花の約束
髪型髪色自由なんて嘘じゃないか。春だし入社式だからフレッシュなオレンジブラウンに染めた髪をハーフアップにして入社式に臨んだら、ほかの新入社員はみんな真面目な黒髪だった。
僕は職場デビューに失敗したわけだが、髪色で先輩に覚えてもらえたのは助かるし、てんやわんやと半年の研修をこなすうちに僕は「派手髪でピアスの新人」という枠に落ち着いて何もイジられなくなったので気楽なものだった。先輩にだって金髪の人はいるし、クライアントの応対をするわけでもなくシステムを保守するだけなんだから構わないのだ。
修士二年生になった衣真くんはずっと修士論文にかかりきりで大変そうだったが、僕の半年の研修が終わるタイミングに合わせて一緒に準備を進めてくれた。九月には一度広島まで僕の実家に挨拶に来てくれて、僕も改めて菓子折りを持って衣真くんのご両親にご挨拶に伺った。僕たちは同棲を始めるのだ。
同性婚が可能になって久しいけれど、衣真くんは結婚をするつもりはない。「事実婚」という言葉を使うつもりもない。結婚制度が嫌いなのだ。僕たちの関係はあくまで「パートナーシップ」である。
僕はそこに不満はまったくないけれど、となるといつから正式なパートナーになるのか分かりづらい。
「ねえ、同棲を始めたら僕たち結婚している状態と同等のパートナーシップを結んだことになるつもりでいる?」
九月の終わり、まだ扇風機だけ回している部屋でベッドに寝転んで訊く。水出しのミントティーのグラスが汗をかいている。
「どうだろう。一度区切りがあるといいね。指輪を交換しよう。引っ越しが終わって残ったお金を照らし合わせて考えようよ」
衣真くんは手を伸ばして僕のリングに触る。一年はめているからメッキがだいぶ剥げてしまっている。
「そうだね。パーティーをするのは? 『結婚式』って名前じゃなくていいけど、親戚と友人を呼んでさ。『僕はこんな素敵なひととパートナーになるんです』って宣言したいよ」
「いいよ。パーティーをしよう。そこで正式なパートナーになったことにする?」
「それがいいね」
僕も衣真くんの指輪を触ってくるくる回す。衣真くんは少しだけ痩せて、指輪はほんの少しゆるくなった。
「お金を貯めなくちゃ」
「すぐじゃなくていいよ。僕もすぐは無理だ」
そう言いつつ、僕はできるだけ残業代を稼いでいるのだけど、衣真くんに言うと心配するので秘密だ。
「衣真くんは立派な修論を書いてキャリアにつなげてよ。若いうちは僕が稼ぐから、衣真くんが教授になったら僕においしいものをたくさん食べさせて」
「僕が教授になるころにはそんなに儲かるかしら。小説家と二足のわらじで早暉くんに素敵なすき焼きを食べさせてあげる」
「あ、今すき焼きが食べたいんだ」
「そう。そんな贅沢しないけど」
「牛肉の切り落としで牛丼を作ってあげる」
「すき焼きっぽい!」
「濃いめの味付けにして卵黄を落としてあげる」
「すき焼きだ!」
食べるのが好きな恋人がかわいくって、肌のやわらかい身体をぎゅっと抱きしめた。
十月半ばには、僕たちの新居にはなんとか開けていない段ボールがなくなって、僕はひとつ持て余している持ち物があった。花瓶だ。衣真くんが僕に告白してくれた三年前、九輪の薔薇を生けた花瓶。そのあとは花なんて買わないまま、でも思い出の品だから捨てるのも惜しくて引っ越しの荷物に入れて持ってきた。
日が落ちるのがとても早くなったある晩、僕が残業して帰ってくると、衣真くんの作ってくれたポークステーキが並んでいた。あとは千切りキャベツのコールスローだ。衣真くんは修士論文に忙しいから料理はしなくていいと言っているけど、ときどき作ってくれる。たぶんストレス発散のために作っているんだ。豚肉の筋を切るために包丁で叩きまくり、キャベツを千切りしまくる姿が目に浮かんで笑った。
「ただいまー。夕ごはんありがとう」
少し声を張り上げると、衣真くんが自室のドアを開けて「おかえり」と言う。こんな些細な喜びのために、僕は好きなひとと一緒に暮らしている。
「修論が進まなくてむしゃくしゃしたから豚肉を叩きまくったの」
「そうだと思った」
「先にいただきました。やわらかくなってたよ」
「それはなにより!」
僕が笑うと、衣真くんも笑って飛びついてくる。
「早暉くんにプレゼントがあるんだ」
「えっ」
衣真くんは一度自室に引っ込んで、花屋の紙袋から取り出されたのは、深いブルーの花が鈴なりの、リンドウの花束だった。
「どうぞ」
「ありがとう……! むしゃくしゃしたから買ったの?」
「まさか! たまたま見かけて、早暉くんはこういう背筋の伸びた花が似合うと思ったから買ったんだよ」
両手でそっと受け取る。なんでもない日に花を贈ってくれるなんて、衣真くんはやっぱりとっても素敵だ。リンドウの気品あるブルーも好き。この花を選んでくれた衣真くんは、僕のことをよくわかってくれている。でも一番嬉しいのは、僕の敬愛するフィアンセに「背筋の伸びた花が似合う」と言ってもらったこと。
「ありがとう、衣真くん」
「どういたしまして。とっても似合ってる! 写真を撮っていいでしょ?」
花束を抱いて、バシバシ写真を撮られる。気恥ずかしくてそっぽを向いてしまう。「かっこよく撮れたよ」って言われたってそんなわけないんだから。恥ずかしくてチラッとだけ見る。でも、大事な思い出の写真にしよう。
「花瓶はまだ取ってある?」
「そうだ! 取ってあるよ」
自分の部屋で持て余していた花瓶を取ってくる。真っ白でくびれのある陶器のものだった。衣真くんが慣れた手つきで花を活けてくれる。そこに着いて回って後ろから見守る。
「花瓶があるなら、また花を買ってくるよ」
愛しさに胸がきゅっと詰まって、邪魔しないように衣真くんの肩にそっと手を置く。
花瓶って、すごく特別だ。衣真くんがまた僕に花を選んでくれる約束の証なんだから。
「僕も衣真くんに花を贈りたいな。いい?」
「もちろん。嬉しいなあ」
衣真くんはリンドウから手を離して、振り返って愛しい笑顔を見せてくれる。
「明日、一緒に花を買いに行く? 少しの気晴らしに」
「いいねえ」
素敵なデートの約束も決まって、今日はいい夜だ。
リンドウや彼岸花や、真紅の薔薇や、そんな僕たちの記憶の中に咲く花たち。そしてこれから僕が衣真くんに贈る花々。衣真くんが僕に送ってくれる花の数々。僕たちのお披露目パーティーを彩るとりどりの花。
それが全部ぜんぶ僕の記憶の中にずうっと咲いているんだとしたら、どんなに素敵だろうと想像した。
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