第8話何が起こっているのか
第3ミーティング室につくと、開出はミーティングテーブルを回って、回った側の椅子の向きをさらに変え、入り口を背にして窓の外を見る格好で座った。梅も黙ってそれに従い、同じ姿勢で窓の外に視線を向けた。
いつもと変らない風景が広がっている。眼下の道路を走る車は、まるでミニチュアカーのようだ。
創業者でもある会長が、大きな会社になれますようにと、験を担いで、このタワービルの高層階を、当時の社格にしては分が過ぎる、三層ほども借り切って本社としていた。そのように験を担いだのが真相だが、それは妙に会社の格を引き上げる役目も果たし、会長自らが育てたセールス部隊の優秀さも合わさって、会社は右肩上がりに急成長してきた。
エンジニアである梅としてはかなり悔しい思いをするところだが、先に営業力でビジネスを作っておいて、その後を追うようにして開発部がそれを製品化していく、という流れが、これまでの我が社、スカイフラワーの業務スタイルだった。
それが息子に社長職を譲り、自らは会長となって第一線から退くと、少しずつ風向きが変ってきた。息子である現社長は、エンジニアとしての学を修め、社に入ると会長から帝王学を叩き込まれたという人物だ。その上、しっかりとした自らの哲学も持っている。よくある二代目のぼんぼんの失策のようなことは、まったく起らなかった。営業力と技術力という、違う側面から社を構築して行く過程で、それは化学反応を良い方に起こし、世間では奇跡の会社と呼ばれるような大躍進を遂げていた。
今回のサムライ動力車との、安全運転支援システムの契約が成立すれば、それは盤石なものとなる。それほど今回のプレゼンは社にとって重要なものであった。
「側方衝突回避システムの開発は順調なのか」
窓の外を見る姿勢のまま、開出が訊いてきた。
今度のサムライ動力車に対するプレゼン内容に、そのシステムも盛り込まれることは、すでに社内コンセンサスが取れている。肝心なのは、そのシステムの独自性だ。その核心部分は、まだ社内の誰にも開示していない。どこの誰に対しても、ギリギリまで秘密にする。それが真藤との約束だった。
「なかなか難しいですね。車は前後には動きますが、左右となると、ハンドルによって制御できる範囲も限られますから、側方からの衝突物の回避となると、それはもう大変難しい技術になります」
「そうかい。だったらそいつを開発したおまえさんたちはすごく優秀ってわけだ」
「ですから、それはまだ」
「もう子供じみた隠し合いはやめにしようや。おまえさんたちがそのシステムをほぼ開発し終わっているということはある筋からすでに教えられてるんだ」
ある筋? そんなものがあるわけがない。真藤も秘密にしているだろうし、わたしだって誰にも話してはいない。それぞれのパーツを設計しているエンジニアにしても、それらが集積されると、どのようなものになるのかまでは分っていないはずである。よって、開出は、カマをかけて、肝心な部分を聞き出そうという魂胆なのだろう。やすやすとその手に乗ってたまるか。
梅が黙ったままでいると、開出は、
「ダブルシーケンスシステムと呼んでるらしいじゃないか」
と言って、顔をこちらに向けた。
さすがに、ど真ん中に繰り出されたストレートパンチのような言葉に、激しい心の揺らぎが起こり、それは我慢できずに表情に現われたはずで、それを開出はしっかりと見届けたことだろう。その秘密の名を出されても、何も知らないというような演技は、梅にはとうてい無理な話だ。
もうすべてを洗いざらい話してしまおうかと思った瞬間に、あることに気づいた。その名は、お昼に加織のいる前で、真藤によって披露されたではないか。加織がそれを開出に伝えた可能性はある。
「おしゃれなネーミングですよね」
「バカを言っちゃあーいけないよ。名前を知っただけで、おおよそどんなシステムなのかが想像できるってのは、野暮なネーミングってことだ。側方から近づいてくる物体に対しての整列データと、自分が運転する車の稼働力と旋回性能の整列データを掛け合わせて、GPSからと車体に埋め込まれたカメラの画像データをリンクさせ、AI技術によって、衝突回避させる。単純化すればそういうことだろ」
「側方衝突回避システムと言ったら、どんなものでも同じ言い方でまとめられます」
「いやいや。だからそういう狸の化かし合いみたいなことに労力を使うのはもう止めにしようよ。それの核心はキューポラ光学の複眼レンズを用いるってことだろ。それがいけない。そのシステムをうちが本気でやるのなら、キューポラ光学は外せ」
キューポラ光学の複眼レンズは梅たちのシステムのキーデバイスだ。梅たちのシステム設計が出来上がってから、キューポラ光学と組んで、その複眼レンズを開発したわけではない。もともとその素晴らしい複眼レンズがあったからこそ、梅たちがそれを活かせるシステムを、フローチャートに落とし込んで、詳細を詰めていって、そこで初めてシステム設計が出来上がったというのが正しい。だからキューポラ光学の複眼レンズを外してしまったら、梅たちのシステム設計図はただの落書きに過ぎなくなる。
どのような経緯からなのかはわからないが、開出は、梅たちのダブルシーケンスシステムの核心を掴んでいる。
ならばつまらない化かし合いに戻るなどは茶番だ。
「どうしてキューポラ光学を外さないといけないのですか」
「キューポラ光学はシステムヒューマンとの取引によって成長し、さらにその上に金銭的な支援も受けて、日本はおろか世界でも通用する大企業にまでなった。だから、システムヒューマンに不義理はできないってことくらい、わかるだろ」
嘘を言っている。梅は直感でそう感じた。いかにも普通の国内のビジネスの体で開出は語っているが、そこにはとんでもない裏の世界がありそうだ。
「不義理って、どこへの不義理ですか」
「システムヒューマンもキューポラ光学の複眼レンズを使って、安全運転支援システムを開発したようだ」
「うちのシステムが盗まれたってことですか」
「システムヒューマンに盗まれちまった方がまだマシだったかも知れないな。けれども、おまえさんたちのシステムとはまったく関係なく、その上、おまえさんたちが思いもつかなかったレベルのシステムを、おまえさんたちが思いついたシステムを基にして、完成させたやつがいる」
「それは、キューポラ光学がスカイフラワーを裏切ったってことですか」
「なあ、梅。そうカッカカッカと熱くなるな。冷静に考えれば、今回のうちのビジネスやシステムの問題点も、そこから発生するキューポラ光学のビジネスや問題点も、システムヒューマンのビジネスやシステムの優位さもはっきりわかるはずだ。頭を冷やせ」
また嘘を言っている。なんなの。本当になにがあったというの。それは知らない方が良いという予感がする。だが、知りたいという気持ちも消し去れない。
「行ってきます」
梅は立ち上がった。
「行くって、どこに行くっていうんだ」
「もちろんキューポラ光学に決まってます」
「行ってどうする」
「わかりません」
それだけ言うと、梅は部屋を飛び出した。
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