楽になる薬

 睡眠薬を自分で買うと決めたティロは、初めてもらった報奨を手に街の薬局へやってきた。非番ではあったが、現状で他に持っている服もないのでまだ新しい一般兵の隊服のまま店の前でしばらく立ち尽くしていた。


(いろんな薬があるんだなあ。熱冷ましとか吐き気止めとかさ。それなら、この辛い気持ちをどうにかする薬なんてのもあるんだろうな。どんな感じになるのかな。高いんだろうな。今の俺なんかの報奨じゃ足りないだろうな……)

「どうかしましたか? 随分うちの前に立ってますけど」


 ぼんやりしているうちに、ついに店の女主人に声をかけられてしまった。


「楽に死ねる薬とかってないですかね……あ、何でもないです」


 ひとりごとが癖になりつつあったティロは、つい思っていることをそのまま口に出してしまい慌ててその場から逃げようとした。


「ちょっと待ちな、話だけなら聞いてあげるから。本当は何を買いに来たんだい?」


 女主人に呼び止められて、ティロは自分が何をしに来たのかを思い出した。


「あ、えーと……睡眠薬です」

「それなら売ってあげるよ。とにかく入りな」


 女主人はティロを店の中へ通すと、椅子に座らせた。


「睡眠薬だね。何錠入りがいいんだい? とりあえずお試しなのか、たくさん欲しいのか。眠れなくて困ってるんだろうけど、どのくらい寝てないんだい?」

「そうですね……7,8年はろくに寝てないです」


 正直に答えると、女主人は素直に驚いて見せた。


「そんなに!! あんたまだ若いのにそんなに寝れてないのかい!? そういうのは医者に行ったほうがいいよ」

「医者にもよくわからないって匙を投げられてるんです。ただ少しでも寝たいんで、今は薬が必要で……」


 説明しながら、ティロは自分が酷く惨めであることを再確認して嫌な気分になった。


「はぁ、難儀だねえ。じゃあ睡眠薬自体は使ったことがあるんだね。それなら多めの瓶をあげようか?」

「はい、多ければ多いほど嬉しいです」


 女主人は棚から睡眠薬入りの瓶を出すと、ティロに渡した。


「わかってると思うけど、眠れないからって一気にたくさん飲んじゃダメだからね。体が眠りすぎて死んでしまうから」

「大丈夫です」


 睡眠薬を処方されたときは、必ずと言っていいほど言い聞かされてきた。1晩に1錠、夜中に目が覚めたとしてもこれは徹底して守れと何度も何度も口を酸っぱく言われてきた。


「それと、これもわかってると思うけどあんまり薬に頼らない方がいいよ。寝るときは体を休めて、ゆったりするんだ。例えば、体を温める飲み物を飲むとかね」

「体を温める?」

「そう。私は薬屋だから薬のこともだけど、それ以外の体にいいことも詳しいんだよ。ちょっと待ってな。そうだ、これがそんな飲み物の作り方をまとめたもの、よかったら読んでみて」


 女主人はティロに紙切れを渡すと、店の奥に引っ込んでしまった。


「それにしてもあんたも大変そうだね。見たところ新兵さんじゃないか。家族はいるのかい?」

「家族は、いないんです。身寄りがなくて、仕方なく軍のお世話になってます」

「そうかい、それは、大変だったね……その寝不足も相談できる人がいなくて大変だろうし。うちは息子が家を空けてるけど、あんたより少し年上くらいかな。だから何だか放っておけなくてねえ」


 女主人が店の奥から世間話をしてくるのを聞きながら、ティロは渡された紙切れを眺めた。いくつかある飲み物の作り方を見て、ティロはあることに気がついた。


「あの、もしかして今ここに書いてあるものを作ってくれてますか?」

「あら、気がついちゃったのね。そうよ。一番簡単な、一番上の飲み物よ……お待たせ、温めた牛乳に蜂蜜を溶かしただけのものなんだけど……あれ?」


 女主人が店へ戻ってくると、そこにティロの姿はなかった。ただ飲み物の作り方が書かれた紙の上に睡眠薬の代金だけが残されていた。


***


 購入した睡眠薬でなんとか定期的な睡眠にありつくことは出来るようになったが、それでも憂鬱な気分は一切晴れることはなかった。


「結局、睡眠が解決するわけじゃないんだな……」


 寝ても寝ていなくても最悪な気分が吹き飛ぶことはなかった。睡眠薬のおかげで集中力が切れて居眠りをすることはなくなったが、死にたい気持ちまでなくなることはなかった。


「一生俺はこのままなのかな……」


 逃げ回っていたが、警備隊長は定期稽古に出ろと小言を言ってきた。心配しているのかお節介なのか「稽古には出た方がいい」という上官や同僚もいた。そんな奴らには「僕に試合で勝てたら大人しく稽古に出ますよ」と言い、修練場で遠慮なく叩きのめした。


 新人ということもあり、相変わらず嫌がらせをしてくる奴らもいた。そういう奴らはティロから一発「わからせ」を食らうと近づいても来なくなった。


「ロッカーの奴らの方が全然歯ごたえあったんだけどなあ。多分まともな喧嘩もしたことがないんだろう。幸せな奴らだぜ全く」


 そのうち小言も心配も同情も慰めも、誰からも何も声がかけられなくなった。ただ勤務に来ていれば「生きている」と確認されるだけだった。


「薄情だよなあ、最初のうちは何だかんだとうるさかったのに。俺っていう人間がわかってくるとみんな離れていくんだ。やっぱり欠陥品なんだ」


 誰にも気にされないので、身繕いをしなくなっていった。特に髪はぼさぼさの伸び放題になった。服も隊服以外の外出着を買おうと思っていたが、新品の服を着るのも気がひけたためにその辺で拾ってきたぼろぼろの上着を羽織ってみた。それはリィアの一般兵の隊服よりも自分によく馴染んでいる気がした。


 更に頻繁に宿舎の裏で寝転んでいたため、常にどこか砂と泥にまみれていた。地面で寝ることは路上生活時代に嫌というほど経験していたため、慣れていた。


 周囲は次第にみっともなくなっていくティロを見てみない振りをした。存在を消すように宿舎にも寄りつかず、身なりも整えないティロは更に一般兵の中で透明になっていった。それは路上生活時代に感じた惨めさにとても似ていた。


「結局、誰も助けてくれないんだ。もう生きていたくないな」


 胸の痛みは更に増していった。その胸の痛みを消す方法を、ティロはひとつしか知らなかった。

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