6.夢

「君が俺のところまで堕ちてくれればお嫁さんにしてあげる」

それは誰の言葉だったろうか。


夢を見る。

幼い私が同じく、幼い男の子と遊んでいる夢

黒い髪の男の子だった。顔は・・・・・思い出せない。

とても楽しくて、彼といると辛いことを全て忘れられた。この時間が終わらなければ良いのにといつも思っていた。

「・・・・・のこと、大好きよ」

私がそう言うと彼は「俺も大好きだよ」と返してくれた。

私、彼のことをなんて呼んでいたのかしら。彼の名前が思い出せない。彼の顔と同じ。モヤがかかったみたい。


  『大丈夫だよ』


えっ。

さっきとは違う。頭に木霊するような声。


  『君はもうすぐ俺のところに堕ちる。俺が堕としてあげる。あの日の約束を果たそう』


約束?

私、どんな約束をした?

思い出せない。どうして?


演劇の舞台が切り替わるように夢の場面が変わる。


「どうして」と母は泣き崩れる。

「どうして私のところに帰って来てはくれないの。どうして、あの女のところに行くの?」

美しい貴婦人だったはずの母は貴婦人らしい化粧も、髪型もしていない。ボサボサの髪、泣きすぎて赤く腫れた目

身なりを気にしなくなった母は浮浪者のような姿をしていた。

「お前が女だから」

父の不在を嘆いていた母の狂気が私に向く。当時の私はそんな母が怖くて、身をすくませたけど、今はまるで他人事のように母の狂気を見つめることができる。それだけ私が大きくなったということか、あるいはこれが夢だと知っているからなのか。

「あんたが生まれて来たのは間違いだった」

大丈夫。もう、傷つかない。傷つく心はすでにない。

「あんたが女だから」

母の手が私に伸びる。その手が私を抱きしめたことはない。その手が私の頭を撫でたことはない。

「だから、あの人は帰った来ないんだわ。あんたが女だから」

母の手が私の首に触れる。

この手はいつも私を傷つけてきた。

「どうして、男に生まれて来てくれなかったの?」

母がゆっくりと私の首を絞める。ポタポタと私の顔に母の涙がこぼれ落ちる。

「女じゃ意味ないのよ。ダメなの。女の子じゃあダメなの。男の子じゃないと。男の子じゃないとあの人は帰ってきれはくれない」

セザンヌは男の子を出産したからね。この家の嫡男。女でも家を継げないことはないけど、大体は男が継ぐし、そういう意味では生まれる子は女よりも男が好まれる。

もちろん、女でも使い道はある。だから女が生まれて困ることはない。それでも、女を産んだ正妻よりも男を産んだ愛人の方が立場が上になることがある。今回はそこに父の寵愛も入っているから余計、顕著なんだろう。

母が生きている限り、いくら男でもその子供が認知されることはないけど。

「あんたを殺したらあの人は帰って来てくれる?私を、褒めてくれる?」

そうだね。きっと「よくやった」と言ってくれるよ。

だって、唯一の後継者である私は死に、私を殺したあなたは逮捕されるから。父は堂々と愛人とその子供を家に迎え入れることができる。

「あんたを殺して、幸せになる。私は絶対にあの人を取り戻すの」

無理だよ。


「お母様、生まれて来てごめんなさい」


その時、母はどういう顔をしていただろうか?

分からない。よく、見ていなかったから。首を絞められて、上手く呼吸ができなくて、視界がぼやけてきていたから。

ただ、翌日のことだった。母が死んだのは。

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