第4話 姉と彼女と僕と俺

自分会議(女の子)

 二日酔いが落ち着いたティロは、夕方からの勤務のため宿舎に戻っていた。昨日までは全然休みがとれないことやその他諸々全てに腹を立てていたが、それよりも大きな関心事が出来たために怒りはどこかに行ってしまったようだった。


(さて、女の子と知り合ったぞ。どうしよう)


 路上でひっくり返っていたところを拾ってくれたエリスと再会の約束をしたが、女の子と真っ当に付き合ったことがないためにティロはどうしたものかと悩んでいた。


(女の子って何だろう?)

(女の子って姉さんのことだよな)


 隊服に着替えて割り当ての詰め所へ向かう。オルド攻略作戦に参加した兵たちに与えられた一週間の恩休のせいでどこも人手が足りず、ティロはあちこちの詰所に貸し出されていた。


(確かに姉さんは女の子だったけどさ、俺としては姉さんは女とかそういう存在じゃなくてなんていうか、概念とか精霊とか奇跡とかそういう類いのものだと思うんだ)

(何言ってるの)

(わからん。俺自身が一番何を言っているかよくわからない。姉さんに関しては誰よりも詳しいけど誰よりも疑問を持っている自信がある。例えば姉さんの左耳の後ろにはほくろがあった!)

(あったね)

(なんか見つけたって言ったら怒られたね)

(そうそう、女の子の耳の裏なんか見るものじゃないってすごく怒ってたな。いいじゃん、姉弟なんだし)


 勤務中であったが、心はエリスと姉のことでいっぱいだった。そして、ぼんやり姉のことを考えていれば時間は過ぎていく。


「勤務ご苦労」


 ティロが顔をあげると、真っ青な生地に白い線の入った隊服を着た上級騎士が入ってきた。首都防衛を司る上級騎士は、定期的に首都に置かれた警備詰所を訪れていた。


「ご苦労様です!」


 詰所に待機している隊員は全員立ち上がり、上級騎士に敬礼をする。ティロも慣例として敬礼するが、心の中はそれどころではなかった。


(いいなあ上級騎士なんて毎日剣技やってりゃいいんだよな、周りも強い人ばっかりだし、きっと楽しいんだろうな。それに比べて、俺は……)


 上級騎士に敬礼をする度、ティロの心のどこかが削られていくような感覚があった。


(いいんだ、もう俺はダメになってるんだ。オルド攻略であんなに頑張ったのにこの様だ。もう昇進も何も望めない。誰も俺を認めない。もう消えてなくなりたい)


 一度卑屈になると、心がどんどん傾いていく。


(死んだら姉さんのところにいけるんだろうか。姉さんは僕のことを待っていてくれるんだろうか。姉さんに会いたい、姉さんに会いたい、姉さんに会いたい……)


 胸が苦しくなって、そっと姉の指輪を触る。


(ああ、姉さんはここにいるんだよね。ずっと一緒にいてくれてる。姉さんはどこにも行ってないよね。姉さん、もう嫌なんだよ、ひとりぼっちなのは……)


 姉のことを考えていると、背後から強く背中を叩かれた。


「警邏の時間だぞ、始末書野郎」


 ティロがオルド攻略で命令違反をしたことは、この辺りの警備員は皆知っていた。ティロは何も言わずに立ち上がり、警邏についていく。「いくつもオルドの小隊を破った」というティロの話はリィア軍内では公式に認められず、周囲からは完全に嘘つき扱いされていた。


(どうせ、俺なんて……)


 そんなとき、無性に煙草が欲しくなった。ティロは勤務が終わったらどこで煙草を吸うかばかり考えていた。ようやく勤務を終えて一服してから、ティロはいよいよエリスのところに行ってみようと思った。彼女の部屋に行けば会えるらしい。しかし、他人の部屋、しかも女の子の部屋に上がり込むのも気が引けるとティロは考えた。


(かと言って俺が落ち着いて彼女と話せる場所なんてどこにもないんだよな。そもそも俺が落ち着く場所がないし……)


 ティロは自分が落ち着けそうな場所を一生懸命考えた。そして、リィアにいる限りどこへ行っても落ち着かないことを改めて思い知った。


「せめて誰も来ない場所ならいいんだよな……そうだ!」


 誰も来ない場所にはひとつ心当たりがあった。ティロは思い立ってすぐに街のはずれへ走り出した。


***


「何、ここ?」


 夕刻、「いいところに連れて行く」とティロはエリスを連れて街のはずれの川までやってきた。宿舎に転がっていた古いランプを持って、ティロは道なき道を進んでいく。


「いいから、もうすぐ着くよ」


 ほとんど暗くなっている河原の茂みをエリスは苦労して歩いた。


「何でわざわざこんなところで……?」


 導かれるままティロについていき、開かれた場所に来てエリスは何故こんなところまで連れてこられたのかを理解した。


「な、きれいだろう?」


 エリスは頭上を見上げて感心した。急に開けた河原から、満点の星がよく見えた。


「それでこんな寂しいところに連れてきたっていうの?」

「まあ、そんなところ」


 ティロとエリスは河原に腰を下ろした。ティロは言いたいことがたくさんあったが、それらは全て言葉にはならなかった。


「俺、勤務ないときはここにいるからさ。俺がいるときは道からここに来るところにこのランプを置いておく。これを持ってここまで来てよ」

「でも、それだと君は真っ暗でここを歩くの?」

「俺は夜目が効くから大丈夫」


 それを聞いてエリスは笑った。


「何、君野生動物か何かなの?」

「そう言われるとそうなのかもな……」


 エリスの冗談をティロは真に受けて考え込んでしまった。


(確かに、人間の群れに入っていると俺は息が出来ない。でもこうやって群れから離れると何だか息が吸える気がする。俺は、もう人間じゃないのかもな。死んでるんだもの、仕方ないな)


「ごめん、何か悪いこと言った?」

「いいや、何でもないよ。大丈夫」


 気を取り直してティロはエリスと向き合った。誰かと何かを気にせず話をするのは久しぶりだった。


***


 それから2人は河原に来て何となく話をするようになった。エリスも積極的に自分のことを話さず、当たり障りのない話ばかりしていた。ティロは警邏であったこと、エリスは給仕をして働いている店のことなど、あまり深いことはお互い尋ねられずにいた。


 ティロも心の底から落ち着くことはできなかったが、少しでもリィア軍から離れた場所で過ごせることが心底嬉しかった。


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