自分会議(希死念慮)
ティロが一般兵として勤務をするようになって一か月ほどが過ぎた。
一般兵の宿舎は詰め所ごとにあり、最大6人が寝泊まりできるような部屋がいくつかあった。これは予備隊の6人部屋と似ていて、ティロは懐かしさを覚えていた。しかし、一般兵としてリィア軍に志願した若者は、大抵故郷を離れて首都を警護する任を司ったと胸を張っていた。そこにティロの居場所はなかった。
警備隊員として日々過ごしていると、たまに他の警備隊に所属するキアン姓の一般兵に会うこともあった。しかし彼らは一様に「予備隊出身なんてろくなものじゃない」とティロの出自を聞いただけで露骨に避けた。一度「キアン姓だからと言って一緒にしないでくださいよ」と吹聴されたと聞いたときは訳のわからない惨めさで相手に強烈な殺意を覚えたが、その感情に必死で蓋をして押さえ込んだ。
相変わらず夜に寝付けないティロは宿舎を抜け出すと、宿舎の裏側にやってきていた。まず夜に人の来ない場所というと、ここしか思い浮かばなかった。
(まだ外に行くの? もういい大人になったんだよ)
「年は関係ないよ。嫌なものは嫌なんだから」
昼間の煩わしさから解放され、ようやくひとりになってからティロは「友達」と話をしていた。
(でも少しは頑張ってみようと思わないのか?)
「何を? 夜が明けるまで部屋でじっとしてろって? 冗談じゃない」
(……そうだね)
「それにさ、ここなら絶対人は来ないし、少しの間自分の気配を完全に消せる気がするから」
ティロは夜空を見上げ、頭の中の「友達」に自分の気持ちを吐き出していく。
「でも死ぬのが苦しくて怖いことなんてもう知ってるからさ、それにその後楽になる保証なんて全くないから何とか踏みとどまってる。本当は消えてなくなりたい」
「なんだろうな、この前頑張って生きるって決めたのにもうへこたれてきて、そんな自分もすごく嫌だしやっぱりどこか欠陥があるんじゃないかってずっと思ってる」
「だってそうだろ? 他人の目は怖いし、夜は眠れないし、こうやって部屋から逃げてくるし、さっきからずっと独りで話し続けてる。やっぱりこんなのは異常だし、欠陥品と思われても仕方ない。生まれてこなきゃよかったんだ」
「大体姉さんのことだってそうだ。こんなに辛い思いするのわかってたら、絶対生まれてこなかった。もっと普通の人生送りたかったよ。普通に寝て、普通に起きて、普通の恋愛してさ……」
「でもさ……最近普通ってのがよくわからなくなってきてさ……朝になったらすっきり起きるっていうのが贅沢だと思ったらさ……違うよな。本当はそんなの当たり前なんだ。何で俺は普通になれないのかな。頑張れば普通になるのかな。何を頑張れば普通になるんだ?」
「普通になれないんならさ、もう生きてても仕方ない気がしてさ。さっさと死んだ方がマシかもってそればかり考えるんだ」
「……もう全部嫌なんだよ。死にたいし、消えたいし、ちゃんとしたところで寝たいし、普通に人と話したいんだよ。でも全部うまくいかなくて、苦しくてさ……」
「どうしてこんな目に合わなくちゃいけないんだろう。せめて眠りたい。悪夢付きの気絶なんかじゃなくてさ、ちゃんとした睡眠がしたい。それが叶わないなら、後はやっぱり死ぬしかないじゃないか」
「どうやって死ねばいいんだろう。痛くなく、苦しくなく、消えるように死にたい。もう痛いのや苦しいのは嫌なんだ。これ以上辛い目に会いたくない」
「どうすればいいんだ? わからないよ。全部全部取り上げられてさ……今度はついに今までの事をなかったことにされた。あれだけ頑張ったのに、何も報われなかった。このまま夢も希望もなく、俺はひとりで死んでいくのか?」
(さっきまで死にたいって言ってたのは何だったの?)
「それとこれとは違うんだよ。死にたいけどさ、こんな死に方は望んでないんだよ。このまま誰にも認められないまま、つまんない死に方なんかしていたら、今の俺がもっと惨めになってしまう」
「だから悩んでるんじゃないか。なんかこう……パーッとなる何かないのかって。こんなところで死んでいられるかって気持ちもあって、でもやっぱりすごく消えたい。どうすればいいんだろう」
(眠れないからそんな気分の悪いこと考えるんだよ)
「そうだな……今日で5日目か。そろそろ本当にこの身体なんとかしないと」
(何とかって、どうするの)
「医者は絶対無駄だし、そうすると……薬かな。そうだ、報奨で眠剤を自分で買えばいいだけじゃないか」
(でも、昔言われたじゃないか。薬に頼らず眠る方法を考えろって)
「それは余裕のある奴がやること。今は……もうダメだ、何も考えられない。考えたくない。今すぐにでも全部終わりにしたい。やっぱり、あの時ちゃんと死ねばよかったんだ。姉さんと一緒にさ」
「姉さんに会いたいよ……みんなに会いたいよ……またみんなで稽古してさ、港に行ってさ、それで……家で寝たい。それって、もう望んでもいけないのかな。帰りたいって思っちゃダメかな」
「帰りたい、帰りたいよ……予備隊でもいいからさ、帰りたいよ。帰りたいんだ……どうしてこんなことになったんだろう? もうわからない……帰って寝たいよ……帰りたいよ……助けてよ、誰か……誰でもいいから……助けてよ……」
「でも、誰も助けてくれないから……自分でなんとかするしかないんだ……」
しかし、何をどうすればいいのかさっぱりわからなかった。河原で纏わり付いた黒いものは日に日に大きくなり、路上生活時代に悩まされた胸の痛みが復活するのを感じていた。あの時は胸の病気だと思っていたが、今ならこの痛みは心の痛みであることがわかっていた。
「やっぱりまずは睡眠だ。気絶特訓が出来なくなったから、僕には薬が必要なんだ。それだけだ」
予備隊時代、なるべく使用するなと言われていた薬を購入することに罪悪感はあったが、背に腹は替えられなかった。それから夜が明けるまで、ティロはどうすれば眠れるかについてずっと「友達」と話していた。
翌日、ようやく体力が尽きて詰め所で気絶をしていたティロは「昼間から居眠りをしてやる気がない」と殴られ、ますます評価を下げることになった。それでもティロはやっと気絶できたことのほうが嬉しかった。もう周囲のことなど、どうでもよかった。
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