Prologue13

 俺は無事にセイナがリリー王女を救出したのを見届けて礼拝堂チャペルをあとにしていた。

 決して、本来部外者である自分があの歓喜の場にいるのが気まずいとか、そういうことを感じたわけではない。俺は作戦前から事件とは別にずっと違和感のようなものを感じていた。

 皇帝陛下と失踪、神器の紛失、タイミングを見計らったかのようなテロ事件、テロリストとは別の警備員の男の錯乱。すべて出来事がどこか都合のいいタイミングで起こっているかのような、そんな違和感だった。そしてなによりも俺が一番気になったいたのは、作戦前に広場横の街路樹が立ち並んだ通路で女王陛下に電話した時に向けられた「殺気」だった。あの状況でいったい誰から向けられたものなのか、作戦中も結局それが分からなかった。だが、最後の最後でようやくその違和感の正体に気づくことができた。

 俺は再び、作戦前に殺気を向けられた街路樹の立ち並ぶ道に来ていた。

 するとそこには、見覚えのある一台の黒いTX4のロンドンタクシーと、その運転手である40代くらいのスーツ姿の小太りな中年男性の姿があった。

 そう、彼はさっき俺たちをバッキンガム宮殿からここまで乗せてくれたタクシーの運転手だ。こちらに気づいてないのか、男性は俺に背を向けたまま誰かと電話をしていた。

「はい、はい、ではのちほど……」

「ちょっといいか?」

 電話を終えてスマートフォンをズボンのポケットにしまっていた中年男性に、俺が近づきながら静かに声をかけた。

 中年男性は電話に夢中になっていたのか、声をかけられるまで俺に気づいていない様子で驚いた表情をしながらこちらに振り返った。

「なんだ、さっきのお客さんか……脅かさないでくださいよ……」

 周りには誰もいない。さっきの鼓膜がぶち破れそうになるくらい騒がしかった銃声が嘘のような静かな道端。太陽も沈みかけ、薄暗く辺りを照らす夕暮れ。そんな黄昏たそがれのなか中年の男は笑顔でそう言ってきた。

「あー申し訳ない。一つ聞きたいことがあってさ。ちょっといいかな?」

 笑顔の男性にこちらも笑みを浮かべ、右手で後頭部の自分の黒髪を掻きながら俺はそう返す。

「は、はい。何でしょうか?」

 中年男性は首を傾げた。誰もいない静かな道に四月と思えない程の冷たい風が吹く。

「お前は何者だ」

 四月のイギリスの冷たい風よりもさらに冷たい口調で短く言い放つ。

「何者?私はただのしがないタクシードライバーですが…………?」

 俺の言葉に中年男性が困った表情をしておどおどと戸惑いを見せていた。

「三つだ」

 俺は中年男性の前に右手で三本指を立てて見せる。

「一つ、あんたはさっき車内でセイナに、ケンブリッジ大学は危ないから今日は近づかない方がいいと言っていたのにもかかわらず、こんなところにずっといること。人には危ないと言っておきながら何故ずっとここにいるのか。おそらくあんたはテロの監視、またはテロリストたちを陰から操るために離れたくてもこの場を離れられることができなかった」

「……」

「二つ、俺はわりと他の人よりも五感が鋭いほうなんだが、タクシーの車内で眼を閉じていた時ずっと違和感を感じていたんだ、アンタの臭いに。中年男性特有の加齢臭のような臭いは若干してはいたが、どうもあんたのはそれは人間のものではなく、人工物で作った香りのような違和感があった。さらに本来であれば、加齢臭は身体だけでなく車内にも残るはず。だが、あんたのそのTX4からは一切その臭いがしてこなかった」

「……」

「そして最後、一番おかしいと感じていたのは、俺が車内で眼を閉じていた時、あんたは確かセイナにこう言ったよな?「今日は行かないほうがいいと思うよ、嘘か本当か知らないけど、今さっきケンブリッジ大学をテロリストが襲撃して、を人質に立て籠もっているってニュースで見た」って。でもおかしいんだよあんたのその話し、確かにニュースでテロリストが人質を盾に立て籠もっているニュースは流れていた。だが、なんてニュースは一度も流れていないんだよ。一部の関係者しか知らないはずのトップシークレットをどうしてあんたみたいなしがないタクシードライバーが知っているんだ……?」

「おしゃべりな男だ……」

「!?」

 中年男性は薄暗い闇夜の中、不気味な笑顔を崩さずに静かに答えた。だが、その声はさっきまでの中年男性のものとは違い、その見た目とはあまりにも不釣り合いななまめかしい女性の声へと変化していた。

 俺はついに正体を現したこの事件の黒幕を前に、いつでも銃が抜けるよう左足のレッグホルスターに手をかけて臨戦態勢に入る。

「お前は本来、我ら「ヨルムンガンド」の計画には不必要な存在。今回の作戦では貴様は殺さない手筈だったが……気づいてしまったなら仕方ない………」

「ヨルムン………ガンド………?」


 中年男性は女性の声のまま静かに喋りながら、右手をスーツのシャツの下まで持っていくと、バサァッと音を立てながら中年男性のを脱ぎ捨てた。

 どういう手品を使ったのか、さっきまでそこにいた中年男性は女性へと姿を変えていた。全身を黒のドレス服を身に纏い、黒いコンバットブーツを履いた長くて細い生足が黄昏のなか怪しく光っていた。髪は黒のショートボブの毛先だけを外にはねていて、眼の色は後ろの暗闇に溶け込むかのような黒。顔に傷などは無いが口元も黒色のフェイスガードで隠しており、完全な素顔までは分からない。それでも口から上の象牙色の綺麗な肌の色から恐らく東洋人だろうか?身長は155㎝程のセイナよりも少し高い160㎝くらいで、歳は声のトーンからセイナよりも少し上の印象だった。

 さながらヨーロッパのスパイのような恰好をした女性は、美しい見た目とは裏腹に、話すごとにその身体からは殺気があふれ出し、俺を威嚇する。

(コイツ…………)

 タダものではない、さっきのテロリスト達なんて赤子のように感じるレベルの殺気だ。女の周りの街路樹が殺気で歪んで見える。

 今日は悪魔の紅い瞳レッドデーモンアイをもう限界まで使ってしまい能力がほぼ使えない状態のなか、得物、能力、全てが未知数の相手に勝負を挑まなければならないという今の状況に、俺の頬から一滴の冷や汗が垂れる。

「死ね」

 俺は少女の言葉を聞いた瞬間、左手義手が素早く左足のレッグホルスターからHK45を抜き放ち、銃口が火を噴く。

 シュンッ!シュンッ!

「なッ!?」

 確かに女の肩を撃ったはずなのに、俺の放った弾丸は女をすり抜けて後ろの暗闇へと消えていった。

「ふん」

 俺が驚いた隙をついて女は素早く腰から黒い銃を取り出してこちらを撃ってきた。

「クッ!」

 俺は女の方に正対したまま左方向に空中で一回転し、銃弾を躱しながら銃を連射することで牽制しながら、街路樹の裏に隠れた。

「馬鹿か」

 またしても俺の弾丸は女をする抜けていき、全て後方の暗闇へと消えていった。女は俺が隠れた街路樹の方に銃口を向けたままゆっくりと近づいてこようとした。

 ドンッ!!

 暗闇の女は足を止めた。一発の銃弾が彼女の足元に放たれたからだ。

「動くなッ!!」

 銃声がした方を俺が見ると、黄昏時たそがれどきの夕日を浴びて光り輝き、暗闇を照らす黄金色のポニーテールをなびかえながら、Desertデザート Eagleイーグルを構えた、小柄なブルーサファイアの碧眼を持つ少女が道の真ん中に立っていた。

「セイナ!?何でここに!?」

「周りのイギリス兵達から逃げてたら偶然、別にあんたを探していたわけじゃないわ」

 銃口を暗闇の少女に向けたままセイナはこっちを見ずにそう答えた。

「で、コイツが今回の事件の元凶?妹をあんな目に合わせた奴なら容赦しないわよ」

「……」

 セイナに足元を撃たれた女は、何も発しないまま静かに銃口を俺からセイナに向けようとした。

 ドンッ!シュッ

 セイナが撃たれる前に放った銃弾が、俺と同様に女をすり抜けて後ろの暗闇へと消えていった。

「セイナ隠れろ!コイツに銃は効かない!」

 俺が大声でそう叫ぶと、セイナは顔色を一つ変えずに銃を素早く右足のレッグホルスターにしまうと、背中に背負っていたグングニルを、あろうことか身体を横に一回転させながら暗闇の女に向けて投擲した。

「チッ」

 ブーメランのように回転しながら飛んでいったグングニルをなぜか暗闇の女は避けた。

 だが、避けながらも持っていた銃でセイナを撃とうとしていたので、俺は女の身体ではなく、女の持っていた銃だけを正確に撃ち抜いて破壊する。

 セイナはその隙にどうやってか知らないが投擲したはずのグングニルが手元に帰ってきたのをキャッチしてから、俺のいる場所の道を挟んで反対側である、右側の街路樹に身を隠した。

「小賢しい真似を………」

 暗闇の女はタクシーよりも後ろにあった街路樹までふんわりと大きくバックステップで後退し、小さくそう呟く。

「これで2対1、形勢逆転だな。大人しく投降したらどうだ?」

 俺は弾切れになっていたHK45をリロードしつつ、女に向けてそう言った。

 やつの能力は未だによく分かっていないが、銃弾のような点攻撃は避けず、グングニルの斬撃による面攻撃を避けたあたり、おそらくやつは空間操作系の魔術か何かの使い手なのだろう。それさえ分かってしまえばあとは何とかできるはずだ。

「フフフ……流石は元SEVENセブン TRIGGERトリガー隊長の「月下の鬼人げっかのきじん」、そして神の加護を受けし王女様といったところか……だがこの程度でわれが逃げ出すとでも?」

 どこからしゃべっているのか、暗闇の奥から女の不気味笑いと共に声が響く。

「元SEVENセブン TRIGGERトリガーの隊長!?「月下の鬼人げっかのきじん」!?あんたは一体……?」

 女の言葉を聞いて驚愕の表情でセイナが俺に問いかけてくる。

 伝説の特殊部隊「SEVENセブン TRIGGERトリガー」通称「S.T」は、かつて何度も世界を救ったと言われている、Navy SEALsネイビーシールズDeltaデルタ Forthフォースと並ぶアメリカ軍所属の特殊部隊の一つだ。隊員はそれぞれ一つの銃器「ハンドガン」「マシンガン」「ショットガン」「アサルトライフル」「スナイパーライフル」「ランチャー」「リボルバー」を極めたスペシャリストによって構成された部隊である。

 色々あって俺はそこで隊長を務めていたのだが、ある事件をきっかけにSEVENセブン TRIGGERトリガーは解散。その際に隊長は責任を取って……

「……」

 セイナの問いに俺は黙ってしまう。別に自分の身分を隠そうと思っていた訳ではない、このことは女王陛下であるエリザベス3世とセバスも知っていたことだし、今更バレたところでなにも問題はない。だが、聞かれてもいないことをペラペラしゃべるようなバカな真似だけは絶対にしない。しゃべるやつは大抵が自分に酔ったアホかただのマヌケと相場が決まっているからだ。それに、この話しはそんな簡単に誰かに説明ができるようなものではないのだ。

「今はそんなこと関係ない、ヤツに集中しろ」

「……」

 俺の言葉にセイナは黙り込んでしまう。つい自分に余裕がない状態で、迷った挙句に一番やってはならない中途半端な返答を俺はしてしまった。こういった時は嘘でもホントでも肯定と否定をはっきりとさせたほうがいい。中途半端な回答だと、相手に迷いを生じさせてしまうからだ。

 だが今回は、相手セイナに迷いを生じさせるだけでなく、俺自身も中途半端な回答にこれでよかったのかと一瞬迷いを生じさせてしまうという最悪な状態を引き起こしてしまったせいで……

「わーい」

「まてー」

 近くの広場からこっちに向かって走ってきた五、六歳くらいの小さな男の子たちが道に飛び出してきたのに俺たち二人が気付くのが遅れてしまう。

「ッ!?」

 セイナが子供たちに叫ぶよりも先に、俺は自分の身体が限界ギリギリであることも忘れて悪魔の紅い瞳レッドデーモンアイで五倍まで身体能力を引き上げ、そのまま道の真ん中に飛び出していた。

 暗闇の中からさっきの女がこちらを嗤うように見えた。

 パンッ!パンッ!

 暗闇の中から二発の銃弾が飛んでくる。

 俺は二人の男の子の頭を庇いながら、両脇に抱えて横のタクシーの裏に飛び込んだ。

「痛ッテェッ……」

 暗闇の中から放たれた銃弾は、俺の右足の脹脛ふくらはぎに一発被弾した。幸い弾はホローポイントのような特殊弾ではなく、ただの9㎜だったようで弾は貫通したようだ。俺は痛みに顔を歪めながら二人の男の子を見る。

(良かった……どこにも被弾してないな。)

 大声で泣く子供たちに怪我が無いことを確認して安堵の息をついた。

 ゴロン……

 空中から俺が遮蔽物にしていたタクシーの横に、拳くらいのサイズの何かが落下してきた音が耳に入る。

「ッ!?」

 俺はそれを見て、一瞬で頭が判断するよりも先に急いでタクシーから逃げようとした。だが……

「クッ……」

 右の脹脛ふくらはぎを撃たれて上手く走ることができない。ここで敵がさっき子供を狙ったのではなく、俺の足を狙った銃撃であったことに気づくがもう遅い。

「うぉぉおお!!」

 やけくそ気味に声を上げつつ最後の力を振り絞って、男の子二人を自分の身体で庇いながら左足一本で飛ぶ。

 ドーンッ!!

 空中に飛び出した瞬間、俺の叫び声をかき消すほどの爆発音とともに、後ろにあったTX4のタクシーが空を舞った。

 暗闇の中から女は俺の脹脛ふくらはぎを撃ち抜くことで、移動速度を低下させた後に、間髪入れずにタクシーの横にむかって手榴弾を投げ込んできたのだ。

 背中の爆風による圧力で子供を抱えたままの俺は、街路樹の立ち並ぶ道から広場の方へ吹き飛ばされる。

(やべぇ……死ぬ……)

 もうどっちが地面でどっちが空か分からないくらいに回転しながら吹き飛ばされた俺は、せめて子供たちだけでもと、二人の男の子を庇いながら何度も地面に自分の身体を叩きつけて爆風の勢いを殺そうとする、だがそのたびに凄まじい衝撃と激痛が身体に走り意識が遠のいていく。それでも子供たちだけは絶対に身体から離さずに最後はズズズ……と地面を滑りながら、セイナのいた位置よりもはるか後方でぐったりと倒れた。

 セイナが何か叫びながらこっちに駆け寄ってきたのがうっすらと見えたが、爆風で耳をやられて何を言っているのか全然聴こえない、もしかしたら両方の鼓膜が破れたのかもしれない。背中側の感覚が無く、傷を負っているのかどうかも自分では確認することさえできない。

「────ッ!!」

 横たわった俺の身体を仰向けに起こしながら、セイナは必死に何か叫んでいるようだった。だが、意識が遠いていくのと同時に視界はだんだん狭くなっていき、近くにいるはずのセイナの顔すら見えなくなっていく。セイナの顔が完全に見えなくなったところで、俺の意識は途切れた。

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