世界一の殺し屋の献身

 リオははあはあと息切れさせながら、腕一杯に抱えた「不審物」を焼却炉に放り込んだ。

(……お、思ったより疲れるな、これ)


 耳の中に詰め込んだ無線から送られる指示に沿って校内を駆け回り、生徒たちが薬を口に含むのを阻止する。薬物に関して、並ならぬ知識と勘と嗅覚を有したススピロが今日の司令塔だ。

 アルバ? 当然、非協力的である。さっきちらっと教室を覗いてみたら、ふつうに窓辺の席で寝てた。


<……藤野撫子の飼い猫、これで全部。変な動きしてる子はもういない>

<あ゛〜〜、意外といやがったなぁ、クッソ!>

<思ってたより撫子の毒が回ってたってことね。でも、見たところ薬で操られてたわけじゃなさそうだから、シンプルに大金でも握らされてたのかしら>

<作戦失敗してんの誰も気付いてねーのウケね?詰め甘すぎ。藤野撫子も、一向に誰も暴れ出さねーからイライラしてんじゃね?どーなのファロ」

<……………>

<ファロ今藤野撫子膝に乗せて髪結んであげてるから声出せない>

<<お前偉すぎかよファロ>>

「今晩はファロの好きなオムライス作ろ」


 人を守る、なんて任務普段請け負うことはないので、皆の声にはいつも以上に疲労が滲んでいる。

 リオは苦笑しながら、今日一番の功労者である彼のために買い物に行ってから帰ろうと心に決めた。


「ごめん」


 もうすぐ昼休みも半ばだ。アルバを誘ってお昼を食べようとつま先を校舎へ向ければ、視界に見慣れた金髪が映った。五十嵐だ。

 どうやら女子からの呼び出しを受けているらしく、ポケットに片手を突っ込んで、頭をかいている。

 ごめん、は、告白の返事だろうか。


 気にせず通過しようとしたリオがつい足を止めてしまったのは、五十嵐を呼び出した女子生徒が、カラフルな箱を彼の胸に押し付けで走り去っていくのが見えたからだ。

 五十嵐はしばらくその後ろ姿を見つめた後、受け取った箱を開け始めた。


(……いや。いやいや、あれは大丈夫でしょ。どう見ても手作りだし、告白してたし)


 思いながらも、気が気ではない。

 五十嵐は包装紙を外し、中に入っていたものを取り出しはじめた。黒くてつややかなチョコレート。

 ゆっくりと、それが口に運ばれていく。

 リオがたまらずに飛び出したのはその時だった。


「ダメ!」

「は?うわっ」


 五十嵐の手からチョコレートの箱を取り上げようとした拍子に、振り返った五十嵐の足ともつれ、意図せず彼を押し倒すような形になってしまう。

「……は?」

 綺麗に整えられた芝の上で、五十嵐は目をぱちぱちと瞬かせていた。

 五十嵐の周囲にはリオが押し倒したせいでチョコレートが散乱している。


「………ええ……と、ごめんなさい」

「………」


 飛び出して五十嵐がそれを口にするのを阻止できたのは良いが、どんな言い訳をするべきか、そこまでは考えていなかった。そのチョコ毒入りかもしれないから、なんて言って信じてもらえるはずもない。

 五十嵐は何も言わずにリオを見上げている。



 リオは黙ったまま、ひとまず身体を起こそうと腕を突っぱねた。

「っ、えっ」

 五十嵐がそのリオの腕を掴み、身体を反転させたのはその時だ。

 いわゆる形勢逆転というやつである。


「……」


 しかし五十嵐はといえば、リオを見下ろしたまま、依然として一言も声を発さない。ちょうど真上にある陽光が透けて、彼の髪はアドルフォと同じくらい透明感のある金色に見えた。


「なあ」


 はっとして意識を戻す。こんなとこアルバに見られたら色々とおしまいだ。昨日以上の灸を据えられることは間違いなし、五十嵐もただじゃすまないだろう。


「……な、なに!ていうか、どいて!」

「やだ」

「はぁ!?」

 子供のようなことを言ってくる五十嵐を見上げる。五十嵐は、心底不服そうに口をへの字に曲げていた。


「俺がチョコ食うの阻止した理由って何なの」

「………それは」

「なんとなく、とかで逃げられっと思うなよ」


 どうしよう、リオは困り果ててしまった。私が食べたかったから、なんてふざけた理由は、五十嵐の真剣な眼差しを見る限り通じなさそうだ。


「言わなきゃ今すぐキスするからな」

「は!?」

「はい、じゅー、きゅー、はーち、なーな」

「待って待って!え、ええと……!」


 必死で頭を回らせるが、焦れば焦るほどろくな言い訳が出てこない。最悪股間を蹴っ飛ばして逃げ出そう、と別の方向で意を決し始めた時、ふはっ、と上からかすかな笑い声が落ちてきた。


「すげー汗。どんだけ焦ってんだよ。冗談に決まってんじゃん」

「……五十嵐」

 じっとり睨みつけると、からかうような笑顔とぶつかる。

 そういえばここ最近、五十嵐とこんなふうに話したことはなかった。軽口をきかれるのだって、転校してきた頃以来だ。


(なんのつもりなの……?)


「あの子に嫉妬したー、とか嘘でも言ってくれてもよかったけどな」

「してないし」

「知ってる」


 よ、と軽やかに身体を起こした五十嵐は、リオの腕を引いて彼女が起き上がるのも助けると、身を屈めて地面に落ちたチョコレートを拾い始めた。

 全部拾い上げると、それらを箱に戻してリオに差し出す。


「やるよ」

「え……?」

「これが欲しい理由、なんかあんだろ?」


 思いがけない言葉に、思わずまじまじと五十嵐を見つめる。五十嵐は大きなため息をついて腕を伸ばすと、固まるリオの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。


「お前ってさー、転校してきた時からそうだよなー」

「……そう?」

 乱れた髪を直しながら、リオは尋ね返す。


「相手が男子だろうが女子だろうがつっかかられたらつっかかってくし、誤解されんのも平気だし、イジメられても全っ然折れねーし、そのくせ変なとこで情が深くて、ばかみてーに正直」

「……何が言いたいの」

「お前が撫子のこと殴ったりしてたとしても、別にありえない話じゃねーって話」


 動きを止めたリオ。

 また罵られでもするのかと思えば、五十嵐の眼差しは、呆れた隣人でも見るかのような微かに笑みの滲んだものだった。


「だってお前はっきり、「朱音が悪者だって別に構わない」って、俺に言ったもんな」


 あの日、放課後、たしかにリオは五十嵐にそう言った。


「世間一般の正義よりも、お前が信じる正義のためなら、平気でぶっとんだ行動もできる。そういう悪役ヒールなんだよ、お前は」


 そう言った五十嵐は、うんっと大きく伸びをして、何か憑き物でも落ちたような、これまでになくすっきりとした顔つきでリオを振り返った。


「俺は撫子の仲間だ。これは変わらない。だから、お前の正義からあいつを守ってやんなきゃいけない。ただでさえ朱音ン時、俺、撫子のこと信じてやれなくてすげー傷つけたから」

「…………撫子に裏切られるかもって、考えたことないの」

「あるよ」


 素直に答えた五十嵐の顔を、まじまじと見つめた。五十嵐は、仕方なさそうに眉を下げる。


「正直、何回もある。撫子、つかめねーとこあるし。お前が来てからも来る前も、けっこー悩んだ」

「なら何で……」

「たぶん俺、あいつのこと信じたいんだよ。俺の外面じゃなくて、中身を見てくれた初めての奴だったからな」


 それって、本当に初めての相手だった?

 朱音は、そうじゃなかったの?


 そう問いかけようとしたリオは、五十嵐の顔を見てそれをやめた。五十嵐自身がその問いかけを、もう十分自分自身に向けていたことは明らかだったからだ。

 



「リオ」


 はっとして振り返れば、そこにはアルバとアドルフォ、ノーチェの姿がある。五十嵐の空気がふっと緩んだ。


「……あいかーらず、モデル集団みたいだよな。お前んとこのオトモダチ」

「そう?」

「お友達じゃなくて、家族な。コガネムシ君」


 リオの後ろから彼女の肩に腕を回したのはノーチェだ。

 一瞬二人の間で目に見えない火花が散った気がするが、すぐに五十嵐が身を引いたので定かではない。


「あー、ヤダヤダ。お前らと一緒にいると俺の輝きが霞んじゃうし、先戻るわ」

「ハイサヨナラバイバ〜イ」

「なあ、お前俺にだけやたらと突っかかってくんの何なの?」

「だってお前ぜってーリオに気あんじゃん。虫は払っとかねーと」

「ないっつってんだろ!!!」「うっぜ」


 ぎゃあぎゃあと喧嘩するノーチェと五十嵐の間から抜け出したリオは、アルバのもとへ駆け寄った。愛しの恋人は、なぜか少し機嫌良さげだ。


「………アルバ、なんかいいことあった?」

「ねぇ」

「でもご機嫌じゃん」

「そりゃ、あんだけクソガキ見事に地面にめり込ませてストレス解消してりゃご機嫌にもなるだろ」

「何て?」


 ぶつくさ言ったアドルフォに詳しく事情を聞いたリオは、心から絶句した。どうやらアルバを呼び出してリンチを企てた猛者がいたらしい。しかも第一人者は、あの東だという。命知らずなの?


「そ、そもそも、なんで呼び出し応じたの??いつものアルバなら話しかけられたって完全無視か、その場で地に沈めるかのどっちかじゃん!」

「それがさーリオ」


 五十嵐を追い払ったらしい、ノーチェがにやにや笑いながらやってくる。


「ショッピングモールで出会ったチビが、ガキの頃のリオにすっげー似てたんだって」

「……?」


 リオの頭の中に、東たちに守られて泣く少女の姿が浮かんだ。

 確か最後は、アルバに抱えられて東もろとも空中ダイブした子だ。その子が、私に似てた?


「アルバ、そのガキに別れ際クロネコのオニーチャンをどうかよろしくって頼まれたらしい。で、なんとなく今日も呼び出しにも応じちまったと」

「黒猫……って、東のこと?何で黒猫?」

「さあ。それはしんねーけど、愛だよな〜」


 あの怒りんぼの首領が結局一人も殺してねーし。俺普通に校舎裏血の海だと思ったもん。

 リオも確かにと納得した。

 ノーチェの言う通り、アルバの沸点はかなり低いし、引き金もそこそこ軽い。気に食わない相手は気に食わないと思った瞬間に殺すタイプだ。

 そんなアルバが、不遜にも自分を呼び出した相手を生かして帰すなんて、到底信じ難い。


「首領も我慢とかできんのな。オマエのためだぜー、リオ」


 ケラケラ笑うノーチェの横でぽかんとアルバを見つめていたリオは、そのうち込み上げる愛おしさのまま彼に飛びついた。


「アルバ、好き!大好き!」

「黙れ」

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S級暗殺者集団のボスに溺愛されてますが、イジメの黒幕だった悪女と騎士達にはこの手で復讐させていただきます(旧題『硝煙と蝶』) 岡田遥@書籍発売中 @oop810

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