惑星ハルカより、愛をこめて
晴瀬彩愛
移住と始まり
第1話 この星で、暮らしを始める
「着いたぁ……」
フライト時間、途中休憩を挟んでも12時間。
飛行船を降りて地に足が着いてようやく気持ちも落ち着いた気がする。ビジネスプランで半個室を選んだとて体の疲れがまったくないわけではない。
「
カウンターで名前を呼ばれてそちらに向かうとスーツケースを差し出される。
「引き換え番号を確認いたします。……はい、確認できました。良い時間をお過ごし下さい」
にこやかな彼女からそれを受け取り、外に出ると地球ではほとんど感じたことのない突風に思わず両目を閉じてしまう。
びゅうううっと吹き抜ける風、高い高い水色の空。昔、修学旅行のときに立ち寄った科学館で再現された"海"の匂いがした。
そんなものも、天候が管理されてる地球ではもう感じられない。
地球から人類が別の惑星へ移住してもう数百年が経過しようとしている。
地球では技術の進歩が目覚ましくどこもかしこもビルだらけだった。
自然という自然はほとんど失われ、世界はすっかりデジタルに支配されていた。
ここ、惑星・ハルカは「失われたアナログを復活させよう」という名目で開発された「再建都市」が中心となっている。シン・アジア、ネオ・ヨーロッパ、ニュー・アメリカ、サン・キャロル。4つの地域から成り立つ、各国の古き良き、オールドスタイルの町並みを残すために開発された星なのだ。
2週間もあれば十分に惑星全土を観光できる、そんな小さな小さな惑星。
タクシー乗り場へ向かうと、地球じゃ見れない可愛いマスタードカラー。
そばで飲み物を飲んでいた運転手のマダムがこちらに気付くと、にこやかに微笑みトランクを開けてくれる。
「お嬢さん、どこまで?」
もうお嬢さんと呼ばれるような年齢でもないが悪い気はしない。
「
「星詠庁の……ああ、このへんね」
マダムが車のナビに住所を入力し、緩やかに発進し始める。
車内から外を眺めるとイチョウ並木が続いている。本でしか見たことのないその光景に思わずスマホのカメラを構えて写真を撮る。
「お嬢さん、地球から来た観光客かい?」
「いえ、移住なんです」
「そりゃあいい、最近は若い人の移住も増えててね〜」
「へえ」
車窓のAIモニターが自動で観光案内をしてくれるのを横目に、私の視線は窓の外へ釘付けだった。
市街地へと入っていく煤けたような緑の路面電車と、段々と見え始める木造の建物たち。観光客向けのパンフレットで見る何倍も実物の町並みは可愛い。
引っ越し先の下見はオンラインで済ませてしまったのを悔いるほどだ。
イチョウの黄色、紅葉の赤、石畳の煤色。
タクシーは滑るような静けさで石畳の通りを進んでいく。
道沿いには木造二階建ての店が並び格子戸や看板に描かれたレトロな文字が目を引いた。ガス灯を模した街灯が昼間でも灯っているのは観光客向けの演出だろうか。どこか浮世離れしたような、けれど丁寧に手入れされた町。道行く人が和服を着ているのを見るのも新鮮だ。
軒先に吊るされた風鈴が揺れる。細く差し込んだ日差しが硝子越しにきらきら揺れて、その眩しさに思わず瞳を細めてしまう。店の前に置かれた小さなベンチには老夫婦が紙袋を抱えて腰掛けていた。看板から察するに、手にしているのはどうやら大福らしい。
(ああ、なんて時間の流れがゆっくりとしているんだろう)
遠くでは、黒い制服に丸帽をかぶった幼い子どもたちが何かを歌いながら歩いている。制服はあえて古い型を模しているのだと聞いたことがある。そういう細部へのこだわりが、この星の「再建都市」としての本気を物語っている。
どこか懐かしくて、でもやっぱり自分の生まれ育った地球とは違う──そんな風景が、車窓の向こうに続いていた。
木造の町並みから段々とレンガ造りの建物が遠くの方に見え始める。
「あ、ここ曲がって下さい」
「はーい」
石畳から徐々に土の道へと変わる。
レンガ造りの銀行や白い庁舎を背に、瓦屋根の家並みが肩を寄せ合う通りへ入っていく。
看板は木彫り、電灯は細いガス灯風。ほんの少し観光地らしさが残る市街地エリア。
「そこの郵便ポストの前で下ろして下さい」
背の高い、朱色のポストを指差すとその前でタクシーが止まる。
「支払いは? 現金? 電子?」
「電子で」
「はーい、ちょっとまってね」
そうか、現金決済が出来るんだ。
自分の手元には当たり前のようにスマホ払いのQRコードが表示されていてる。
「こっちじゃ現金払いだけの店とかあるから気を付けなよ」
「え! わあ、危なかった……ありがとうございます!」
端末にそれをかざすと決済完了の音が車内に響くと同時に、運転手のマダムが先に降りていく。
スマホを鞄の中にしまい、新居の鍵を確認してから開いたドアから降りるとまた違う匂いがした。
建物と、どこかの家の食事、それから、なんだろう。多分きっと、この土地特有のなにか。
「ありがとうございます!」
「いいえ〜、シン・トーキョーでの暮らしを楽しんで!」
遠く見えなくなるまでタクシーを見つめ、ポストから数メートルほど歩く。
少し小高い場所にある、白漆喰の壁に木枠の窓、丸い真鍮の引き戸が目印の小さな建物。明日以降に注文していた看板を軒先に付ける予定。
ここが、私のお店。『カフェ ひとしずく』だ。
店の鍵を開くと不動産屋の人が換気してくれていたのだろう。埃っぽさは少ない。
そのまま後ろ手に鍵をかけて、店の中をぐるりと見渡す。
まだなにも置かれていないカウンターと、がらんとしたテーブルスペース。
ペールグレーに塗られた壁と、ところどころ塗装の剥げた白木の
カウンターの奥に広がるキッチンに向かい、ブレーカーを見つけてそれを上げると同時にパッと電気がついて建物自体が息をし始めたかのようだった。
壁にある小ぶりな照明がぽつん、ぽつんと灯っていて、昼の光とまざりあうように柔らかく足元を照らしている。
最低限の什器、テーブルと椅子、レジカウンター。でも、クロスもクッションも、まだない。
(ちゃんと、始まるんだな)
まだなにもないこの空間が、これからお客さんの笑い声やマグカップの音で満たされていくことを想像する。
不安より、ちいさな嬉しさの方が胸の奥で膨らんでいく。
「よし! まずは荷物どうにかしなくちゃ!」
スマホを見るともうすぐ引越し業者が来る時間。
階段前で靴を脱いで居住区へと上がり込む。階段を登るたびにギシ、ギシと音が鳴るのもなんだか新鮮だ。
3部屋あるうちの1番奥のドアに手をかける。
年季の入った白い木製のドアを開けば、一目惚れしたと言っても過言ではないシャビーシックな部屋。
壁も床も白を基調としているこの部屋には唯一、街並みの見える出窓がある。
――ああ、ここが今日から私の部屋なんだ。
そう思うだけでこれからの新生活が更に楽しくなりそうな予感さえしてくる。
軽く荷解きをして、大きなクローゼットの中に洋服を片付け、リュックの中からペットボトルに入ったお茶を飲んで一息。
スマホに「あと5分ほどでつきます」という引越し業者からの通知が入り、気合を入れ直す。
(まずはベッドでしょ、テレビ、パソコン、あとはチェストとか姿見、とにかく自分の部屋の家具を置いてもらったらお店の備品!)
脳内のイメトレは完璧。
スマホのコール音が鳴り響き、表示されるのは引越し業者。部屋を出て2階から見下ろせばトラックが来ている。
そのまま窓を開けて「今行きまーす!」と伝えてから階段を駆け下りた。
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