どん底

 特別訓練でティロの閉所恐怖症は克服できなかった。訓練終了と共に特務本部の外に放り出されたが、ティロは頭が全く働かなかった。1人で予備隊まで帰って、この惨めな結果を伝えなければならないと思うと二度と予備隊に戻る気にはなれなかった。


(もうみんなに合わせる顔もないし)


 この後どんな処遇が待っているのかも考えることができなかった。わかっているのは不適格と見なされた子供たちはどこかへ消えていくということだけで、その不適格な子供に自分も当てはまってしまったということだった。


(これからどうなるんだろう。どうにもならないんだろうな)


 予備隊のティロとして生きてきた日々が頭の中を駆け巡った。わざと素人のふりをして剣技の腕を隠し続けた日々、少しずつ仲間が出来て一瞬でも楽しいと思えるような時間が持てたこと、眠ることができなくて日々苦悶したこと。


(こんな欠陥品、生きていたって仕方ないんだ)


 欠陥品だからまともな睡眠もとれないのではないかと考えてしまう。欠陥品だから声も出せずに助けを求めることもできなかったのではないかと思い出してしまう。欠陥品だから姉もアルセイドも助けられなかったと後悔してしまう。


(俺が姉さんを好きになったのも、欠陥品だからなのかもしれない)


 姉弟で恋愛感情を持つというのはおかしいと当初から思っていた。


(俺が欠陥品だから、姉さんは死んでしまったのかもしれない)


 大通りを歩いていると、たくさんの人の声が聞こえてくる。リィアの首都の地図は頭に叩き込まれていたが、実際にひとりで出歩くことはほとんど初めてだった。親子連れに恋人なのか手を繋いでいる男女、商売をしている威勢のいい声に剣技の話に夢中になっている子供たち、いろんな人がいた。そのどこにも「地下にも入れないみなし子」の自分は入れないだろうと思うと辛かった。


 まともな人たちが、まともに生きている。そんなところで生きていくのはできないと思った。


(嫌だ、もう嫌だ。俺が生きていると、みんなに迷惑がかかる)


 人目を避けるように大通りから逃げる。予備隊のある場所とは反対の方向だった。


(逃げる? どこへ? 誰もいないところ?)


 足は自然に街の外へ向かっていった。街の外には川が流れているが、そこは開発が進んでいないため誰も足を踏み入れることがなかった。


(ちょうどいいや、誰も来ないここならゆっくり死ねる)


 しばらく道なき道を歩いて行くと、開けた河原に出た。


「きれいな場所だな。誰もいないし」


 ティロは河原に腰を下ろした。太陽はゆっくりと傾いていき、夕暮れが近づいていた。


「夕日くらい見ておこうかな」


 そのままティロはぼんやりと流れている川を見続けた。夕日に照らされた川が美しく誘っているように見えた。やがて夕日は完全に姿を消し、星が空に瞬きだした。


「暗くなっちゃった。もう暗いところで苦しい思いはしたくないな」


 黒々と流れる川を見て、ティロは小さく呟いた。


「決めた。もう一度朝日を見たら、姉さんのところに行こう」


 朝日が昇るまで、することもないので人生の最後として今までのことでも振り返ろうと思った。


(今までで一番楽しかったことは?)


「さあ、何だろう。エディアにいた頃は毎日が楽しかった気もするけど、最近何が楽しかったのか思い出せないんだ」


(今まで一番苦しかったことは?)


「何だろうな、一番を決めるなんて無理だよ。エディアを出てから、毎日が苦しいことの連続だったじゃないか」


(それじゃあ、今望みがひとつ叶うとしたら?)


「姉さんに会いたい。だから今から姉さんに会いに行くんじゃないか」


(現実的な望みで言うと?)


「そうだな……出来れば温かいベッドで一晩ぐっすり眠りたかったな。何も考えないで、心配しないで、悪い夢も見ないでさ……」


(死んだらどうなると思う?)


「どうなるんだろうね。この川も海に続いているだろうから、海まで流されていくんじゃないの? 海に出るなら、それでいい。ああ、出来ればもう一度エディアの海を見たかったな」


(海は好き?)


「うん、大好き。生まれたときからずっと海風と生きてきたんだもの。海が見たい。できれば、アルと二人で」


(死んだらアルに会えるかな?)


「会いたいね。すごく会いたい。もちろん姉さんにも、父さんにも、あとみんなにも……会いたい。すごく会いたい」


 エディアのことを思い出すと限りがなかった。


「帰りたいよ。ちょっと一瞬、苦しいのを我慢すれば、あの日に帰れるのかな。それなら僕は喜んで帰るよ。帰ったらさ、キオンとスキロスが飛び出してきて、姉さんがお帰りって言って、ミルザムと稽古して、今までのは全部悪い夢だって言ってもらうんだ。そしてさ、そしてさ、そして……」


 帰りたくて帰りたくて仕方なかった。何も心配しないで「お帰り」と誰かに言って欲しかった。指輪を握りしめて、姉に会ったら何を言うかを何度も何度も考えた。


「まずは姉さんに謝ろう。僕が欠陥品だから姉さんは死んでしまったんだ。それから、今度は姉さんのことが大好きだって正直に言おう。姉さんは本気と受け取ってくれないかもしれないけど、それでも伝えないと僕の気が収まらない。ああ、でもこんな欠陥品に好かれても姉さんは迷惑かもしれないな。こんな奴がエディアの血を引いてるなんて、エディアの名前に傷を付けるだけだ」


 自分が至らないばかりにいろんな不都合が起きていることが悲しくて悲しくて仕方なかった。どうすればよかったのか全くわからない。だから欠陥品と呼ばれたのだと思うと惨めで、生きている理由が全て消えたような気がした。


「あとは、みんなにリィアの型を見せてやろう。しかも左手でだ。父さんびっくりするだろうな。爺ちゃんは褒めてくれるかな、それとも無茶しやがってって怒るかな。どっちでもいいや、みんなに会えるなら、それで」


 エディアのことを考えていると時の経つのは早かった。群青色の空に光が混ざってきた。


「……明るくなってきた」


 次第に明るくなる空を眺めているうちに、太陽はしっかりと空に昇った。青空が美しくて、そのまましばらく仰向けになって空を見つめ続けた。これで見納めになると思うと全てが愛おしいように感じ、いつまでも空を見ていたくなった。


(完全に日が昇ったよ)

(そろそろ時間だな)


 空を飽きるまで見続けて、起き上がると目の前に川が流れている。後は歩いて行くだけだった。


「じゃあ、行ってみようか」


 ゆっくり立ち上がると、流れの方に歩き出した。もうすぐ姉に会えると思うと、どこか足取りは軽かった。

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