第9話聖夜
12月25日。年に一度、キリストの降誕を祝うその日はいまや俺にとってはただの祝日であり、痛みを思い出す忌々しい日となっている。
考えてみれば最近はカップル達がこぞってデートしたり、告白をしたりとその原型を留めていない。
俺は小さな箱を片手に、窓の外を眺めていた。天から舞い降りるその姿はまるで妖精の舞。儚く散る運命にありながらもこうも美しいとは。
この手に取った小さな箱は本来ならばあいつに渡す予定だった物。もっとも、渡す前に振られてしまったわけだが。
少し早めのクリスマスプレゼントにするつもりだった。きっと気に入ってくれると信じていたから。
でも、現実はそれすらも拒んだ。こういう時に言うのだろう。現実は、非情である。
まさか振られた挙句、その理由が別に好きな人ができたからとは、自分勝手も程がある。手を繋いで帰ったあの時も、喜びを分かち合ったあの時も、自分の気持ちも、全てが嘘だったかのように思えて仕方がない。
だが、実際嘘かと言われたらそうでもないのだろう。初めて手を繋いだ時の喜びは今もこの手に残っている。あの時も確かに俺はあいつのことが好きだった。その変わらない事実が俺という人間を留めているような気がする。
というか、嘘だったとしたらこんなに後悔していない。我ながら馬鹿馬鹿しいとは思うが。
じゃあ今は?彼女ではなく他人に、いや、それ以下かもしれない。そんな関係性の彼女を、裏切った彼女のことを俺は想っているのか?そう問われると、yesとは言えない。
振られたことは今もショックだし、何より捨てられたことに関しては未だに許していない。だが、嫌いではないだろう。
どっちなのだと、自分でも思う。
あの時は確かに好きだったが、今はそうでもない。…いや、嫌い寄りではある。捨てられたし。でも、『嫌いになりたくない』というのが本音だ。
別れた二人が互いのことを嫌いになるケースはよくある。俺もこの目で何度か見てきた。
思ってもいないことを裏で吐き捨て、相手を貶し、自分を守る。それは側から見ている身としては、『まだこいつら両思いなのでは?』と思ってしまう。
別れたからと言って、恨んで、相手のことを嫌いになる。それは過去の自分の気持ちを、自分自身を否定することになる。俺はそんなことはしたくない。
だから、俺のためにも、俺は前を向かなければ。少なくとも、あの人にバレないぐらいには。
忘れたい記憶を脳の奥底にしまうように、俺は手元の箱を引き出しへとしまった。
リビングに入ると、食欲を掻き立てる香りが俺の鼻を刺激した。今日は彼女も気合が入っているようだ。
「湊くん。もう少しでできるわ。座って待ってて」
エプロン姿の玲奈が俺を見ながら盛り付けを行っている。この景色も見慣れたものだ。
「今日はいつにもまして気合が入ってますね。楽しみです」
「もちろんよ。今日は湊くんとの初めてのクリスマスだもの。期待してくれていいわ」
ふふん、と高らかに玲奈は言う。
彼女とのやり取りも前に比べたら少し増えた。未だにストーカーの片鱗は見えるし、正直怖い。でも、そこに目を瞑れば、家事全般をやってくれるし、何より手料理がうまい。
ストーカーという重大な欠点があるが、話は通じる。俺の事を分かっているということもあってか、なにかと話が合うことが多い。良好な関係は築いておくべき、というのが表向きだが、話していて楽しいというのが本音だ。
今、目の前で楽しげに料理をしている彼女は失恋に崩れかけた俺を支えてくれた。不覚にも、彼女をあいつの代わりにしてしまっている自分がいる。
失われた愛は愛でしか埋められない。以前彼女から言われた言葉だ。
愛というものは人それぞれ。唯一無二だ。そうなると、愛に代替品はあるのか?承諾の上とは言え、彼女からの愛を俺はあいつの代わりにして良いのだろうか?
愛の抜け落ちた穴は、愛で埋めることができるのか?
俺には分からない。ただ、今俺の頼りは彼女だけだ。
「…湊くん?」
「…ぅえっ?なんですか?」
「いや、ただ…悲しい顔をしてたわ」
感情というものは嫌でも顔に出てしまうものだ。どうやら彼女にはそう見えたらしい。不思議そうな、それでいて不安に満ちた瞳で俺の顔を覗き込んでくる。
「少し、感傷に浸ってただけです」
「…あの女のことね」
「…あながち間違いでは無いかもです」
心配した様子の彼女の顔が一転、頬が膨らんでいく。彼女の両手が俺の頬に添えられ、目の前に彼女の顔が迫る。
「いい?今日は私の事だけを考えて。…次考えたらどうなるか、分かるわね?」
…そんなゴムをちらつかせられるとこちらも反応に困る。怯えていいのやら。
「…ふぁい」
「いいわね?…それじゃ、食べましょう。せっかくのクリスマスを楽しまなくちゃ」
彼女がふふっと微笑む。その笑顔は人間にしては出来すぎていて、もしかしたら天使なのではと錯覚してしまうほどに美しく、可愛らしい。
可愛らしい、と思ってしまうのは彼女が彼女たる所以な気がする。
あぁ、俺も大概だ。彼女に毒されて、順調に体の内から蝕まれていっている。分かっているのに、どうしても惹かれてしまっている俺がいる。
温かい食事に、暖かい空間。そして、暖かな彼女のぬくもり。悲しみに暮れる俺をこの空間のすべてが包んでくれている。
…ちょろ過ぎるだろ、俺。
「さ、湊くん。分かってるのでしょう?」
「何が分かっていると?」
風呂上がり。二人でベッドに腰掛けたところで玲奈がそう語りかけてくる。
知らないようなフリをしているが、大体の察しはついている。クリスマスといえば、だろう。
「プレゼント交換の時間ね」
「…大したプレゼントは用意してないですよ。誰かさんがあまり外出を許してくれないのでね」
言ったとおり、大したプレゼンとは用意できていない。本来なら気の利いたプレゼントの一つや二つ用意できればよかったのだが、生憎俺には自由というものが存在しない。そのぐらいは許してくれてもいいのだが。
彼女を見る限りは何も持っていない。つまり、なにか思惑があるということになる。慎重に出るべきだろう。
「えぇ。それは分かっているわ。でも、”もう持ってるじゃない”?」
…”もう持っている”?
「ふふ、その様子じゃまだ分かっていないようね。…それじゃ、私からはこれをあげる」
彼女の指が指したのは彼女の唇。桃色の艷やかなそれが俺の視線を釘付けにする。吸い寄せられるようなその魅力はさながら魔術のようだ。
…なるほど。大方の流れが読めてきたぞ。その流れだと、俺に要求するのは…
「だから、流星くんは”それ”を頂戴」
彼女の指が指したのは俺の唇。等価交換、ってわけだ。
用意させなかったのはこのためなのだろう。相変わらず準備だけは怠らない人だ。
薄々こうなる気はしていた。かと言って覚悟はどうかと聞かれたら。答えかねる。
「いいわね?もっとも…」
「…俺に拒否権は無い、と」
「えぇ。分かってるじゃない」
彼女の妖艶な瞳が俺を貫く。じわじわと追いつめた獲物を今喰らわんとする獣のような瞳。理性など一ミリも感じさせないその二つの蒼は俺を逃すまいと縛り付けた。
俺に与えられた選択肢はただ一つ。彼女を受け入れること。それ以外の選択肢は俺には許されていない。拒否なんてもってのほかだ。
「さぁ、差し出してもらおうかしら?」
彼女の手が俺の背中に回る。既に退路は絶たれた。
はっきり言おう。彼女は俺の支えだ。失恋し、空虚になった俺の心を慰めたのは紛れもなく彼女。現に毎日こうして隣に居続けてくれている。
愛の形は歪と言えど、彼女は俺に愛を与えてくれたのだ。彼女がいなければどうなっていたことか。
彼女の思いに答えないわけにはいかない。
「…俺ので、いいんですか?」
「湊くん以外の誰が私に相応しいと言うの?」
「中古品なんかでよければ、どうぞ」
「ふふ、上書きしてあげる」
彼女の唇が俺の唇に重なる。柔らかな感覚が俺を唇を襲った。
甘くて、じんわりと染みる暖かさが広がる。味わったことの無い甘さ。これが、恋の味なのだろうか。初めてのキスなんかよりもずっと俺好みだ。
甘美な触れ合いはものの数秒で終わった。悔しいが、名残惜しく感じてしまう。
「…ふふっ、どうだったかしら?あなたのストーカーに上書きされる気分は」
「…悪くは無いですよ。えぇ。悪くは」
「素直じゃないのね。湊くんらしいわ」
寄せてくる彼女の体を受け止める。俺の胸の内に幸福感と安心感が広がる。抱き寄せた彼女のぬくもりが俺を包み込んだ。
二人で抱き合って、目を閉じる。いつの間にか当たり前になっていたことが、どうしても幸せに感じてしまう。
あぁ、俺は彼女が________
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