第5話



    ◇



「といっても、ここもただの空き家で私のものとは言い難いのですが」


レイユがそう言って招いたのは平屋だった。

おんぼろな外壁に対して、中身は妙に小綺麗だった。


破損個所もなさそうなので生活するのに支障はないだろう。ただ、生活感はまるでない。


「ずっと持て余していたのですが、まさかこんな役立ち方をするとは思っても居ませんでいた」


入ってすぐの廊下はキッチンと一体化しているらしい。

水回りには一応水滴の跡が付いている。流石に流しは使っているようだ。コンロにもフライパンが一つだけ乗っている。

この分だと冷蔵庫に収納されているのは必要最低限しかないだろう。


そもそも彼女に生活能力があるのだろうか。

姫君という身分はそれを求められる立場ではない。

その上、彼女は常に自国ではなく他国の城内に住まうことを定められていた。

気の大きくない彼女は常に私室に籠り、好んで外に出ようとはしなかった。だからこそブランが気にかけ、引っ張り出していた。


今となってはあの城のキッチンの場所を知っていたかも怪しい。


水の沸かし方すら知らないんじゃないのか。


キッチンを観察していると、彼女も黙ってこちらを見ていた。


「なんだよ」

「いえ、そんな気になります?」

「まぁそこそこ。お前、流石に魚がかっ開かれたまま泳いでるとか思ってねぇよな?」


うん? とレイユはやや上方を見ながら顎の下に手を当てる。


「どうして魚の話に? グレン、お魚好きでしたっけ?」

「食い物って意味ならそうでもねぇけど」

「えぇ? じゃあどうしてそんな話に。それより、本題に入りましょう」


レイユは廊下を抜けた先にある部屋に入り、向かい合う椅子の片方を引いた。

まるでこっちに座れという誘導に、頭を抱えながらグレンは部屋の奥へと進む。


椅子を引くのは姫の役目ではないだろうに。


引かれた椅子にレイユを座らせ、グレンは向かいの椅子に座る。


「……貴方、粗暴なところあるくせに私のことそういう扱いしますよね」

「ブランに義理立てしてんだよ。――それで? レイスブルームの現状をあんたはどこまで把握してんだ」

「……結論から言うと、全くできてないままです」


予想の範疇の答えではある。一人では困難を極めるだろう。

彼女には戦闘能力も浄化の力もない。


「本国はもちろん、周辺ももう人が立ち入りできないぐらい土壌の汚染が進んでいて、呪いの元凶が何かはまだ解析も見当も、……ついていません」

「……」


レイスブルームは呪いに堕ちた。

それがどういった呪いで、何が媒体なのかはまだ分からない。だが国の人間の姿がおぞましいものに変わるほどの影響力はあった。


「……姫はどこまで近寄ったんです?」

「レイワースです」


レイス地方を領土とするレイスブルーム。

その地方の東側の入口として開拓されたのがレイワースと呼ばれる街だ。


入口に入り、そこで引き返したということだろうか。


「……酷いものでした。活気のある街だったはずなのに、人の数は随分と減り、皆呪いに怯えて過ごしていました。でも、他に行き場がないからとあの場所に留まっているそうでした」


話に聞いたことがあるだけで、直接出向いたことはない。

だがもともとレイスブルーム近辺は緑が豊かな場所として有名だ。

小麦や農作物の輸出が多い国で、植物の中でも生花の輸出量は世界有数だ。

というのもあの地帯にしか生息できない生花が薬の原料になる。そんな植物が何種類か存在していた。


そちらに力を入れている分、武力が貧相な国でもある。

それを補うために武力に余裕のあるこちらの国と同盟を結び、その証としてレイスブルームは姫を差し出したのだ。

そのあたりの事情は国の長周辺しか知らない事柄なので真偽は不明だが、差し出したというよりもこちらが要求したのではないかと睨んでいる。


「一応レイワースより内陸へと向かったのですが、その時の私にはそれより先に踏み入る力はありませんでした……」

「力? 何の」

「……純粋な武力です。呪いの末端と言いますか、分かりやすく魔物と言いますか。普通ではない生き物が闊歩していたのです。なので、」

「武力強化をした、と。あんた武器使えねぇだろ」

「そのあたりは大丈夫。アンジーさんが武器の扱いに詳しい人だから」


グレンはちらりと今の服を見遣る。

そういえば軍人の疑惑がある奴だった。


「そのあたりは俺が盾になったらどうにかなりそうすか?」


聞くと、レイユは整った姿勢のまま苦く笑う。


「おそらく、貴方がいればそこは何の問題もないかと」


だったら猶更さっさと助力を要請すればいいものを。

そう言ったところで彼女からすれば無茶な話なのだろうが。


あの国で彼女が自分の内側に居れていた人間はブランぐらいだ。

自分も彼女に心を許されていたかは怪しいところだ。ほかの人間よりは近かったと思いたいところだが。


「ただ、貴方がいてもどうにもならないことが一つあります」

「へぇ。というと?」

「……穢れです。今のあの地はおそらく奥へ行けば生身の人間も生きたままに呪いの体へと堕ちることでしょう」

「……なるほど」


そういった耐性は生まれつき、もしくは神聖な力の加護がなければどうにもならない。

自分の生まれは凡庸だ。そんな耐性あるはずがない。


「ならまずはそこからですか」

「あ、いえ。その点も克服済みです。と言っても、実際に実行したわけではないのでもしかしたら脆弱かもしれませんが」

「は? 何の用意をしたって言うんです。そんな簡単なものじゃないでしょう」

「どちらも偶然なのですが、二つ用意できていまして。まず一つ目は、メルクーです」


レイユはグローブに包まれた左手を前に差し出す。


「メルクー? あのでか物、なんか出来んのか?」


直後、びくり、と彼女の左手が跳ねる。


「その呼ばれ方、不満みたいです」

「そうか? 案外喜んでるだけかもしんねぇぜ?」

「喜ぶ箇所、なかったでしょう……」


レイユが自身の左手を撫でる。

見てる分には変化がないのでそれで宥められるのかは傍目では分からない。


「この子、実は聖なる存在らしいんです。リギィさんが言ってました」


なんだそれ、というのが端的な感想だが、ドラゴンに関しては人間が把握していないことの方が多い。

そう言われて納得もできるし、手あたり次第疑うこともできる。


「二つ目はそのリギィさんです」

「あの意味分かんねぇ男な」

「意味が分からない?」

「そうだろ。何者なんだ、あいつ」

「生身の人間ではないと聞いたことはありますが、多分聞いたら教えてくれると思いますよ?」

「あんたは聞いたことないのか」

「聞いて、同じ質問をされると私が困ってしまうので」


正体を明かしたところで、ここの人間にどうにかできそうなことはなさそうだが。

話を聞いたところだと脛に傷のある者ばかりのようだ。通報なり密告なりしたところで下側の人間が捕らわれるだけなのでは。

尤も、彼女の場合単純に自分が言いたくないだけにも見えるが。


「まぁどうでもいいか。で? その男がなんだってんだよ」

「あ、そうでした。リギィさん、実は聖職者なんですよ」

「なんだって?」

「元、らしいですけど」


神職に詳しい身ではないが、人間以外でもなれるものなのか。

堕ちた存在でなければ問題ないのだろうか。人より聖なる存在は居るという話もある。


それとも人間ではなくなったから『元』なのか。


「その元聖職者が何かしてくれるって?」

「あ、そうなんです。あの二人にはいろいろあって事情を話しているのですが、そうしたら加護の力を授けてくださるそうで」

「効くのかぁ? それ」

「そこはなんとも……。私の国は信心深い国だったとは言い難いので」

「俺のとこはそれ以下だったけどな」


軍事設備が発達している国ほど信心は低い傾向にある。

戦争による人的被害を前に、多くの人間が神の不在を信仰するそうだ。


「その加護ってのは形として存在するもんなのか? 違くねぇか?」

「多分貴方の指輪に近いものだと思います」


グレンは指にはめた指輪を見下ろす。

これには魔法が込められている。これと同じように加護も込められるものなのだろうか。

魔術に明るくないのでさっぱりだ。


「……その指輪、そこに嵌めてるんですか」


グレンは指輪のついた左手をわざとらしく動かす。


「何か文句でも?」

「いえ、ないです。そこでないと意味がないのは知ってますし」


ブランに成り代わるには指輪が必須だが、それがあるだけでは発動しない。

対象と同調するために、対象と同じ動作をしなければならない。


ブランはレイユと婚約を結んで以来、左手の薬指に指輪を嵌め、片時も離しはしなかった。彼女とのつながりもそうだが、自分との符号という意味でも。


今の自分は丸腰だ。

主の姿を借りなければ姫は守れない。なのでいつでも顕現できるようにあえてこの指に嵌めている。


それながなければこんな場所につける理由がない。


「大まかな話はこれぐらいです。準備はもう出来ているので後は出発するだけの状態ではあります」

「なら、明日にでも行きますか?」

「そのつもりだったのですが」

「ん? 何か?」

「貴方、自分の身体の調子が分からないほど鈍感ではないでしょう?」

「……」


今の姿だと目立つ箇所にはないが、これよりも薄着だった前の服の時に見られているのだろう。


「何日必要ですか? 万全の貴方が必要なんです」

「一日で結構です。数があるだけで全部軽いので」

「……何かあったら貴方を頼ることになってしまいます。本当にその日数でいいんですか?」

「えぇ。ありすぎるぐらいですね」

「……分かりました。貴方を信じます」


この人が素直ではないのは前からだ。

変に刺激して明日にでも行くと言い出すよりはマシだろう。


「話はこれぐらいです。時間も遅くなりますし、夕食の支度をしましょう」

「あんた、飯作れねぇだろ」


端的な指摘にレイユは罰の悪い顔をする。


「で、でも、最近気づいたんです! ちぎって火を通すと、野菜炒めになるんです!」

「……ちぎって? 何をだ」

「お野菜です」

「ちぎるな。しかも焦げた草食ってんのかよ」

「なっ、焦げてないですよ!」

「じゃあ生の草か」

「パンも食べてます! ちゃんと!」

「へぇ。この街でもちゃんと売ってんだな」

「……あと2番街に美味しいお店があるんです」


まぁ飢えていなければそれで構わないが。


「冷蔵庫の中、ちゃんと入ってんだろうな」

「え? えーっと、何かは……多分?」

「勝手に使うぞ」


グレンはガタガタと椅子を鳴らし立ち上がり、廊下の端に設置されている冷蔵庫を許可が出る前に開ける。

中に入っていたのは野菜が三種類と米とパン。


「おい。今日は何食う気だったんだよ」


背後で同じく冷蔵庫を覗き込むレイユにグランは冷たく尋ねる。


「この調子だと……パンを齧るつもりだったんだと思います」

「今決めやがったな。つーか、パプリカとカブとなんだこれ。おい、何だこの草」

「それはアイスプラントって言うそうです」

「なんだそれ」

「生でも美味しく食べられる草です」

「ほんとに草食ってんじゃねぇ。ってか、そうじゃねぇんだよ。なんだこのラインナップ。もっと使いやすいもん買えねぇのか」

「だって、なんか可愛くて」

「……は? 草が?」


何言ってるんだこの姫は。

そもそも可愛い物好きだったか? この女。

……いや、自分が知らなかっただけか。


「姫様、幾らか金は持ってんすか?」

「え? えぇ、多少は」

「じゃあそのうち建て替えるから貸せ。この場は俺が預かる」

「え。グレン、料理出来たんですか?」

「あんたよりはな。んなことよりいいからよこせ。娑婆に出て初っ端の飯が残飯と勘弁しろよ」

「そればらいっそ外食にしますか? 美味しいお店紹介できますよ?」

「したいなら勝手にやってろ。こう見えても怪我人なんだわ」

「あ」


痛がる素振りをまるで見せないので失念していた。


「そうでした。グレン、貴方は安静にしてないと。やはり私が腕を振るいます」


力みながら腕まくりをするレイユの肩を宥める様にぽんぽんと叩く。


「あーはいはい。悪いけど今日のあんたの客人、怪我人な上に栄養失調気味なんで。振舞えます? そういう相手に」

「……」


レイユが口惜しそうな顔をしながらもゆっくりと袖を元に戻す。

そんな腕前がない自覚はあるらしい。元より謙虚な人だ。


死刑囚をしてた間、碌なものは食べていない。

身体が弱体化した自覚は随分と前からあるし、体力と筋力もかなり落ちた。


栄養失調というのは彼女を騙すための方便として使ったが、あながち大嘘というわけでもない。



























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