マステマ
「絶~対に無理。チャカァ! マステマはNGって言ったはずだよ! ロウズ絡みな上に、マステマまで出てきてんだから、あたしのNGど真ん中じゃん! あたし、キティちゃん並みにNGが多いんだからね!?」
「だったら、だいたいいけるだろ」
「キティちゃんディスってんのかぁ!?」
フィスタはチャカに詰め寄る。
「そんな言い合いしてる場合じゃないだろ。いいかフィスタ、相手は子供だぜ? いつもみたいにヒューマニズムが爆発するんじゃないのか」
「あたしの情は人間としてのけじめ、けじめをつけたらそれでいいのっ。マジでやばいってことにわざわざ首を突っ込んだりしないよ。一番大事なのは自分の命なんだから。おかしいのはあんた。なんで説得するていで言うわけ? エルちゃんが依頼してきた時、あんた何て言ってた?」
「そりゃそうだが……。」
「ロウズはあたしの都合かもだけど、マステマを避けるのはここいらの常識だよっ。……何見てんのさ?」
フィスタはメンデルの視線に気づいた。当初からフィスタにちらちらと視線を送っていたヨーロピアンの初老の男は、いよいよ食い入るようにフィスタを見つめていたのだ。
「あ、あ……まさか……信じられない……。」
「……どったの、おじさま?」
メンデルは懐からハンカチを取り出して広くなった額をぬぐうと、うっとりとした目でフィスタを見る。
「おっと、やばいよチャカ、五大陸に響き渡るあたしの魅力がまた炸裂しちゃってるみたい」
「おっさん、どうしたんだ?」
「まさか、こんなに早く会えるなんて……。こりゃ神の思し召しだ!」
メンデルは安堵したような笑みを浮かべる。
「……え、どういうこと? あたしのファンがロウズにもいるってこと? まいったなぁ、勝手にファンクラブ作られても……。」
「いや違うだろ、この場合は。……メンデルさんとやら、あんた、もしかしてフィスタと知り合いなのか?」
「うそ……。え? メンデルさん、あたしのこと何か知ってるの!?」
今度はフィスタがメンデルに詰め寄る。
「いえあの、知り合いというか……ロウズから逃がしてくれた方がこの写真を……。」
メンデルは白衣の懐から写真を出して二人に見せた。
それは顔の左の三分の一に赤痣のある女の写真だった。
「……あたし?」
「私たちをロウズから逃がしてくれた方から、この写真の人物が私たちの力になってくれるかもしれないと……。」
「ややこしいな。おっさんはフィスタのことは知らなくて、おっさんを逃がすのを手伝ってくれたそいつがフィスタのことを知ってるってことか? そいつは何者で、フィスタとどういう関係なんだ? フィスタの事を何と呼んでた?」
「それが……教えてもらえなかったというか、その方が言うには、偽名を使っている可能性があるということでして……。」
フィスタとチャカは顔を見合わせる。偽名ではなくても、フィスタは三年前に作った名前を名乗っている。
「……おっさんとそいつはどういう関係なんだ?」
「それが……その方は、私たちを寸前のところで助けてくれただけでして……。」
「おいおいおい、そんな少ない情報で何が分かるん……。」
「その方は、外で協力者に出会ったらこれを渡してくれと……。」
そう言って、メンデルは白衣の内ポケットから、中指程度の大きさの棒状の白いプラスティック製の物体を取り出した。物体には「LACHESIS」とラベルが貼ってあった。
「これは……私たちが逃げる時、協力してくれた方が託してくれたんです。これを協力者に渡してくれと……。」
「何だそれは?」チャカが訊く。
「……何でしょうか?」
「おい、おっさんっ」
「いえ、私たちもこれが何なのか分からずに、ただ託されまして……。」
「託されたって言っても、何か分からないなら……。」
「USBメモリだね、それ」
そう言ったのはフィスタだった。
「知っているのかフィスタ?」
「ふふふふ、ケイオスの雷電と呼ばれたあたしだよ?」
「一から分からないぞ」
「それはね、先端の穴が開いてる所が挿入口になってて、それをパソコンのデバイスに差し込んで機器の中のデータを保存したり、逆にそのメモリの中にある情報を読み込ませたりするんだよ。パソコンが指輪くらいの大きさになってから、ここ50年近くは使われなくなってるけどね」
フィスタの説明を聞いてメンデルが目を丸くする。
「驚くだろ? チャラけたなりしてるが、博識なんだよ」
チャカが皮肉めいた笑いを浮かべて言う。
「『バベルの図書館司書』の二つ名は伊達じゃないのよ」
「雷電がどうとかはどこいったんだよ。……で、その協力者はフィスタにこれを渡してくれって言うわけか。じゃあ、この中に入ってるデータを調べれば、フィスタの事に関して何か分かるかもしれないってことなんだな。上手くいけば、おっさんたちが逃げ切るとっかかりになるかもしれないと……。とりあえず、シェンシャーに戻ってこれが使える機械を探すのが手っ取り早いのか……。」
「……ねぇ、メンデルさん?」フィスタが訊ねる。
「何でしょうか?」
「その、メンデルさんの逃亡を手伝ってくれたって人は、その……あたしの娘の話とかはしてなかったの?」
「娘さんですか? いえ、その本当に少しやり取りをしただけでして……。」
「じ、じゃあメンデルさん、ロウズにいた時に、あたしと同じような、顔に痣のある女の子は見なかった?」
フィスタの剣幕にメンデルは戸惑い後ずさりする。
「わ、私がいたセクションでは、そういった子は見なかったと思いますが……。」
「……そう」
「その、娘さんがロウズにいるので?」
「……分からないから探してるの」
「は、はぁ……。その、先ほどから気になっていたのですが、フィスタさんは、私の協力者に関して心当たりがないのでしょうか?」
「……あたしには三年以上前の記憶がなくってさ……。」
「なんと……。」
「どうする、フィスタ? 俺は依頼を続けるぜ。どっちにしても、シェンシャーに行かなきゃあならないんだからな」
「え? そりゃあ、あたしは自分のことを知らなきゃいけないからもちろん続けるけど……あんたもなの? まさか情にほだされて仕事受けようっての? らしくないじゃん。聖書の影響か何か?」
「おおげさだフィスタ。ただシェンシャーに帰るだけのルートだろう? シェンシャーに近くなりゃあ、よりマステマの縄張りからは離れる。むしろ安全だろう? 大所帯のマステマがよそのチームともめ事を起こしながら大移動なんてすると思うか?」
「希望的観測だねぇ~。危ないのはあたしたちもだよ? このまま一日かけて移動して、この子を守り切りながらケイオスの一帯を移動できるかなんてか分からないし……。」
「それは……大丈夫だと思います」
メンデルが言う。
「何でさ?」
「この子がいますから……。これまで、私たちが無事だったのがその証拠です」
「何? その子はラッキーガールなの?」
「そんな……ところです……。」
フィスタはチャカを見る。
「いいじゃないか、長い航海には神頼みだって必要だ」
「あたしはあんたが良いなら言うことはないよ。じゃあ決まりだね。マステマのグループから逃げながらシェンシャーを目指しますか」
シェンシャーから離れた場所にある廃棄された天体観測所。マステマの一派はそこを根城にしていた。
逃げ帰った男はマステマの前で正座させられていた。その顔は顔面蒼白しており、額からは脂汗が流れている。
『そう、貴重な報告ありがとう……。』
ソファーに座しているマステマのシルエットはモデルのようなスタイルをしていた。声もまた艶めかしさを持っている。着こなしているチャイナドレスは半透明で服の下が透けており、その下には下着をつけていない。
だが、その姿には誰も欲情しないだろう。
彼女? の顔つきは昆虫のようであり、体は深いブルーのメタリックで覆われ、関節の節々もまた昆虫の外骨格の継ぎ目のようになっていた。
完全なヒューマノイドだった。
マステマの右隣りには、筋骨隆々のアフリカ系の男・ヤスケが立っていた。笑顔が張り付いたような歪な顔の造りをしていて、上はぴちぴちのアロハシャツを、下はゆったりとした作業ズボンをはいている。マステマの左隣には、能面をつけ頭には腰まである長髪のウィッグを被った男・マサシがいた。黒い全身タイツのようなコスチュームを着用しているのだが、ぴったりすぎて股間には男性器の形が浮き出ている。
『そんなに怖がらないで……誤解されがちだけど、私は人間を尊敬しているの。本当よ?』
マステマは首を傾けて、逃げ帰ってきた男を見る。思わせぶりに足を組みなおすと、小さなモーター音が近くにいる手下の耳に聞こえた。
『人間の想像力の多様性、それはいつだって私のような人工知能の予測を越えていくもの……。』
マステマは左手を掲げた。能面を被ったマサシがその手に野球のバットを乗せる。バットを乗せる時、マサシは小さく咳のような声を出した。喉が潰れて上手く声が出せないようだった。
マステマはバットを優しく撫でながら言う。
『これが何か分かるかしら……そう、バットよ。見たことあるでしょ?』
逃げ帰ってきた男は頷く。
『で、これは何に使うものか分かるかしら。そう、野球よ。野球というゲームで、飛んできた球を打つための道具、それがこのバットよ。誰でも知ってるわ。でもね、野球というゲームのための道具なのに、人類は歴史上、ボールよりもこのバットを多く製造し続けてきたの。野球というゲームの内容からすれば、ボールの方が多く消費されるはずなのに。そして、プロフェッショナルの野球の試合が行われなくなった今でも、人はバットを造り続けているのよ。……ねぇ、これって人類の想像力のたまものだと思わない?』
マステマは立ち上がる。手首を返し、バットを回しながら。逃げ帰ってきた男に近づく。
『あなたの想像力はどうかしら?』
そしてマステマは男の頭にバットを振り下ろした。男の頭部が軽い音を立ててバウンドした。
『おめおめと逃げ帰ってきたらぶち殺されるってのが想像できねぇのかこのドチ〇ポ野郎がぁぁぁぁぁッ!』
突如、マステマの声は女のものから高めの神経質そうな男の声に切り替わった。『てめぇ何のためにエンブレム背負わせてると思ってんだよぉぉぉぉッ! うちのシマで私の名前とおして道譲らせるためだろうがぁぁぁぁぁッ!』
マステマは男の頭を滅多打ちにする。血と肉片が飛び散り、男の頭は原型をとどめなくなってきていた。
『この役立たずのイ〇ポ野郎がぁ、死ねぇ! 死んでチームに恥かかせたこと償えぇぇぇぇッ!』
その様を見ながら、ヤスケは「ワーオッ!」と笑みを浮かべ、隣にいたマサシは小さく咳をしていた。
男の頭部の正面などの区別がつかなくなると、マステマは男の前で膝をついて首を振った。
『逃げ帰ってくるなんて……よっぽど、恐ろしかったのね……可哀そうに』
マステマの声が落ち着いた女のものに戻り、そして男の亡骸を抱え優しく撫ではじめた。機械の音声で嗚咽も流れていた。
『……皆、想像して! 彼の怒り、悔しさ、恐怖を……!』
血まみれのマステマは声を高らかにして言う。
『私たちはファミリー、そして彼はかけがえのないファミリーの一人だった! 彼の無念は私たちファミリーこそが晴らすのよ! ファミリーの名を侮辱した奴らに、想像力も及ばない地獄を見せてあげましょう! みんな! 私のボディを奴らの血で真っ赤に染め上げてちょうだい!』
マステマはヤスケに命じる。
『彼を丁重に葬って。彼が英雄だったことを、皆が忘れないように』
そう告げると、マステマはシャワー室に入っていった。入る直前に手下の一人にマステマが『拭くものを頂戴っ』と言うと、手下が白い布を渡した。
『ありがと……これバイクの塗装用の布じゃねぇかッ!』
と、男の声で怒声を上げながらマステマは手下を殴り飛ばした。吹っ飛んだ手下は首が180度逆の方向をむいていた。
埋葬を命じられたアフリカ系の男は、改めてぐちゃぐちゃになった手下を見て「ハハッ、ワーオ!」と笑い、そして男を引きずって建物の外に持って行った。
マステマがシャワー室で艶めかしく水を浴びて血を落としていると、部下の一人が入ってきた。
「ボス、通信が入っています」
『私の裸を見るほどに重要な要件よね?』
「え、あ、あの……ロウズからの通信です……。」
『……分かったわ』
マステマはシャワーを止めると、タオルを取って、まるで頭髪があるように頭部をタオルでぬぐう。そして胸部から腰の下までが隠れるようにタオルを巻くと、衣類入れの籠の中に入っていたブラジャーを胸に着け、パンティを足に通すとタオルを落とし、あられもない姿で手下の前を歩き奥の部屋に入っていった。その歩き方は、ランウェイを歩くモデルのようだった。腰を振るたびに小さくモーター音が響いていた。
マステマが入っていった部屋は、観測所の通信機器のある場所だった。そこに設置された埃をかぶった旧型のモニターの前にマステマが立つと、不鮮明な映像に映し出された人物の像が浮かび上がった。
『聞いたわ……捕らえ損ねたみたいね……。』
口調は女のものだったが、声の質からは性別が判別しづらい声をしていた。
『ええ。もう一度うちの子たちを向かわせるわ。戻った子の話だと、相手は二人みたいだから、人数を増やして銃火器を持たせれば捕らえられるわよ』
『……いえ、手下を増やしても意味がないわ。次は貴方が行きなさい』
『私が? そこまでしないといけないわけ? 相手は二人だし、捕まえるのも貴方の所から逃げてきた中年と子供でしょう?』
『いいえ、貴方が適任なのよ。あの子を捕らえるのは、他の追手じゃあしくじる可能性があるわ』
『どういうことかしら?』
『貴方は私の言う通りに動けばいいの。分かるわよね? ……マステマちゃん』
そう言われた途端、マステマの目の奥が一瞬だけ光り、首が傾き、そして頭の奥からきゅっと機械音が漏れた。
『……分かったわ』
マステマは踵を返して部屋を出た。出ると手下がハンガーにかけて用意していた真っ白なチャイナドレスに袖を通し、そして特製のハイヒールを履くと、手下たちに声をかけることなく建物の外に出て、停めてあった大型二輪車に乗って夜の闇に消えていった。
手下たちは、声をかける暇もなくどこかへ行ってしまった自分たちのボスを、あっけにとられた様子で見るだけだった。
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