最低最悪
薬を買う金のなくなったティロは、最後の手段に出ることにした。
「背に腹は替えられないしな」
(そこは替えようよ)
「いいんだ、金さえ手に入れば何でも」
(お前には意地ってもんがないのか?)
「あったら最初からこんなことになるものか」
ぶつぶつと「友達」と話しながら、ティロは「ある場所」を探すことにした。
「いいんだよ、俺は、もうどうでも。明日にでも世界がぶっ壊れればいい。そんでみんな死ねばいいんだ、俺を買う奴も、俺も」
覚悟を決めた後は、話が早かった。金の他に薬をもらうことを条件にしても、自分の身体はよく売れた。薬で気分がどうにかなっている時なら、平気で何でも出来た。更に姉のことを考えていれば、どんなことがあっても耐えられた。
「これで薬ももらえるし、金も手に入るし、いいことばっかりだよな」
もらった金はすぐに薬代へと消えた。それから金がないときは安価な酒もよく飲んだ。酔った頭で何も考えていないときが心地よかった。とにかく酔いたかったので、水で割る手間も惜しくてそのまま原液を流し込んでいた。酒に手を出した日は路上で酔って立ち上がれないまま朝を迎え、痛む頭を抱えて宿舎の裏まで帰って転がっているのが定番だった。そしてそんな惨めな自分がたまらなく嫌なのに、生活を改めるつもりは全くなかった。
すっかり宿舎のベッドはただの着替え置き場になった。持ち物らしい持ち物は自分で購入した着火器くらいであった。同室の者はティロを見ると明らかに目を反らした。それでいいとティロは開き直っていた。
後は食事をするくらいしか宿舎には用事が無かった。とりあえず確実に飯にありつけるリィア軍の宿舎は有り難かった。それでも、予備隊を出てから落ち着いて食事ができたことがなかった。また誰かに何かを奪われるのではと怖くて常に周囲を警戒していた。やはり飯の味などわからなかった。
時々、強烈にエディアのことを思い出して苦しくなることがあった。そんなときは宿舎の裏で懐に忍ばせている煙草に火をつけて思い切り吸い込んだ。そして姉のことを考えた。そうやって日々をやり過ごすくらいしかできることが思いつかなかった。
***
一般兵になってから1年ほど経ったが、ティロの等級に変化はなかった。
予備隊を出たばかりの頃は見た目だけでも好青年然としていたティロの風体はすっかり悪くなっていた。勤務があるために最低限の身だしなみは整えさせられたが、着崩した隊服は埃っぽく、伸び放題の髪は顔を覆っていた。他人を寄せ付けないティロは他人とは最低限の会話しかせず、常に下を向いて卑屈な態度を全面に醸し出していた。
そんなティロと関わりたくないため、彼の上官はティロの等級を上げる話を持ってこなかった。同時期に入隊した者たちが次々と昇進していく中、ティロはひとりだけ11等のままだった。
「まあ、俺なんかいてもいなくても一緒だし……」
その日は後から入隊した若者が先に10等への昇進を決めたということで、同じ隊の連中は祝いと称して連れだってどこかへ出かけたところだった。ティロに話かけないばかりか、「あいつとは関わるな」と新人に念を押す周囲にティロは寂しい気持ちもあったが、自分が放っておかれることに安堵の念を覚えていた。
その日も薬を購入し、どこで現実逃避に耽るか思案していると売り場へ駆け込む若い女がいた。遠くから眺めていると、どうやら薬は自分の買った分で売り切れだったようだった。そのことに女が腹を立て、店主に掴みかかっていた。店主も手慣れているのか、棒で女を追い払っていた。
棒で酷く殴られふらふらと歩く女を見ているうちに、ティロの中で何かが働いた。
「お姉さんさ、俺のでよかったら譲ってやってもいいよ」
ティロは折った薬包を女に見せた。女は目の色を変えて飛びかかった。
「いいの!? いくら?」
「そうだな……この包みならこんくらいでどう?」
ティロは思い切って相場の2倍をふっかけてみた。「ふざけんじゃないわよ」とひっぱたかれると思ったが、相手は急いで提示した金額を出してきた。
「わかったわよ……こんだけあればいいんでしょう?」
「へへ、じゃあ約束のものだ」
ティロは金を受け取ると女に薬包を渡した。女は急いで包みを開けたが、そこに入っていた薬は通常の半分以下の量だった。
「ちょっと、これっぽっちじゃない!」
「だってこの値段だとそのくらいしか出せないんだ、俺の場合は」
先ほど買った薬を半分以上別の薬包に移してから、ティロは女に話しかけていた。
「バカ、あほ、トーヘンボク!」
悔しがって女は思いつく限りの悪口を並べ立てたようだった。
「今更何を言っても遅いぜ、じゃあな」
思いの外簡単に手に入った金を抱えてティロはその場から逃げ出した。
(あの調子だと、もうすぐ表も裏も歩けなくなるだろうな……ああはなりたくないね)
改めて女の様子を思い出す。血走った目に、目の前の薬欲しさに我を忘れる程の判断力の低下。すっかり薬に支配された身体が次に起こす行動を、ティロはよく知っている。
(何言ってんの、君も随分片足どっぷり浸かってるんだよ)
(片足どころか全身入ってる気がしてるけどな)
「まあ、いいよなんだって。とりあえずこれで十分遊べるぜ」
金が手に入ったのも嬉しかったが、女から金を巻き上げたということのほうにティロは快感を感じていた。今まで何ひとつ思い通りにならなかった人生だと思っていたが、こんなに簡単に自分で金を稼ぐことができるのかとティロは嬉しくて仕方なかった。
「今まで苦労したもんな、強盗したりバカや変態の相手したり。まったく、ろくでもない人生だよ」
走りながら呟くと、急に頭の中に声が響いた気がした。
(ねえ、どうしてそんなことをするの?)
それは「友達」の声ではなかった。聞き覚えのない声にティロは苛立ち、立ち止まった。
「どうしてって、金が欲しいからに決まってんだろ。お前こそ誰だよ」
(僕はそんなことしたくないよ、やめようよ)
「うるせえな、てめえは黙ってろよ」
ティロは頭の中の存在を思い切り殴りつけた。その存在は必死で抵抗していたが、そのうち動かなくなって何も言わなくなった。その代わり鼻の奥がツンと痛んだ。
(どうしたの、ジェイド)
響いてきたのは、いつもの「友達」の声だった。
「わからない……俺、何やってるんだろう」
金と薬を手に、道端で延々とひとり言を言っている自分が惨めで惨めで仕方なかった。
「だって仕方ないだろう、誰も助けてくれないんだから」
痛んだ鼻の奥から涙が溢れてきた。それは先ほど痛めつけた存在の涙で、自分の涙ではないとティロは思うことにした。
「誰も助けてくれないから……俺はこんなゴミになってるんだ。それだけだ」
もし姉が生きていたら、こんな自分をどう思うのか気になった。強盗、人殺し、完全な薬の中毒、金欲しさに身体を売り女から金を巻き上げる。最低最悪の男としか言いようがなかった。
(いいんだ、姉さんは死んでるんだ。そしてジェイドも死んでるんだ。それじゃ俺は、俺は一体誰なんだろうな……)
そうやって生きているか死んでいるかわからないままティロはふらふらと生き延びていた。そのうち、オルド攻略へ向けてリィア国内は開戦の機運が高まっていた。
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