境界の喪失
警備隊員の仕事は退屈であった。勤務時には防刃チョッキと警棒、そして青鼠色の隊服を着て警備詰所で待機することが多かった。勤務内容は迷子や落とし物などの市民の相手に始まり、喧嘩の仲裁や窃盗の捜査などもあった。
(エディアにいたとしても、多分やることのなかった仕事だよなあ……)
勤務が終わると、ティロは宿舎に一度帰る。次の日も勤務があるときはそのまま宿舎の裏で「友達」と話をしながら睡眠薬に頼って時間が過ぎるのを待つことが多かった。しかし、次の日が非番の時は隊服を脱ぎ、用意してあるいかにもみすぼらしい服に身を包むと一目散に街に繰り出していた。
(誰も俺が立派な警備隊員だなんて思わないだろうな……)
ティロは少ない報奨を握りしめ、裏通りの煙草屋へ向かっていた。
「ひと束」
辺りを警戒して煙草をひと束購入する。煙草を吸うなど基本的に後ろめたい人間のすることであった。ティロは路上生活時代にそれをよく観察していた。
「あと、そっちのひと包み」
ティロが見つけたリィアの煙草屋は、一緒に痛み止めも売っていた。薬包紙に包まれたその粉薬は鎮静効果が非常に高く、主に軍隊で使用されているものだった。
(軍の横流し品だ、正規で売れるはずがない)
多少値は張ったが、ティロは痛み止めも購入した。また煙草屋のそばで強盗にあっては敵わないので、用心して煙草屋から離れる。それから路地の奥まった場所へやってくる。
表通りから全く視認できないそこは、ティロのような行き場所のない者たちの吹きだまりであった。ビスキで徘徊しているときもティロはそのような場所をいくつも見つけていたが、とにかく他人が怖かったために近寄ることはできなかった。今では滅多なことで他人から傷つけられる恐れがなくなったため、ティロは同じような人恋しさにそのような場所に自然と足を向けていた。
早速地面に座り込んで煙草に火を付ける。着火器も自前のものを購入していた。自分の金で自分だけのものを持つということがティロにはとても誇らしいことであった。
「へへへ、ようやく自由に吸えるってもんだ」
胸の奥まで煙を吸い込むと、いろんな悩みを全て吹き飛ばしてくれるようだった。くらくらするような快感に身を任せていると、隣に誰かが立っていた。
「ねえ、さっき薬買ってたでしょ? ちょうだい」
それはティロと同じくらいの年頃の少女だった。
「なんでお前にやんなきゃいけねーんだよ」
「ただで、とは言わないから」
すると少女はティロの隣に座り込み、しな垂れかかってくる。
「しょうがねえなあ」
煙草で気が大きくなっているティロは周囲を見渡してから、薬包を取り出した。
「半分だぞ半分、代わりにコレやるから」
そう言って少女に煙草を1本握らせ、薬包の粉を先に自分で半分口に含む。
「あ、あたしにもおくれよ」
もう半分を口に含むと、ティロは少女を抱き寄せキスをする。そのまま口移しで薬を受け取った少女はティロの腕の中で弛緩していく。
「こんなところでするのかい?」
「そのうちどうでもよくなるさ」
そのままティロは少女の唇を貪り続ける。薬が効いてきたのか、全身が痺れるように気持ちがよくなってくる。
(薬欲しさにカラダを売る女か……悪くねえよ)
路上に押し倒された少女にも薬の効果が現れ始めたようで、うっとりとした目つきで更なる快楽を要求してくる。ティロは日頃の鬱憤を彼女に吐き出すことにした。
「ライラ」
「え、何?」
不意に知らない人の名前で呼ばれ、少女はティロの腕の中で戸惑った。
「君の名前」
「なんで?」
「黙ってろよ」
姉は15歳で亡くなった。目の前の少女もちょうど同じくらいの年頃だった。腕の中で少女が動く度に、二度と抱きしめることのできない姉を想った。
(姉さん……痛かった? 辛かった? 僕がいたのに、何もできなくてごめん。もしまた姉さんに会うことがあったら、僕が絶対幸せにしてあげる。もう僕は16歳だ。姉さんより年上になったんだ。だから姉さんは僕の言うことを聞かなきゃいけないんだ)
姉のことを考えていると、今抱いている少女の顔に姉の面影が重なって見える気がした。
(姉さん、いやライラ。僕は君を一生愛する。離せって言ったって離すもんか。君のことを一番に愛しているのは僕なんだ。ライラ、素敵な名前だ。それに、すごく柔らかくてあったかくて、いつだって僕のことを包んでくれるんだろう? ライラは……)
少女に気をやると、姉を慰めているような気分になる。
(ライラ、僕だけのライラ。すごく気高くて誇らしいのに、こんなに可愛いところもあるライラ。ねえ、どうしてこんなにすっごく気持ちいいのかな。きっと君のせいだ、ライラ)
一通り少女を貪り尽くすと、薬の効果が切れてきた。姉に溺れていたティロは少女を放り出すと、急いで煙草に火を付ける。少女は乱れた服を直すと、先ほどティロから受け取った煙草をくわえる。
「ねえ、あんた彼女とかいるの?」
「さあ、どうだろう」
ティロから煙草の火をもらった少女は再度しなを作る。
「あたしね、さっき彼氏と別れてきたの」
「あ、そう」
「そんでね、よかったらあんたと」
「嫌だ」
姉の代わりにと吐き捨てた女と深い仲になるつもりは一切なかった。
「なんだ、もったいないね。あんたいい男なのに」
「何言ってんだよ、こんなゴミ相手に盛ってたくせに」
「本当のことを言ったまでさ、あんたいいもの持ってるよ」
それから少女は煙草を吸い終わるまでティロに寄りかかっていたが、黙々と煙草に耽っているティロに興味をなくしてどこかへ行ってしまった。
ティロが彼女と会うことは二度となかった。
***
すっかり薬で遊ぶことを覚えて、ティロは非番の時はとにかく裏通りで薬を買った。煙草に始まり、痛み止めやその他様々な薬に手を出した。
「手持ちがない……」
もちろん薬は安いものではなかった。毎月すぐに報奨は底を尽き、後は惨めに宿舎の裏で星を眺めることくらいしかすることがなかった。その日もとりあえず宿舎の裏にやってきて、「友達」と今後の方針について話をすることにした。
(限界まで薬に突っ込んでたらそうなるよね)
そんなに警備隊員の仕事が嫌なら辞めてしまえばいいという考えも頭を過ったが、リィア軍を去ったところで居場所のないことは変わらないどころかより悪化する恐れがあった。
「今更ほかの仕事なんかするつもりもないしな……」
自分から剣を取ったら何が残るのかと考えると恐ろしかった。人と関わることのできないゴミのような人間が新たに居場所を築けるなどと全く思っていなかった。
(じゃあ今日もここでずっと話をする?)
「いや、ここじゃないところにいたい。どこがいいかな……」
宿舎の裏にいても気が滅入るだけなので、ティロは外へ出かけることにした。きちんとした人のきちんとした生活の中にいるより、裏通りの猥雑な空間にいたほうが楽に息が出来る気がしていた。
「うーん……」
思えば何もなかった。家も家族も名前も故郷も無くしてきた。今は金も信用も居場所も未来も希望も一切なかった。伸び放題の前髪は次第に顔を覆い、姉に似た面影をようやく隠すまでになっていた。
「あ、そうか」
剣以外何もないと思っていたティロだったが、とりあえず持っているものがあった。自分ではいらないと思っていても、どうやら多くの人が羨ましくて欲しいと思えるようなものだった。
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