流砂の罠』」


 手前にあった三メートル四方の穴の隣に突如出現した穴のど真ん中、空に浮いていた伊織少年をしり目に流砂を乗り越えて飛びかかろうとしていたゴブリンはなくなった足場に驚愕しながら流砂にのまれた――




 子鬼が全滅するまで十分とかからなかった。




 結局二百二体――思ったよりも少なかった、戦士の多い群れだったのだろう――いたゴブリンをことごとく砂の餌に変えた伊織少年はゆったりとした足取りで男の襲われていた場所に戻ってきていた。


 彼が残した荷物の回収のためだった、以前も語った通り、ダンジョン内で紛失、亡失した物品は基本的に返ってこない。


 が、それでは、あまりにも哀れだ。


 一攫千金――まで行かなくとも何とか稼げるようにと装備を整えてダンジョンに来たのに、意味の分からない不運で装備をなくすのはあんまりだろう。


 そう考えている彼は装備品のうち、壊れてもおらず使用に足りそうなものは持ち主の手に渡るようにしている――もちろん、幾らかの魔法を使ってだ。


 何時もの様に彼がその荷物を魔法でそいつの玄関に飛ばしてやろうとそれを漁っていた彼は胡乱な表情になった。


 おいていった荷物の中に例のスマートフォン――ダンジョン内で外と電波が通じるあれ――がある、これをもって動けるのは一部の「ぶるじょあ」か、さもなければ……。


『……また、配信者か』


 彼の中にあった違和感の芽が野花の様に彼の楽観視の壁を破って伸びてきた。


 あのヨルガオという配信者を救った日からこっち、配信者と呼ばれるような人間を救う機会が増えている。


 まだデビューしてすぐでいまいち勝手がわかっていないような新人もいたが、それよりもそこそこ経験のあるはずの中級層――俗に中層や下層に潜っているようなベテランが相当数いた。


 今日助けた彼にしてもそうだ。一度か二度動画配信サービスで顔を見たことがあった。


 伊織少年の推しと言うほど見たことのある顔でもなかったが――それでも確か十五層を特に危なげもなく潜れている腕だったはずだ。


『なんだ、なんかおかしい……』


 よく勘違いされるが、どれほど腕がよくなろうが対応可能な数と言うのはある。無限のスタミナでもない限り、人はいずれ体力か精神力に限界がきて倒されてしまう。


 ゆえに疑問視しているのは彼の腕ではない『なぜ彼が七層で対処不能なほどのゴブリンに襲われたか』だ。


 何か可笑しい、少年は残された物品に強く注意を払い、その感覚のでもって装備品をしらべ――ようとして、地面残された痕跡に気が付いた。


 魔法使いには通常の感覚の上にもう一つの感覚――正確に言えば一つどころではない――がある。


 》だの》だのと言われるそれらは世界をより色彩に満ち、不可思議で玄妙な領域を見つめたり、聞いたりするための感覚器だ。


 これで世界を見れば、世界にいかに魔法やその神秘が満ち満ちているのかがわかる、少年のちょっとした自慢の感覚だ。


 それでもって見た時、その痕跡はまるで影を足型にとどめたようなとして映った。


 彼にはこの妙な感触に覚えがある。


「……『後追い人の影』?」


『後追い人の影』とは、彼も知る魔法の一種だ。効果は単純であり、『魔法的視界を持つ者に見える足跡を残すことができる』というただそれだけの物。


 その際、人型の影のようなものが足跡をつけることからその名のついたこの魔法はひどく単純な作動原理でもって動く、初心者向けの術だ。これはそれに『。』


「……」


 少年の脳裏に、ある七面倒な計画が思い浮かんだ。


 ゴブリンに代表される、神秘的生物は基本的に魔法や奇跡に敏感な性質がある。


 そんな奴らの巣穴に『僕の後を追ってください』とばかりに追跡用の呪文をつけた人間が合わられたら――どうなる?


『……ありえなくは……ないか』


 何が目的かは分からないが、少なくとも誰かがモンスターを他人にけしかけようとしている疑いがあるのは確かだ。


「……」


 これが何を意味するのか少年にはよくわからなかったしかし、明確な事実として『これをつけた人が襲われている。』これは無視できない。


『何が起きてんだ?』


 忌々し気に顔をゆがませた魔法使いは悄然と道具をもってその場を後にした――新たな問題が迫っている気配を感じながら。



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