先行き不安

 結局リオが廻神に告げたのは、友人の復讐がしたくてここにいる、ということだけだった。

 稼業のこともDeseoのことも口にはできない。

 裏社会のことなんか、知らずに過ごせるならそれに越したことはないのだから。




「――すまない」


 血の染みがついた日記帳をそっとテーブルに置いた廻神は、そのまま立ち上がり、リオの前で深く頭を下げた。

 その謝罪の意味は聞かなくても分かる。

 リオだって、かつてどうしてと廻神を責めたのだから。


「まさかうちの学園でそんなことが起きてるとは、夢にも思わなかった。それもあいつらのクラスで」

 悔しそうに俯く廻神。

 廻神が気付かないのも分かる。彼らは、後ろめたいことをしている自覚など一切ないのだ。それが正義だと本気で信じきっている。

 そのありあまる正義感の標的にされたのが朱音だ。

 リオは歯を噛み締めた。


「私は朱音の受けた痛みを、屈辱を、藤野撫子に思い知らせたい。全ての疑惑を晴らして、朱音がこの場所に戻ってこれるようにしておきたい……!

 そう決めたばかりなのに、こんなにも、何もかもに心が揺れて恥ずかしいの」


 袖口で強く目を擦ると、廻神はそれを優しく遮った。


「お前のやりたいことは分かった。リオ」

「……」

「だが、復讐は」

「何も生まないなんて、そんなこと言わせない」


 リオはきっと廻神を睨みつけた。


「痛みを抱えたまま、前になんか進めない。負けて、屈して、諦めた記憶が残るだけ」

「……」

「私は勝つまで戦うから」


 リオは言いきった。


「優しい朱音が出来なかったぶん、私があの子の刃になるの。そして必ず、奪われた全てを取り返す」


 語調を強めたリオを見て、廻神は思い出していた。

 初めて会った時、自分がリオの何に圧倒されたのか。


「――情熱を燃やせるものに出会ったら、それが人だって、物だって、命の限り愛するの。当たり前よ。そういう国に生まれたんだから」


(お前にとって、そいつは命を燃やしても守りたい相手ってことか)

 廻神の中で、何かがはっきりと動いた気がした。


「分かった。なら帝明学園の生徒会長として、生徒の苦しみに気付けなかった俺にも罪を償わせて欲しい」


 廻神の言葉に、途端に困り顔になるリオ。

 思った通りの反応に廻神はふっと相好を崩した。


「お前の復讐に協力させてほしいってことだ」

「……協力?」

「こう言ったらなんだが、理事長の息子ともなると大体のことは何でもできる」

 恥ずかしげもなく言ってのける廻神。


「俺に何かしてほしいことがあるなら何でも言ってくれ」


 リオは考えた末、口を開いた。


「何もしなくていい」

「……それは」

「あ、そうじゃなくて」


 廻神が険しい顔をしたので慌てて訂正する。


「私のために動かないでほしいってこと」

「……つまり、藤野撫子につけってことか」

 さすが彼は察しがいい。


「だが何のために?」

「……抑制して欲しい。五十嵐や、特に東のことを」


 目を見開く廻神にリオは言った。


「彼らは所詮撫子の傀儡くぐつよ。自分の意思で動いてるわけじゃない。もちろん朱音にしたことは絶対許さないしそれは一生かけて償ってもらうけど、それ以上罪を負わせる必要も別にないから」

「……あいつらの、いつかの後悔にならないようにか」


 リオは眉をしかめて首を振った。そんな綺麗ごとではない。


「私は朱音とは違うの。望んで、悪意の中に飛び込んだ。だから、それで彼らに何をされたって責める資格は無いでしょう?」


 つまり無駄ないさかいを避けるための手だ。

 ついでに言うと、あんまりにもリオが派手にやられすぎると、冗談じゃなく激昂する人間が数人いるのだ。最悪複数名が行方不明者となってしまう。それは避けたい。


「撫子はひときわ貴方に執心してる。だから、彼女の望むように振舞ってほしいの」

 廻神が小さく口を折り曲げた。

「俺のはちゃんとむくいだな」

「、ごめ」

「冗談だ。やるさ」


 廻神はリオの手をすくいあげると、さっと手の甲に口づけた。


「お前の望むままにな」



**



 五十嵐たちが生徒会室に呼び戻されたのはそれから十分後の事だった。リオ・サン=ミゲルの処罰について決まったと連絡が来た。

 五十嵐と東の間には、俯きがちな撫子がいる。


「……撫子、ほんとに来るのか?」

「五十嵐の言う通りだ。無理に協力しなくても」

「いいの」


 撫子はゆっくりと顔を上げる。

 青ざめた少女は、先に待つ相手への恐怖を必死で押し殺しているように見えた。


「廻神先輩が忙しい中で時間を作ってくださったんだから、私もできる限りの事はする」


 生徒会室には、奥の椅子に座る廻神とリオの姿があった。

 部屋の中央に立たされ、俯いているリオの姿に、東を初めとする生徒会役員たちは冷ややかな視線を浴びせた。

 心の中で嘲笑っているのは撫子一人だ。


「来たか」

 全員揃ったのを確認すると、廻神が席を立った。


「今回の一件を学園は重く受け止め、こいつを重要監視対象とすることが決まった」

「……退学ではないんですね」

 不服そうな東の言葉に、廻神も小さく嘆息する。

「残念ながらな」

「まあしょうがねーじゃん?撫子が許してやるって言ってんだから。ってか撫子に感謝しとけよー?リオ」

「よかった、リオちゃん」


 ほっと表情を緩めた撫子の振る舞いに、廻神が微かに眉を寄せたことには誰も気付かない。


「リオ・サン=ミゲル。お前の行動は当面生徒会で監視する。五十嵐、東。頼んだぞ」

「へーい」

「……はい。会長」

「だが、ひとつ言っとく。手を上げることだけはするな」


 廻神の言葉に、二人は無意識に背筋を正す。

「それはお前たち、ひいては帝明学園生徒会の品格を落とすことになる」

「……しかし会長。そいつは下衆の中の下衆ですよ。注意するだけで行動を省みるとは思えません」

(悪かったな)

 我慢の効かなくなったリオが東を小さく睨むと、それを阻むように顎をすくって顔を戻された。途端に視界が廻神で埋め尽くされる。

 彼はすっと視線だけを東に向け、挑発するように首を傾げた。


「東。お前は暴力でしか躾ができない男なのか?」


 誰かの息を飲むような声を聞きながら、リオは腕をつっぱって廻神の顔を遠のけた。

「い、いえ……」と東は視線を泳がせて赤面し、撫子からは痛いほどの殺気を感じる。


(……ちょっと、やりすぎ!)

 リオは小声で訴え、廻神を睨んだが、

(そうか?このくらいした方がいいだろ)

 しれっと返した廻神は、リオを末端の席に座らせるなり、自分は撫子と共に生徒会室を出て行ってしまった。

 甘い言葉などを囁きながら門の外まで送り届け、丁重にお帰り願うと言っていたのでそうしたのだろう。

 最後に向けられた撫子の勝ち誇った顔ときたら。


「……退学にならなかったからって良い気になるなよ。お前がまた不審な動きを見せたら、今度は僕たち生徒会が全力で君を叩き潰す」

「……暴力以外とか知らないくせに」

「なんだと!!??」


 いつものように喚き始める東を横目に、リオはふうと長いため息をついた。

 廻神が味方になってくれたのは良いとして、ここから撫子がどう出るかが問題だ――。


(荒れなきゃいいけど)

目下、目的はあの薬である。

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