第15話  三つ子の誓い

  斎藤平に長女が誕生した。名前は藤乃ふじのと命名した。律子が藤の花が好きだったからである。

 家の庭にも池を覆うように藤棚を造っていて、それが毎年綺麗に咲くのであった。そして、空だった池にも水を張り、錦鯉の稚魚を五尾放していた。藤乃と共に健やかに成長するようにとの願いを込めて。

 平は、薬の配置販売を新たな事業として始めようと企画していた。昔の富山の薬売りの現代版である。

 日本はどんどん高齢化が進んでいる。老人の方たちが、わざわざ薬局、薬店まで足を運ばなくても、身近に置き薬があれば、必要な時に必要な薬をすぐに使えるので、便利だろうと考えたのだった。

 そして、配置販売業の許可申請をして、認可されたのである。

 彼は、薬店の顧客リストに基づいて、DMを打ったのである。一人暮らしの老人や、足の不自由なお客様、車を運転しなくなった老人のお客様たちからの申し込みが結構来たのだった。平は律子やお父さんとも相談して、この事業も本格化する方向で取り組む事にしたのである。

 平の事業はどんどんと拡大しつつあった。彼の毎日は充実していた。

 そんな彼のところに洋からの電話が入った。

「もしもし平、元気かい。洋だけど?」

「やあ、洋、久し振りだな。懐かしいね」平は洋と話すのは、彼がクイズミリオネアマインドで賞金をゲットした時以来であった。

「平。実は相談なんだけど、長崎の方まで出て来れるかな?」といきなりの依頼であった。平は不審に思って、

「洋。何かあったのか?」と訊いてみた。

「うん。ちょっとな」

洋は曖昧に返事をした。

「俺も今、新しい事業を立ち上げようとしていて、忙しくはあるが、いけない事はないよ」と応えた。

「そうか。じゃあ頼むよ。十月十日にハウステンボスで会おう。太も来るから。三人で相談したいことがあるのだよ」と言って電話を切った。

 平は考えた。

『三人で相談する。わざわざ集まって。なんだろう?』

 この時は平は、まだ、電話で話した相手が、本当は野中太であることを知る由もなかった。


 令和九年(2019)十月十日。

 三つ子三兄弟はハウステンボスに居た。長崎洋食『とっとっと』の店内である。

 三人は焼きカレ-を食べながら話していた。

 生ビールも頼んでいた。

 しばらくしてから洋が話を切り出した。

「平、俺が誰だかわかるか?」といきなり平に質問した。平は唖然として洋の顔を凝視した。しばらく見つめて、笑い出した。

「何を言ってるんだ?洋。お前は池田洋だろうが。何をたくらんでるんだ。二人して」

 平は笑いながら二人を睨んだ。

 すると今度は友田太が

「さて、わたしはだれでしょう?」と。とぼけて見せた。平は少し腹が立ってきた。

「おいおい。お二人さん。俺に言いたい事があるなら早く言えよ!」と少し、声を荒げた。

「ごめん、ごめん。平、お前をからかってるんじゃないんだよ!」と太は真剣な顔に戻って喋り始めたのである。

「平。実は俺は野中太ではないんだ」と話しの外堀から埋め始めたのである。

 平は意味不明で、全く、理解できなかった。その後を洋が続けた。

「俺は、今は池田洋だけど、本当は野中太なんだよ」

 三人は洋食屋を出た。そして、園内のベンチに並んで腰かけた。三人とも缶コ-ヒ-を持っていた。

「すべての責任は俺にあるんだよ」

 苦しい表情で友田太は平に向かって話し出した。

 洋と太は、代わる代わるに、是迄の経緯を平に打ち明けたのだった。

 ふたりの告白を聴いていた平は、だんだんと顔色が蒼白になって来た。平が二人からすべてを聴き終わったのは、二時間後であった。

 彼は、まだ、信じられなかったのである。でも、質問しょうという気持ちはおきなかった。

 二人の話を聴きながら、必死で経過の流れを追いかけていたのだった。

 二人の話をすべて、聴き終えて、一言だけ呟いたのである。

「洋と太の名前が入れ替わっただだけじゃないか」

 洋と太はあっけにとられて、顔を見つめ合った。確かにそうではある。しかし、そんなに簡単に考えていいものだろうかと思ったのである。

 平は続けた。

「三本のひまわりがあって、非常によく似た花が咲いていた。花の大きさも、色づきもほとんど変わらない。葉っぱの付き方も、数も同じである。その三本のひまわりに向かって、右から名前を付けた。フトシ、タイラ、ヒロシと。そして、翌日、その順番をたまたま間違えた。でも、三本のひまわりは昨日と変わらずに同じ様に元気に咲いていた」

 そう、微笑みながら、二人に語りかけたのだった。

 三人は、この平の語り掛けで、一卵性三つ子に戻ったのである。すべてを理解出来た様であった。

 これからも、ずっと、友田太、斎藤平、池田洋で生きて行く事を確認できたのであった。これで、野中太が戻ってくることは永久に無くなったのである。

 年が明けて令和二年(2020)になった。

一月十六日に、日本で初めて、コロナ感染者が確認された。中国武漢への渡航歴のある神奈川県在住の中国籍の三十代の男性であった。

 その後、このウイルスは新型コロナウイルスと呼ばれるようになった。何でも、頭に冠のような突起物が、このウイルスにはくっついているらしい。その見た目が王冠(CROWN)に似ていることから、ギリシャ語で王冠を意味するCORONA(コロナ)と云う名前が付けられたとのこと。

 名前なんて称号である。三つ子三兄弟は、皆、生まれて来てから、名前は、いろいろと替わったけれど、中身はそのまま引き継いでいる。そして、立派な花をつけて頑張っているのである。

 東京、鹿児島、長崎と、それぞれに現在、自分のテリトリーで努力している。

 鹿児島の斎藤平は、薬の配置販売の事業に力を入れて取り組みだした。企画が当たって、利用者は確実に増えて行っている。平は専任のスタッフとして、男性の若者を雇った。二十八歳で、いままで、地元のス-パ-の薬品売り場で働いていた。登録販売者の資格を持っていたので雇ったのである。そして、半年後には、配置薬事業の全般を彼に任せたのである。彼は、期待通りに実績を上げて、南国薬店に多大な貢献をして呉れたのだった。平は彼を、副社長にして、薬店の営業全般をまかせたのである。

 そして、平自身は新たにネット通販のアマゾンに出店するビジネスに取り組む事にしたのだった。平の事業欲はどんどん大きくなっていき出したのである。

 東京の池田洋は、都立病院の血管外科医長として、院内のホープであった。将来の外科部長としての呼び声も高い存在になっていたのだった。

 長崎の友田太は、血液がんの研究で、功績を上げていた。今では、がん先進医療の分野では、若いながらも権威であった。

 その功績は、ノーベル賞の医学生理学賞にノミネ-トされるかも知れないと、医学界からは期待されているのである。

 三つ子は、三人それぞれに、社会的にも認められ、活躍しているのであった。

 育代が難産で、産み落とした子供たちは、三人とも、今は、生まれて来て良かったと感謝していた。


 三人の兄弟は、博多の証城寺に居た。

 今日は育代の命日の七月二十三日である。

 三人は、供養のために集まったのである。これからは、以前の様に、毎年、この日には三人集まって、供養する約束をしたのであった。

 新型コロナウイルスの感染は世界中に広がっている。

 三人は来年も、元気で再会することを誓って別れたのであった。


                                    完

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

入れ替わった人生 本庄 楠 (ほんじょう くすのき) @39retorochan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ