第19話 負けたくない
コーヒーがゆっくり落ちていく、その音がまるで音色を奏でるように周りを包む。
「いらっしゃいませー」
お客様を案内し、注文をとる。
「マスター、おすすめのコーヒーを二つお願いします」
「はい。了解」
ふと、何気にいつものカウンターを眺める。そこに誰も座っていない。
「・・・
「あっ、はい」
コーヒーをお客様のところへ持っていく。どんなコーヒーか?とお客様が聞いてきたので説明をする。
「忙しいのかな?
「そうだね・・」
マスターが俺を見ながら話をしている。あれから、抄湖さんは研究に追われていてお手伝いをするもの、会話らしい会話をしていない。
ここに来ればその話や他の話も出来るのだけれども・・寂しそうに見つめる。
「やれやれだね・・」
今日の午前中はこの店のバイトで昼からは店を閉めてフェスティバルの会議をする事に
「明日は講習かい?」
「はい、午前中はそうです。午後から抄湖さんのお手伝いです」
フェスティバルに向けて俺は本格的にコーヒーの知識を学ぶ事にした。将来的には親の店を継ぐと決めていて、マスターも時々教えてくれる。この話はマスターからの提案だ。
「フェスティバルで出店するメニューは毎年凝ってるんだよ。それぞれのお店が
フェスティバルで俺のコーヒーがお披露目出来たらいいのではとマスターは考えていたらしい。
「君ならいいと思ったんだ・・」
マスターが時々優しい微笑みを浮かべるけどどことなく寂しげに外を見ている事もある。
コーヒーの匂いに惹かれてこのお店を知って新たな出会いがあった。人生でまだ、半分も生きてなくて学びはまだまだこれからだ。この店を通じて人の温かさなどを知る事も出来た。
誰も座っていないカウンター席を眺める。
「何してんだろうな・・俺は」
そう思っていてもどんどん日が過ぎていく。俺と入れ替わるように
———カランコロン
「いらっしゃいませ・・久しぶりだね。抄湖ちゃん」
「・・うむ」
「カウンター空いてるよ、座らないの?」
「わかっておる」
「今日はいないよ、勇人くん。コーヒーの講習に行ってるよ」
「べ・・別に勇人氏を探してるわけではない」
「はは・・キョロキョロしてるのにかい?あ、そうそう、これ食べるかい?」
「おおーー!!これは中村屋のおはぎではないか!長いこと食べておらぬ」
「それ、勇人くんが毎日買ってるんだよ?」
「え?」
「もしかして、来るかもしれないって毎日、中村屋に行っておはぎ買ってきてるんだよ。抄湖ちゃん、ありがとうは自分から言ってね。彼はそれだけでも嬉しいと思うよ」
講習の帰り、中村屋の前を通る。
「ありがとうございましたー!」
「こんにちは」
「あーいらっしゃい!勇人くん」
「今日は講習の帰りかい?」
「あ、はい。おはぎ貰えますか?」
「いつも、ありがとうございます」
「あなた、勇人くんは抄湖ちゃんの為におはぎを買ってくれてるのよ」
他の人から言われると少し恥ずかしい。ここんとこ毎日だから言われても仕方ないけど
「抄湖さん、ここのおはぎ大好きだから今、忙しいそうなんで・・俺にはこれくらいしか出来なくて・・」
「そうなんだね、ここのお店の商品を買ってくれるのはとてもありがたいよ」
悟さんと明日美さんは二人でこのお店を守っていくと嬉しそうに笑っている。こういう姿を見るととても温かくなるし、抄湖さんに話もしたいと思うんだよな。今日は夕方まで大学院にいるってマスターが言ってたよな。メールをしてもいいけど、邪魔をしちゃいけないし夕方までなら間に合うだろう。
「勇人ー!」
「
中村屋を後にして歩いていると柚鈴さんが橋の向こう側から手を振っていた。
「ここで何してたの?」
「講習帰りなんだ」
「講習?」
「コーヒーの講習。バイトで喫茶店で働かしてもらってるんだよ」
「夜のバイトは辞めたの?喫茶店で?」
柚鈴さんは不思議そうにしている。コーヒー好きな事は知っているけど、喫茶店で働いてる事は別れたあとだし
「ああ、偶然見つけてそこで知り合ったんだよ。抄湖さんとも」
「・・そうなんだ」
「柚鈴さんは大学?」
「うん、文化祭の準備の帰り。明日だよね?お手伝いって。ねえ、あそこの公園新しくなったよね?通って帰らない?ここからだと駅に近いかも」
嬉しそうに笑う柚鈴さん。少しあどけなさがあってニコニコしている彼女はとても可愛いらしく周りからも人気がある。
「勇人ー!早く行こ!」
手を引っ張られて小走りになる。昔もこうやって楽しんだ事を思い出す。
「いらっしゃいー!あれ?抄湖ちゃん!」
「こんにちは、明日美さん」
「久しぶりね、さっき勇人くんが来てたわよ」
「勇人氏が?・・うむ」
「いつも、忙しい抄湖ちゃんの為におはぎを差し入れするからって毎日買ってくれたのよ」
「そうか・・このカステラとあと、おはぎ4つも頂こう。二つずつじゃ」
「ふふ、はいはい!二人で仲良く食べてね」
「了承した」
どこかで勇気を振り絞ってと期待を抱えて走っていく。俺達は少しずつ変化をしていたのかもしれない。
「へぇー割といい場所だな」
「でしょ?今度、勇人と一緒に行こうと思ってたから、えへへ」
無邪気に笑うのは変わらない。
「まだ、少し時間ある?少し話さない?」
予定らしい予定はないが抄湖さんのことは気になる。
「私、飲み物買ってくるよ」
「いいよ、そこで座ってて俺が買ってくる」
少しだけならと思い、俺は近くの自販機で飲み物を買う。
「はい、どうぞ」
「わぁ・・ミルクティーだ。覚えてくれてだんだ。嬉しい」
「大袈裟だな。コーヒーあまり飲めなかったよな?」
「うん、ミルクとお砂糖たっぷりなら大丈夫なんだけど」
その言葉に抄湖さんが浮かんでしまう。嬉しそうに笑う顔、少し照れた顔、怒った顔まるで百面相だ・・そう思ったらなんだかニヤけてしまう。
「・・そう言えば、あの橋の近くの店から出て来たけど?」
「え?ああ・・中村屋だよ」
「和菓子屋の?勇人、あまり食べないのに?」
柚鈴さんと付き合ってた頃はケーキとか甘いものあまり食べなかったけど
「・・・もしかして、抄湖さん?」
「まあ、彼女は甘いもの好きだから特におはぎが好きなんだよ・・それにここ最近元気がなさそうだったから」
そう話すと柚鈴さんは少しムッとしている。
「ふーん・・私も好きだったけどな」
「そうだったな・・確か駅ビルの中で食べた」
〝特大パフェ〟
二人声が重なって思わず
「ふふふふ」
「はははは」
笑ってしまった。二人で笑い合ったのは久しぶりだ。
「あの時の柚鈴さんの顔忘れられないよ。リスみたい口いっぱい詰めて」
「もう言わないでよー」
赤くなる柚鈴さん。楽しそうにしている。
「俺、そろそろ行くよ」
「え?もう行くの?」
会えるかわからないけど、やっぱ彼女に渡して労いの言葉をかけてあげたから
「抄湖さんのとこ行くの?」
「え?うん・・最近あまり話をしてないからさ
無理だけはしないといいけど」
少し寂しげに微笑むけど彼女がこれを食べて喜ぶ姿を想像するとやっぱり嬉しい。
「抄湖さんなら帰ったよ。今日は大学院には戻らないって言ってたよ」
「え?・・」
「今日はこのまま、研究レポートの打ち合わせだって話をしていたよ」
柚鈴さんは真っ直ぐ俺を見る。この話さえ、俺には伝わらなくなっている。何だろうな・・
「そうか・・」
「勇人?」
「駅まで送るよ」
「うん!」
〝楽しそうに笑うんだな〟
「・・ワシは何をしとるのじゃ」
それからここしばらくは抄湖さんのお手伝いはリモートで行われていた。彼女も忙しく来週からは本格的にみんなで研究作業をしていく。
———カランコロン
「いらっしゃい」
「
「はいはい。ちょっと待ってね」
コーヒーの匂いが優しく広がる。ゆっくり流れるJAZZとこの空間が癒しとなる。
「それにしても今日は遅い・・」
「お待たせ」
「・・勇人氏」
「やっと、話せた」
「今日はここに来ないって大志郎が言ってたぞ?」
「俺がいるとダメなの?」
「そういうわけではない・・」
少し、気まずい空気が流れる。俺は中村屋のおはぎを渡す。
「おおー!?こ・・これは幻のずんだのおはぎではないか!?・・な・・何だ?」
思わず、笑ってしまう。抄湖さんは
「中村屋に買いに行く時、いつも想像する。これを渡したらどんな顔をするかって」
「・・勇人氏」
「この間もさ、おはぎを買ってそれを持って大学院に行こうって思ったんだけど、抄湖さんはいないって柚鈴さんが言ってたからさ・・」
「え?ああ・・そうじゃ、ちょっと用事があってな・・来週までは彼女達にお手伝いを頼んでおる・・」
「そうなんだ・・あと、おはぎなんだけど、ごめん・・柚鈴さんにあげてしまったんだ」
「それは気にしなくていい。中村屋が丁寧に作ったものだ。誰かに食べてもらうのが礼儀だ」
「でも、抄湖さんが楽しみにしているのに申し訳なくて・・」
「今はこうやってまた、持ってきてくれたではないか・・勇人氏」
「何?」
「ありがとう・・おはぎ・・それに」
少し考えている抄湖さん。
〝彼女がこちらを見て微笑んでた〟
「何でもない・・また、来週も作業頼む」
「え?・・抄湖さん」
「何があったのかな?抄湖ちゃん」
「俺、追いかけます」
———バタン
あの後、すぐに追いかけたけど姿はどこにもなく彼女が落ち着くまで待つべきかと考える。
「抄湖さん・・速すぎ」
その時は抄湖さんが何を思っていたのかなんてわからなかった。まさか、あんな出来事になるなんて思わなかった。
翌朝、真壁くんから女性だけが抄湖さんの作業に呼ばれたとメールがあり
〝俺も抄湖さんと柚鈴ちゃんの間に挟まれたいよー〟
何とも気持ち悪いメールが来たので既読無視をする。真壁くんが泣き顔文字を送って既読無視はやめてくれと10回くらい送ってきたので更に既読無視をする事に・・
だけど、最近の抄湖さんが心配だ。どことなく落ち込んでいるのでは?当たり前だった毎日が少しずつズレる事がこんなにも堪えるんだな・・
そう考えていると抄湖さんと柚鈴さんが・・
「失礼しまーす。資料お持ちしました」
「ありがとう・・」
「少し、聞いていいですか?どうして、今日は私達だけ呼ばれたんですか?」
「それは白川さんの為じゃ」
「は?私の為?」
柚鈴さんが驚いていたが抄湖さんは真っ直ぐ柚鈴さんを見て話を続ける。
「そうじゃ・・言葉は正しく伝えねばな?」
「意味がわからない・・」
「何故、勇人氏に嘘をついたのだ?」
「嘘はついてませんよ?あそこにあなたがいたでしょ?」
「確かにそうじゃな・・じゃが、素直に勇人氏に伝えればいいのでは?」
「随分と余裕ですね。勇人は誰にでも優しいんです。自分は特別だと思ってます?」
「哀れじゃのう・・」
「・・何がです?」
柚鈴さんは少しムッとする。抄湖さんが近づいてこう話す。
「そして、ワシの自惚れだ」
「は?」
「あやつは優しい。今回の事も責めたりはしないじゃろ・・じゃが、お前さんが傷つかないように辻褄合わせをした」
「どういう事ですか?」
「嘘をつかずにすむと言う事だ・・現状追認としてワシが決めさせてもらった」
「私には嘘をつくなと言ってるのにあなたは嘘をついてもいいんですか?」
「お主の嘘とワシの嘘は違う」
「何が違うんですか?」
「勇人氏を傷つけない為だ・・白川さん・・あやつはお主と別れても思いやりを持っておる」
「・・っ!?」
「その優しさを無駄にはしたくはない」
———バタン
「だから・・負けたくないのよ」
人は時々、愚かになる。後悔もまたその一つ人を思う心があれば人を貶める心もある。抄湖さんがいつも語っている事は
〝大切な事は自分に問うべきだ〟
どんな事があろうと自分自身を見つめる事が大事だとそれがわかれば言葉となり魂となる。
「大志郎ちゃん、どうするの?」
「・・・そうだね」
フェスティバルに向けてまた、こちらも何か動き出す。
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