魔法使いの普通でない日
第9話 魔法使いの眠たい昼
――その日はなんだってか妙に昼休みがうるさい日だった。
後にこの日について聞かれた伊織少年はそう答える。
人食いのオーガから配信者を助けた翌々日、教室でいつものごとく昼食抜きで午睡としゃれこもうとしていた伊織少年は、何が理由かわからぬ喧噪でそれを妨害された。
普段は気にならないのだが……今日は明らかにうるさい。いつもの三割増しに騒々しく感じる。
特に伊織少年は『過去の経験』から、寝ている間の物音に非常に敏感だった。
ともすれば、これは耳元で道路工事をされているに等しい安眠妨害だった。
あまりに……あまりにうるさい、彼のフラストレーションはかなりの速度で溜まり、瞬く間に爆発寸前まで跳ね上がった。
自分が疲れている原因は自分が始めた行為だ、それについて誰かに何かを言うつもりはない。
が、あまりに周囲の人間を軽視して騒ぐのは彼の事情に関係なく許されないだろう、少なくとも彼に許すつもりはなかった。
そう感じて辺りを見回せば、普段教室にいる人間も、今日は外に出て昼食にしているらしい。
『……これはダメだな……』
そう考えた魔法使いは思う路に彼自身の力である魔法を励起させ、彼自身の意志を天頂高く輝く星々につなげて、その力でもって呪文を唱え――ようとした。
「やっぱいるんだって、「黒法師」!」
「えー都市伝説だろ。」
「お前、昨日のヨルガオの配信見たろ?「黒い何かに助けられた」ってやつ。」
「いや、あれだって、よくわかんないけどって言ってただろ。」
「じゃあどうやって助かったんだって話じゃね?」
「……オーガがあきらめたとか?」
「ほとんど傷ついてないのにか?アーカイブみただろ?」
「あー……でもお前、『ダンジョンで死にかけてると突然現れて助けて、なにもせず消える』とか……なくねぇ?」
「新種のモンスターとか?」
「それでこんなことするか?」
――この会話を聞いてつい口が止まった。
彼らの話題に覚えがあったのだ、ヨルガオと言う配信者、オーガに襲われたときの話、そして――黒い何か。
『……僕の話だった……』
そう、彼らがしているのつい先日彼がやった救助活動から、まことしやかにささやかれている憶測だった。
すなわち、数年前から噂されている『不確実な怪人:黒法師』は本当に存在しているのでは?と言うものだ。
『不確実な怪人:黒法師』とは言ってしまえば都市伝説の一種だ、「ダンジョン内で死に瀕していると黒い外套を羽織った怪人が現れて危機から救てくれる。」そんな噂だった。
『不確実な怪人』と言われるのは『死に瀕していれば必ず出てくるわけではない』ことからついた名前だ。
理由不明、存在不定、だが確かに存在しているらしい形跡や目撃情報はある。
そんな不思議うわさが全世界でささやかれるようになってもう三年がたつ。
それからと言うもの「目撃情報があるのだから存在する派」と「そんなことする存在がいるわけない派」の二つに分かれて激論を戦わせているわけだ。
そして――
『また僕のことでもめとるやん……』
――何を隠そう、『不確実な怪人:黒法師』はここで彼らに呪文を掛けようとしている東雲伊織本人なのだからいよいよ笑い話である。
ダンジョンができてからと言うもの、彼は自身の時間が許す限りダンジョン内での「無意義な救助活動」にいそしんできた。
で、それが表面化したのが三年前だったのだ。
その時助けた人間が動画配信者で撮影用のカメラを持ち込んでいたのが原因だった。戦っている姿を遠巻きながらに撮られたのだ。
で、助けられたことがある人間がSNSで次々名乗り出て――と言った具合だ。
エクスプローラー内でだけ話されている話だとばかり思っていたが、一般人にまで周知されているのは少しばかり面食らった。
『……って俺が原因なら余計僕が沈めんとならんな。』
頭を横に振り、気を取り直して再び呪文を唱えなおす。
示すのは、『静寂を愛する女性』の星――
――〈お静かに/
瞬間、激論戦わせる彼らからこちらに来る音ががくっと落ちた。
別に彼らが激論をやめたわけではない、彼らの口から洩れる音が小さくなっただけだ、そう言う呪文だった。
いつもの昼休みとそれほど変わらぬ平静な時間が返ってきた――が。
『……目が冴えた。』
――彼の安眠は帰ってきそうもなかった。
今までの経験からくる習性かあるいは生来の気質か、彼は一度目が覚めてしまうとすぐに寝れない人間だった。
『……仕方ない、珍しく昼飯でも食うか……』
そう考えて、のったりゆったり購買まで歩き、ジャムパンとクリームパンを確保した彼は、はしたなく歩き食いをしながらふと思う――
『教室戻るの気まずいな……』
何せ、あの小うるさい集団は自分のことで騒いでいるのだ、なんというか……別に何が悪いわけでもないのだが、気まずい。
気にしすぎと言われればそこまでだが、実際問題、伊織少年は気まずいのだこればっかりはすぐには変わらない。
となると――
『次の始業時間までどこに居ようか……』
あいにくと、午後一の授業まであと三十分あった、寝ないまでもどこかでだらっとしたい。
教室がダメとなると……彼に考え付くのは一か所だけだった。
『屋上……階段まではいけるはず。』
此処、鴻之台高校でも普通の学校と変わらず、屋上には鍵がかかっており、入ることはかなわない。
が、階段ならいける。
基本的に閉まっている屋上に用のある人間などいない、であることから基本的に人はこない。
誰にも見られずだらっとするなら此処だろうな、と考えた伊織少年はのそのそと階段を上がって――
「――あ」
「……ど、どうも。」
――先客と目があった。
そこにいたのは楽しげに隣の少女と話す天王璃珠の姿だった。
一瞬、時が止まる。
お互い、こんな時間に人が来ると思っていなかったがゆえに困惑が脳の機能を著しく阻害していた。
「あー……」
驚いて固まっている彼女とそれを見てどういう状況かつかめないらしい彼女の友人に向かって、一瞬早く硬直から解けた伊織は機先を制するように口を開いた。
「――や、すいません、僕向こう行くんで。」
屋上の出入り口は二つある、反対の階段を指さしながら伊織少年は元来た道を戻るべく身をひるがえした。
「え、あ、いや、別に――」
「や、僕あと寝るだけなんで、お邪魔しましたー。」
相手が言い終わる前に撤収。
友人との歓談の時間をつぶさせる謂れは自分にはないし、他人から奪った場所でゆったりもできない。彼の心情がそうさせた行動だった。
そうして、移動を続けた彼はようやく憩いの場を手に入れて、だらっと昼休みを過ごしていた――
おもえば、彼はもうちょっとこの時の接触に――もっと言えばあの配信者を助けた日から、彼女に不思議なほど妙な接点があるのを注意すべきだったのかもしれない。
しかしまあ、この起点は驚くほど静かに、かつ誰にも悟られぬように進行していたのだから、彼が気が付かぬのも無理のない話だったのかもしれない。
―――かくして、魔法使いの平常は緩やかに終わり始めていたのだ―――
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